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教育ログ13人目(私立・浪人→慶應法)

0.今回の教育答え合わせさん

→偏差値55の私立中高一貫校から慶應大学法学部に合格された筋肉 盛男さん。今改めてご自身の教育を振り返った結果はこちら!

「『♪育ってきた環境が違うから~好き嫌いはイナメナーイ』と某アイドルグループの歌詞にもある通り、環境によって個人の嗜好はもちろんのこと、受けられる教育って変わってくるかと思います。自分の場合はあまり一般的な家庭環境ではない中で、どういった教育を受けてきて、その中で自分をどうやってコントロールして勉強をしてきたか、ということを記載させて頂きました。答え合わせといっても世間一般でいう正解との答え合わせではなく、現在の自分が振り返って「これはよかったな、これはわるかったな」と、居酒屋のカウンターで一人回想しているおっさんの頭の中を文章化したコラム、とイメージして読んで頂いたら軽い気持ちで読んでもらえるかと思います」と語る筋肉 盛男さんの教育答え合わせに迫ります!

※本企画は、難関大学合格者が幼少期からどのような教育を受けて、そして改めて振り返った上で、それが学業成績に「どう作用したか」という観点から思い出し・分析する、という趣旨となっております。
企画者及び回答者に、学歴社会の肯定もしくは高学歴を推奨する意図はございません。


1.回答者略歴


Q:お名前を教えて下さい。
→筋肉 盛男

Q:現在のご職業について教えて下さい。
→商社の営業

Q:年代を教えて下さい。
→40代

Q:ご自身の幼少期のキャラクターについて教えて下さい。
→やんちゃな知能犯(小学校高学年担任談)。
 
Q:ご自身の性格について、以下の観点でお答えください。

Q:最終学歴を教えて下さい。
→慶応義塾大学法学部政治学科
 
Q:そこまでのルートを教えて下さい。
→幼稚園→公立小学校→(中学受験)私立中高→浪人(代ゼミ)

Q:大学合格時点での学習能力の自己採点をお願いします。

※各5点満点の6要素で15点以上となるよう配分をお願いしています。

①  自走力・自律性 :5P
…大学受験の浪人時は、毎日予備校に通うわけではなく、自分に必要な教科、科目を単価で受講し、それ以外は自分で図書館や家で勉強してました。

②  要領の良さ :2P
…とにかく目の前のことからやつけてくうちに大局が見えてくる、ということが多く、初めに大局をつかんで、要領よくやる、ということは苦手かもしれません。

③  持久力・耐久性 4P
…高校2年の後半は、まだ周りも受験モードになっておらず、遊んでいる友人も多かったが、自分は誘惑に負けず、受験勉強を開始してましたし、受験直前は1日14-16時間くらいひたすら勉強していたので、それなりの持久力はあったんだと思います。昔が嘘のように今はないですが・・・笑

ストレス耐性 4P
…勉強することに対して、そもそもあまりストレスがなかった。となると耐性がある、というのが正しいのかわかりませんが、ストレスをストレスと感じなかった、と理解して4Pとしました。

④  理解力 2P
…とにかく基本的なことをひたすら反復して応用力を高めていったので、ちょっと突拍子もない難解な内容が急に出てくると理解できないことが多かったです。

⑤  関心範囲の幅 2P
…現役時代は、英語・国語・日本史の3教科、浪人時代はこれに+小論文で、親父が理系にもかかわらず、まったくもって理系教科には興味がわかず笑 
高校の時に、本気でやって物理のテストが8点だったこともあり、ある意味トラウマだったのかもしれません笑

Q:ご自身の各学習能力に関してどう考えていますか?
→中学受験の時は、好きな先生の教科だけはひたすら暗記。
中学高校のテストは基本的に一夜漬け、大学受験の時はひたすら書いて覚える。目標を立ててそこに向けて細かく計画を立ててコツコツやっていく、というより、やったことを毎日記載していって達成感を得る、というやり方。頭の悪さを時間と行動と経験でカバーするタイプ。

幼少期の時から、ハマると親が止めるまでひたすらやり続けるほど凝り性な部分があり、これが勉強にもハマったのかもしれません。一方で興味がないことには手を付けないことが多かったかと。

