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教育ログ4人目(私立・現役→京大工)

0.今回の教育答え合わせさん

→私立の中高一貫校から京都大学工学部に合格されたマッサンさん。今改めてご自身の教育を振り返った結果はこちら!

「何の取り柄も無い田舎者が京大に進学できたというだけで、合格点だと思います。反面、東大を目指してガリ勉するより、もっとバランスの良い人生があったのではないかと、後悔する気持ちもあります。」と語るマッサンさんの教育答え合わせに迫ります!




1.回答者略歴


Q:お名前を教えて下さい。
→マッサン

Q:年代を教えて下さい。
→40代

Q:ご自身の幼少期のキャラクターについて教えて下さい。
→自由奔放な祖母の影響を受け、私も自由奔放でした。それゆえ変わり者でもあり、集団行動は苦手で、しばしばイジメられました。
 
Q:ご自身の性格について、以下の観点でお答えください。

Q:最終学歴を教えて下さい。
→京都大学 大学院 電子工学専攻 修士
 
Q:そこまでのルートを教えて下さい。
→公立小学校 ⇒ 中学受験 ⇒ 智辯学園和歌山中学・高等学校 ⇒ 京都大学 工学部 電気電子工学科 ⇒ 京都大学 工学研究科 電子工学専攻

Q:大学合格時点での学習能力の自己採点をお願いします。
※各5点満点の6要素で15点以上となるよう配分をお願いしています。

Q:ご自身の各学習能力に関してどう考えていますか?

→幼少の頃から知的好奇心が旺盛で、それを伸ばせる環境を母が用意してくれました。

自分の興味関心と勉強法がマッチした教科は得意分野になり、物理は京大入試で満点、英語も満点近い好成績でした(いずれも自己採点)。
就学前、母は毎晩のように読み聞かせをしてくれて、就学後も惜しみなく本を買い与えてくれました。読書と公文式で培った理解力は、最も大切な基礎学力になったと思います。
一方、幼少の頃にさせられていた公文式では、間違うと怒られ、毎日のノルマを全問正解するまで何度も反復させられました。それがトラウマになり、間違う事に対する恐怖感があり、ストレス耐性が低かったです。公文式を離れても体に染み付いた習性から逃れられず、勉強を始めても間違えたら中座する事も多かったし、次に進まないので要領も悪かったです。
 
Q:教育の得点配分を教えて下さい。

Q:得点配分の意図を教えて下さい。
→私は田舎で生まれ育ちましたが、高卒で家業を継ぐ者も多い半農半漁の町で、小学校の同級生およそ130名のうち、中学受験をしたのは5名程度でした。そのような環境で、進学に理解のある家庭で育てられた事が幸運でした。
 
また両親の収入は平凡で、私立の中高一貫校に進学するだけの収入は無く、祖父母が金銭的に援助してくれました。進学のための学費を用意して貰える家庭で育てられた事。これも幸運でした。
 
マイケル・サンデルが『実力も運のうち』という本を書いていますが、全くその通りだと思います。家庭環境に恵まれ、両親や祖父母に支えられて今の自分がいます。
 
家庭環境に次いで重要だと思うのは、小学校の期間です。この期間に算数と国語の基礎学力を養えるかどうか。小学校で算数と国語の成績が悪かったけれど、難関大学に一般入試で合格しました、という方を私は知りません。
 
中学校の期間は、さほど重要とは思いません。ここで落ち込んでも、基礎学力があれば後の期間でリカバリーが効くからです。
 
受験を控えた高校の期間は、やや重要だと思います。高校は進学校でしたが、授業のレベルは高くなく、学外での勉強の工夫が無ければ学力を伸ばせませんでした。私の場合は、Z会や、大学への数学、あるいは代ゼミの衛星予備校など。自分の学力に合った勉強法に出会えた時、苦手科目が得意科目に変わる体験をしました。


2.保護者の教育スタンス(配点50点)

Q:ご家族の最終学歴について教えて下さい。
→父は佛教大学の経済学部を卒業。
新卒で地銀の営業をしていましたが、放送大学で教員免許を取って小学校教師に転職しました。最終学歴は放送大学かもしれません。母も京都の大学でしたが、京都女子大だったかな。うろ覚えです。弟は、父と同じ佛大で、教育学部です。父と同じ教師になりました。

Q:保護者の教育方針はどのようなものでしたか?
→父は放任主義で、母がレールを敷いてくれました。
 
父は小学校の教師で、土日も部活の指導や授業準備で忙しく、毎日ほとんど家にいないし、家に居る時は疲れて寝ていました。中学受験なんて必要ないという立場だったようです。
 