これを言ってはお終いですが、4月生まれのため、幼少期は他の子たちよりも成長が早く、いわゆる「勝ち癖」というのがあったのも、その後の人格形成・学習スタンスに影響があったかと思います。

良い意味でも悪い意味でも、「自分はやればできる!」という謎の根拠のない自信があり、何かやりだしたら1番、もしくは人並み以上に出来ないと納得いかない、というのがありました。

年を重ねるごとに、当然ながらどんどんそれが通用していかなくなっていきましたが自分が興味のある分野で人に負ける、平均以下、というのが納得いかない、という性分だったので、何とか自分を律してやってきたと回顧します。。
 
Q:教育の得点配分を教えて下さい。

Q:得点配分の意図を教えて下さい。

第一志望の大学にスムーズに合格できる教育要素がどのタイミングで必要なのか、という基準で得点配分を設定。

その中で自分の受けてきた教育がその基準をどれだけ満たしているかという基準で配点しました。これらを前提に…

①  保護者のスタンス、④高校~(浪人含む)に得点配分の重きを置きました。
①に関しては、勉強への考え方がまだ固まっていない幼少期の保護者の教育スタンスというのが経験から大事かなと思います。
ここを間違えると、どうしても嫌々ながらの勉強になってしまい、同じ時間勉強しても身に付き方が違うと思います。

④に関しては、大学受験が一つの学歴最終目標、ということであれば、その幼少期に形成された勉強の考え方を元に、高校は大学受験のためにひたすら勉強すれば、ある程度は(私立の難関校と言われるレベルであれば)なんとかなるんだと思います。
逆に言えば、小学校、中学校であまり勉強していなくても、学校の授業さえちゃんとついていけるレベルであれば、高校からいくらでもキャッチアップできると思います。


2.保護者の教育スタンス(配点40点)

Q:ご家族の最終学歴について教えて下さい。
→父親:早稲田大学 大学院理工学研究科
 母親:専門学校
 兄:専修大学経済学部経営学科

Q:保護者の教育方針はどのようなものでしたか?
→両親ともに放任主義。何かを強制することはなく、かと言って、子供がやることを積極的に支援してくれる、というわけでもなかった。
 
親から勉強しろ、と言われたことは記憶になく、ただ、幼稚園年長あたりから小学校低学年は公文に通い、そこから小学校を卒業するまで塾通いがほとんど途切れたことがなかったので、うまく勉強させられていたのかもしれません。
ただ、塾を通うにせよ、必ず母親から「こういう塾通ってみる?」と本人の意思確認があったのを覚えてます。なので「やらされてる感」なく勉強もできたのだと思います。
一方で、サッカーを習いたかったが、親の当番があるから嫌だと、母親から言われ、バスケは何度もお願いしてようやく重い腰を上げてもらい習うことを許可してもらいました。バスケは室内で当番が少なそうだったから許可してくれたのかもしれません笑
 
Q:その教育方針はご自身の学業にどう影響したと思いますか?
→勉強しろ!と、ガミガミ言われなかったことが、勉強を嫌いになることなく、自発的に勉強する癖がついたかと思います。

Q:ご両親は学業に関してどんな接し方でしたか?
→上述の通り、親に勝手に塾に入れさせられた、ということはなく、必ず私に確認し、体験してみてよかったら行ってみたら?くらいの気持ちでいてくれました。
 
記憶は曖昧ですが、兄が通っていた公文に、私も付いて行って、おそらく楽しそうにしていたのをみて私も通いたいと言ったので、私も一緒に通っていたと記憶しています。
はじめは楽しかったものの、簡単すぎて飽きてしまってやめたい、と言ったら、そのまますんなり辞めさせてくれました。
小学校高学年で入った日能研も週5日のうち、最後の方は週2くらいしか行ってませんでしたが、特に何も言われることはなく、本人の意思に委ねられてました。

Q:今振り返って学業につながった、家庭内の文化や習慣があれば教えて下さい。

①  親が、勉強は楽しく面白いものだと自然と教えてくれたこと。
 
電車に乗る際、切符を買った時に、切符に書いてある4桁の数字を使って10にするというゲームを教えてもらい、これを幼少期から切符がSuicaになるまで必ずやっていました笑

また、父親に連れて行ってもらった科学技術館にはまってしまい、何度も一緒に行ってもらったことも、遊びの中に自然と学びが入っていたのだと思います。図鑑等の本も買いたいというものは大体買ってもらってました。
 
兄も私も同じ環境にもかかわらず、違いが出たのは、兄はガミガミ言われることが多く、勉強もあまり好きでなかった一方、私は特に何も言われることなく勝手に勉強をしていた、という違いがあるかと思います。
勉強しないからガミガミいうのか、ガミガミいうから勉強しないのか、これは親である私の最大のテーマでもあり今でもわかりません笑。
 
②  父親の影響
父親が早稲田に行っていたことが、私の大学選択や勉強度合いに影響をかなり与えていたかと思います。

父親は、特に、自分が早稲田出身であることをひけらかすこともなく、父親から早稲田に行けと言われたことはないのですが、うちの父親はいわゆる天才肌で、早稲田の過去問をいきなりやらせてみても満点とっちゃうような人でした。
なので、めちゃくちゃな人でしたが(後述)、なんだかんだで親父を尊敬しており、親父と同じ、もしくは同等の大学に行く、という思いがずっとありました。高校の頃はギターにハマっており、音楽で飯を食うつもりでしたが、親父から「大学くらいは行っておいたら?」と言われて、「まぁそりゃそうだな」と思って大学受験をすることになりました。

現役時代は、早稲田の法学部と政治経済学部(政経)と社会科学部と、青山学院の国際政治経済学部の4つを受験。
第一志望であった法学部と政経は見事に不合格。軽い気持ちで始めた大学受験も勉強していくうちに早稲田の法学部or 政経にいきたいという気持ちが強くなり浪人を決定。
親父からも「せっかく大学行くなら第一志望に行ったら?」との言葉もあり、浪人を決めた、というのもあると思います。

浪人時代は早稲田の法学部、政経、教育、商学部、慶應の法学部政治学科、青山の法学部の6つを受験。早稲田に焦点をあてて、いく気満々でしたが、商学部しか受からずあえなく玉砕!
早稲田の第一志望学部に不合格となったので、早稲田の商学部にいくか、慶応の法学部に行くか悩んでいたところ、親父が「まぁ、慶応の方がいいんじゃない?」と、これまた親父の言葉に乗せられて慶応に行くことに決めました。
 
思い返すと、父親の、(適当な?笑)アドバイスが、自分の進路に大きく影響していたことが言えると思います。
 
③  家庭内の影響
ここまで、読んで頂き、読者の方は「さぞかし素晴らしいお父様なんですね!」と思われたかもしれませんが、実は結構なクズ、ということを今から紹介します笑

私が小学校低学年くらいから、親父が独立して会社を設立、最初は順風満帆だったのですが、色々とゴタゴタあり、私が大学のときは借金に追われる日々に。
親族からも借金し、その親族の家までゴタゴタにさせ、どっから借りてきたかわからない借金の取り立てで、親父が家の目の前の公園に、あきらかに堅気じゃない方々に連れていかれて、1時間くらいしてから無傷で帰ってきたものの、心配で大丈夫だったかと私が親父に声をかけたところ「あぁ、あれは返さなくていい借金だから大丈夫!」と飄々と答えたり。

一方で、自宅ではニートのいとこ、フリーターの兄貴、ぼけてしまって夜中に徘徊する祖母がおり、母親の精神状態はボロボロ。
私は大学に入って本格的にバンド活動を始めて、音楽で飯を食うつもりでいましたが、家の状態がそんなで、かつ、このままやってても音楽で食えないな、と結局、就職することになりました。
私が高校生で、大学受験期に既に危うい状態でもあったことから、大学進学を決めた、という家庭内影響もあったかと思います。
 
③に関しては特殊事情ですし、本コラムの趣旨と少しずれるかもしれませんが、私の場合は少なからず影響があったので、あえて記載させて頂きました。
参考にして頂きたい趣旨としては、やはり「勉強は楽しいもので、強制されるものではない」ということを家庭内で感じられたことが一番大きいかと思います。