母は公文式の教室を運営しており、息子の成績が悪いと経営に影響するからか、スパルタ的に公文式をさせられました。小学校低学年の頃はサッカーやピアノや習字など一通りの習い事を経験しましたが上達せず、小学4年時に受けた日能研の全国模試で塾生よりも成績が良かったようで、私は勉強で身を立てさせた方が良いだろうと母は考えたようです。そのまま日能研の塾に通い、中学受験をしました。
 
Q:その教育方針はご自身の学業にどう影響したと思いますか?
→同級生130名のうち5名程度しか中学受験をしない田舎育ちで、しかも父は公立校の教師。普通なら中学受験なんてしない環境でしたが、母が普通では無いレールを敷いてくれた事が、最も大きな影響だったと思います。

Q:ご両親は学業に関してどんな接し方でしたか?
→両親とも高学歴ではなく、難しい勉強を教えられるわけではないので、基本的に任せっぱなしでした。ただし学校の授業では足りないと判断したら、Z会を受講したり、予備校の短期講習を受けさせて貰えるなど、勉強する環境を惜しみなく用意してくれました。

Q:今振り返って学業につながった、家庭内の文化や習慣があれば教えて下さい。
→就学前は毎晩、母が絵本を読み聞かせしてくれて、本が好きになった事。また、公文式を通じて文章読解力を身に着けた事は、大切な基礎学力となりました。

Q:ご両親の教育スタンスについての小計を教えて下さい。

田舎の平凡な家庭なのに、申し分の無い素晴らしい教育環境を用意してくれました。
 
しかし幼少期の公文式のスパルタ。あれは良く無かった。その後の人生に尾を引くトラウマを植え付けました。
 
また両親とも高学歴ではないため、勉強法については親のノウハウを継承できず、非効率だったと思います。


3.~小学校時代※小学受験含む(配点30点)

Q:小学受験はしましたか?
→していません。田舎育ちゆえ、私立の小学校が身近にありませんでした。

Q:小学校の頃の学業成績について教えて下さい。(全6レベル)

→私と同じくらい頭の良かった子もいたと思いますが、頭が良いキャラで定着していました。

Q:小学生当時の勉強への意識はどのようなものでしたか?
→小学校3年生までは、母に言われるがまま公文式をしていた程度です。小学校4年以降になると、自分は運動が得意でも無いし、絵も音楽も得意でもないし、勉強くらいしか残っていないというポジショニングに気づき始め、積極的に勉強していたと思います。

Q:小学校の教育環境についてはどう考えていますか?
→のんびりとした田舎の小学校で、学問に関する教育環境という面では良く無かったと思います。しかし、頭の良い子も悪い子も、金持ちも貧乏も、真面目も不良も、色んな子がいる中で、誰かが誰かを過剰に追い詰めるような事は無い、大らかな良い学校だったと思います。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

→低学年、中学年までは公文式。高学年は日能研の塾が主です。

Q:小学校まで習い事は何をやっていましたか?

Q:学習貢献度の高い習い事について、始めたきっかけを教えて下さい。
→母が公文式の教室を運営していた為、当然のように公文式をしていました。その後、小学校4年生の時に受けた日能研の全国模試で良い成績を取り、母の勧めに従って日能研の塾に通い始めました。

Q:習い事についての振り返りをお願いします。
→公文式の国語を通して読解力を培った事が、その後の全ての勉強の基礎学力になったと思います。公文式の算数を通して、計算速度が速かった事も中学入試には有利でした。
 
サッカーをしていましたが万年補欠で、こんなに運動が苦手なら勉強を頑張るしかないなというモチベーションに繋がりました。

Q:今振り返ってやればよかったと思う習い事は?
→陸上や水泳です。サッカーのようなチームスポーツだと、運動音痴は続けづらい。下手なりに、自分の記録と向き合って取り組める、個人競技をやっておけば良かったと思います。
 
体力が有ると無いとでは、何時間続けて勉強できるかという持続力が大きく変わります。若い頃ですら体力は重要ですが、中年に差し掛かった今は尚更、体力と健康の重要性を痛感しています。

Q:小学校までの読書について教えて下さい。
→就学前、母が毎晩のように読み聞かせをしてくれて、本が好きになりました。公文式のおかげで就学前から1人でも本を読めるようになっていたし、よく本を読んでいたと思います。日能研では月1冊、本が配られるのですが、自分では手に取らない本を紹介して貰えて、読書の幅が広がりました。
また、コペルやSciasやNewton等の科学雑誌を定期購読して貰っており、自然科学に対する興味関心を広げる事ができました。

Q:当時熱中していたことは何ですか?それは学業にどう影響しましたか?→小学校低学年の頃は昆虫採集に夢中でした。昆虫に限らず自然科学への興味関心が強く、理科の勉強は熱心に取り組んでいたと思います。
 