Q:ご両親の教育スタンスについての小計を教えて下さい。

積極的な関与がなかったので、明確な教育スタンスがあったとは言い難いですが、勉強は楽しいものと思わせるというスタンスについては◎かと。

両親ともに本人のやる気に任せるタイプであったので、もし私が全く勉強をしなかったらどうしていたのかな、ということを考えると怖いですね笑

成績が下がっても何か言われることもなく、E判定だった早慶受験についても何も言わずに現役時代は受験代を払ってくれました。

上述の通り、親がかかわる習い事についてはネガティブな対応だったのがマイナス点。ただし、基本的にはやりたいことをやらしてくれた→それが自発的に行動でき、自走できる人間に育ててくれた、という点ではよかったかと思います。


3.~小学校時代※小学受験含む(配点25点)

Q:小学受験はしましたか?
→してないです。
同じマンションの仲のいい子たちも同じ小学校に通っていたので他の小学校に行くというのはそもそも選択肢としてなかったと思います。

Q:小学校の頃の学業成績について教えて下さい。(全6レベル選択形式)

→低学年時はクラスの中では大体一番早くテストも終わってほぼ100点でした。
中学年頃から周りに塾に通い始めた子が増え、相対的に徐々に順位は下がっていきました。
高学年になるとその割合も増え、最終的には学年60-70人くらい?では10位くらいに入るかどうか、というレベルでした。

Q:小学生当時の勉強への意識はどのようなものでしたか?
→塾は習い事の一つとしかとらえておらず、家で勉強という勉強は全くしていませんでした。

Q:小学校の教育環境についてはどう考えていますか?
→可もなく不可もなく標準的な小学校だったと思います。
公立小学校で、当時、私の学年で中学受験をした子が1/3くらいで、住んでいた場所もそこそこ平均的な家庭が多く、環境も悪くはなかったと思います。
ただ、自分の周りが何名か進学塾に通っており、自然と身の回りにあるものが歴史漫画とか、会話の内容が塾の話だったりと勉強のある環境が周りにあったかもしれません。長期休暇以外は、宿題はなかったと記憶してます。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

低学年→公文週2で1時間/日=2時間/週 ÷ 7日間 ≒15分
 ※公文以外は家で勉強せず。
中学年→塾 週2で1時間/日=2時間/週 ÷ 7日間 ≒15分
 ※塾以外は家で勉強せず。
高学年→日能研 週5あったのに行ってたのは週2くらいで3時間/日=
  6時間/週 ÷ 7日間 ≒1時間
 ※日能研以外は家で勉強せず。

Q:小学校まで習い事は何をやっていましたか?

Q:学習貢献度の高い習い事について、始めたきっかけを教えて下さい。
→公文は4歳上の兄が通っていて、そこについて行ったのがきっかけ。記憶にないだけかもしれませんが自分から「塾に通いたい!」と言った覚えはあまりなく、どちらかというと母親から「通ってみる?」と聞かれて「まぁいいか」くらいの感じで通っていた感じです。

Q:習い事についての振り返りをお願いします。
→学業以外の習い事で影響をあたえたのはほとんどありませんが、強いていえば、習字・ペン字で集中力はついたのかもしれません。

Q:今振り返ってやればよかったと思う習い事は?
→そろばんは当時絶対通いたくない習い事でしたが、通っている友達はみんな計算が早かったのでこれはやっておけばよかったな、と思う習い事です。

Q:小学校までの読書について教えて下さい。
図鑑や歴史系の本(漫画や人物史)は平均的な子以上には読んでいましたが、読書好きな子に比べれば大したことがない程度。
普段はほとんど読まなかったですが、ハマったタイミングでは月に10冊近くは読んでました。

図鑑は生き物図鑑とか宇宙の秘密、とか理系の内容でしたが、それが今になって活きているかというと、全くですね笑。
日本の歴史は、大学受験の教科が日本史だったのでこれは役に立ったかもしれません。ただ、一番本を読み漁った戦国時代は、受験において出題比率も少なく、学力への影響は軽微かと。

読書と国語力の相関関係についての個人的見解ですが、文章を読み解く力、というのはやはり読書量に比例するんだと思います。
というのも、自分がそんなに本を読んできていなかったので、受験科目の現代文はあまり得意ではありませんでした。自分は受験のテクニック論や、小論文を自分で書くことによってなんとか現代文は及第点までいきましたが、本来の国語力、というのはやはり本を読んで培われるものだと思います。

余談ですが、小学校、中学校に読んだ稲中卓球部という漫画は、大いに学力マイナスに役立ちました!!笑

Q:当時熱中していたことは何ですか?それは学業にどう影響しましたか?→→コロコロ趣味は変わっていました。ただ一度はまるとひたすら時間も気にせずそればっかりやってることが多かったです。

それを親が止めなかったのも集中力の強化につながっていたのかもしれません。ゲームもハマったりしましたが、それは3日間くらい思いっきりやったら飽きてました。

小学校高学年時は、学校の授業が終わると家にも帰らず放課後、夕方までみんなでサッカー、放課後が終わって、日能研に行き、18時から22時くらいまで授業、その後は、公園で一人で壁打ちしたりして遊んで、寝るのは12時過ぎていたかと思います。

普通だったら、親から「早く寝なさい!」とか「遊んでる場合じゃないでしょ!」と言われるのでしょうが、親からは特に何も言われなかったので、とにかくやりたいことは寝る間も惜しんでひたすらやる、というのがこの時に根付いていたんだと思います。

Q:小学校時に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→特になし!

Q:小学生時代の教育環境の小計を教えて下さい。

→全体の中での配分は低めにおいてましたが、物心ついてからの教育環境というか、周りの子たちからの影響は結構大きいのかもしれません。

減点要素としては、自分が当時やりたいことを全てできたか、という意味では出来ないこともあったので5点減点としました。

4.中学時代※中学受験含む(配点5点)

Q:私立の中学受験は考えましたか?
→地元の中学の評判があまりよくなかったので、親が受験を考えてました。当時は進められるがままに日能研に通ってました。

当時の第一志望はこのころから早稲田でした笑 
この時の動機は、親父が早稲田だった、というのも少しあるものの、もっと単純というか失礼な動機で、家から近く、早稲田に入ったら格好いいから、というものでした笑

当然そんなふざけた理由で早稲田を受かるわけではないので平均チョイ上くらいの中高一貫に行くことになりました。無謀とはいえ超難関中学を受験するという目標があり、ある程度勉強していたので、結果、受験生の平均よりかは上くらいのレベルにいたんだと思います。

Q:中学行時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)

→丸暗記でなんとかなるような内容は一夜漬け(なんなら二夜漬け)くらいで丸覚えするので、英語や社会とかはほぼ満点に近い数字でした。

一方で、応用力やその場で考えて答えるような数学や理科系科目は赤点よりもちょい上水準だったので、平均すると半分より上くらいの水準にいた感じです。
なので、大学受験は科目を絞ったことで、得意分野で勝負出来ました。おそらく自分は国公立は試験形式上向いていなかったんだと思います。

Q:中学生当時の勉強への意識はどのようなものでしたか?
→偏差値は当時55くらいの平均ちょい上くらいの私立なので、そこそこ頭がいいやつもいれば、なんでこんなやつが、、、という学生もいたりで、平均的な環境だったと思います。

周りが優秀過ぎてついていけなくて落ちこぼれる、というようなことがなかったので、自分にとっては良かったと思います。

教育環境、というか、教育方針としてよかったのは、中高一貫であったため6年間の授業を5年間に短縮し、残り1年は大学受験勉強にあてる、ということでした。

高校受験もなかったので、中1から高2まで思い残すことなく遊びつくすことができ、高3で受験に集中できました。

Q:中学校の教育環境についてはどう考えていますか?
平均超えてればいいや、くらいの意識で、当時はまだ大学受験をするとかそういう意識はなく、勉強はほとんどしていませんでした。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

中高一貫ということもあり、中学時代はほとんど勉強せず。勉強するのはテスト前のみでした。

Q:中学校時の習い事について何をやっていましたか?

→当時の個人塾では、たしかチャート式という参考書をベースに数学のみで苦手分野を補うために通ってました。

赤点を免れた、という意味で学習貢献度は高めに置きましたが、得意分野にできるほどの貢献度があったかというと微妙。必要最低限の基礎と少しの応用を勉強したという意味でも貢献度はちょい高です。

Q:中学時代に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→特になし。

Q:中学校時代の教育を振り返ってどう評価しますか?

→この時が一番勉強しなかったと思います。中高一貫ということもあり、放任主義の両親は、より放任主義に・・・。

当時はバスケ部に所属していてほぼ毎日練習であったため、平均以上とれてればいいだろう、と自分で勝手に思っており、実際に平均以上の成績はキープしていたので親も特に何も言わなかったんだろうと思います。
ということで、今回の得点も平均点以上、ということで3点!!笑


5.高校時代※高校受験含む(配点30点)

Q:私立の高校受験は考えましたか?
→中高一貫であったので高校受験はなし。

Q:高校時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル選択式)

■高校
中学でバスケ部をやめ、高校では帰宅部。当時通っていた高校は、5クラス中2クラスが選抜クラスとして上位クラスに分かれるが、高校1年の時に選抜クラスだったことで余裕をかましていたところ、高校2年で選抜クラスを外される。

さすがに危機感を覚えてそこから授業をまじめに聞いて勉強し始め、高校2年では平均クラスであったものの、中間期末のテスト(5回?6回?)では、年間を通じて全てクラス1位をキープ(学年では30番/200-250人くらい)。その甲斐あってか高校3年では再び選抜クラスに返り咲き。高校3年では上位10%程度の成績をキープ。

■浪人
・偏差値は常に60以上はキープ。
12月の最終模試では偏差値70で4万人中300人以内くらい。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

→高1~高2前半まではテスト前しか勉強してませんでした。

高2後半~高3までは上記の通り、毎月1時間ずつ増えていったイメージ。
受験の追い込み期は、飯時、寝る時、休憩(1-2時間/日くらい)以外はトイレでも風呂でも勉強してました。

Q:高校以降はどんな習い事をやっていましたか?

Q:それぞれの習い事はどう活きたか教えて下さい。
→高校3年時は、代ゼミで早慶コースを受講。

これをベースに、代ゼミ以外のテキストでは、DUOとかターゲットとか、いくつか参考書は絞って、それを何回も繰り返す、ということで勉強していました。

浪人時代は、自分の苦手分野、出来ていないところが明確だったため、代ゼミでコースではなく単科を受講。

Q:高校以降の教育を振り返ってどう評価しますか?

→高校の教育においては、上述の通り、先取り学習をしていたため早期に受験勉強に集中できる点は評価高いかと思います。

ただし、難関大学に受かるための授業をしてくれるわけではないので、そこは自分、もしくは予備校でなんとかするしかないため、そこが減点ポイント。

予備校の教育においては、講師も選択でき、好きな講師でモチベーションを上げることができること、また、小論文講座では、同じ課題で優がつくまで毎週出し直して添削してもらったので、これは個人ではなかなか出来ないことでした。

5.答え合わせを終えて

→結局、うまい具合に両親の手の中で転がされていた、と言われればそうだったかもしれません笑

自分も親となって思いますが、よくもまぁ、口も出さずに両親は我慢していたなと思います。
逆に自分の娘にはガミガミ勉強しろと言ってますが、今回の教育答え合わせで自分の歴史を振り返ってみると、真逆のことを娘にしていることに気づき反省しました・・・。

振り返ってみても、もっと効率いいやり方があったのでは、、、と思うところ多々ありましたが、回り道も含めてゴールへの通過点で、前に進むことが大事ということで、少しでも皆さんのご参考になればこれ幸いでございます。

6.編集後記

どうも、#1のカラシカシです。

主だったところでは以下2点が僕の感想です。

①最後の圧倒的な勉強時間(それを実現させた原体験)
ほぼ宅浪に近い形で1日平均14-16時間の勉強時間は凄い!凄い自律力と根性ですよね。僕には絶対マネ出来ない…。幼少期に「好きなものをとことん好きなだけやらせた」結果がこれにつながっているとの分析は凄く興味深いなと思いました。

また、#1カラシカシや#4マッサンさんのように勉強に対する嫌悪感が、少なくとも書きぶりからは伝わってこなかったことは、ご両親の「焦らず我慢強く『勉強は楽しいもの』という意識を子供に浸透させる」名戦略の賜物だなと。

②幼少期の興味分野と得意科目
幼少期に科学技術館にドハマりし理科系の図鑑を何度も読み直すような人でも、理数が得意になるわけではないのかぁ…と驚きと落胆が混ざった感情になりました。

幼少期の興味範囲の拡大は、得意科目を作る&苦手科目を無くすことに直接的な影響はあんまりなくて、「知識を得ることの喜び」=「勉強って楽しい」っていう、勉強意識の基礎・土台の生成への寄与にとどまるのかぁ…と。(いや、それが一番大事ではあるんだけど。)

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