小学校中学年くらいからテレビゲームを覚え始めたと思いますが、勉強時間が減るという悪影響しか無かったです。

Q:小学校時にに学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→小学2年生の夏休みだと思いますが、毎日やらされる公文式が嫌になって、勉強机の隙間に教材を隠し、親には今日の分は終わったと嘘をつきました。親には嘘を見破られ、隠したって次が有るからな! と普段の倍くらいの分量を渡されて、終わるまで泣きながら公文式をやらされました。公文からは逃げられない、と悟った瞬間でした。

Q:小学生時代の教育環境の小計を教えて下さい。

→日能研の塾に通い、中学受験に合格し、その後の人生のレールに乗り始めた大事な時期でした。
 
親のノウハウを継承できず、手探りで勉強するしか無かった点は、もったいなかったと思います。公文式は、問題をパターンに当てはめて高速に解く訓練にはなりましたが、理解力を鍛える為には、もっと別の手段があったのではないかと思います。

4.中学時代※中学受験含む(配点5点)

Q:私立の中学受験は考えましたか?
→親に勧められて受験しました。

Q:中学行時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)

→入学時点では成績はトップクラスで、一度だけ5教科すべて学年1位を取った事があります。しかし少しずつ勉強方法が分からなくなり、授業についていけなくなりました。

Q:中学生当時の勉強への意識はどのようなものでしたか?

→数学、国語、理科など理解力で点を取れる教科はそれなりでしたが、英語と社会の成績が伸びませんでした。ついテレビゲームをしてしまったり、あるいはゴロッと休憩したまま寝落ちしてしまったり。

英語は、ものすごく怖い担任から職員室に呼び出され、通常の宿題プラスアルファで課題を出され、怒られるのが嫌で必死に課題をこなしているうちに平均点くらいまでリカバリーしました。こうして振り返ると、怒られるのが嫌で勉強しているあたり、なんとも他律的です。

後日談ですが、高校になって毎日、速読英単語を声に出して音読していたら、英語が体に染み付いて得意教科になりました。英語を暗記科目から理解する科目へと変えられたのが良かったと思います。社会は、受験まで暗記科目のままで、センター試験も5割しか取れませんでした。

Q:中学校の教育環境についてはどう考えていますか?

→東大か医学部どちらかを目指せという学校でした。宿題の分量もそれなりに多く、それが家での勉強時間にも響いていたと思います。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

Q:中学校時の習い事について何をやっていましたか?
何もしていませんでした。遠方の学校に通学する事で精一杯でした。

Q:中学時代に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→中1のホームルームで、担任が各生徒に将来の夢を聞いてまわるのですが、ロケットを作りたいとか、弁護士になりたいとか答えた生徒には漏れなく、それなら東大を目指せ、東大には最高の環境がある、と力説されました。ドラゴン桜が出版される何年も前の事です。
 
また、君達は東大を目指すのだから恋愛なんてしている場合じゃない。東大に受かれば恋愛なんて幾らでも出来る。我が校では恋愛禁止だ、という指導を受けました。恋愛がバレると停学になり反省文を書かされました。AKBが世に出る10年以上前の事です。

Q:中学校時代の教育を振り返ってどう評価しますか?

→学校の教師のレベルが高いわけではなく、勉強時間を増やせば成績が上がるという指導だったので、サボり気味の私は成績が低迷してしまい、苦しい時期でした。


5.高校時代※高校受験含む(配点15点)

Q:私立の高校受験は考えましたか?
→中高一貫であり受験はしませんでした。

Q:高校時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

Q:高校以降はどんな習い事をやっていましたか?
→何もしていません。予備校の短期講習などは行っていました。

Q:それぞれの習い事はどう活きたか教えて下さい。
→予備校の短期講習で、教え方の上手い先生にハマると、苦手科目が得意科目になるという経験をしました。高1の時、マドンナ古文で有名な荻野文子先生の短期講習を受講したら、古典だけでなく漢文までが得意科目になりました。

Q:高校以降の教育を振り返ってどう評価しますか?

通っていた高校は、教師のレベルが高いわけではなく、成績が悪いのは勉強時間が足りないからだ、というガリ勉系の学校でした。成績が伸びない教科も多かったですが、Z会や駿台の参考書、代ゼミのサテライト講義など、学校から離れて自分の苦手をリカバリーする手段に出会う事ができました。両親が、そういう環境を惜しみなく用意してくれたので、有り難かったです。

5.答え合わせを終えて

→社会人になって、ようやく見えてきた事は、難関大学の学歴なんて、たいした事ないという事でした。
 
将棋のプロ棋士になれるのは年間4人。プロ野球選手になれるのは年間100名足らずですが、東大には毎年3千名超の学生が入学します。他の旧帝大や早慶も2千~3千の学生が入学します。さらに東工大や一橋、筑波や横国、そして国公立の医学部医学科も忘れてはいけません。全て合計したら一体、何万人が難関大学に入学しているのでしょうか。
 
私の勤務先には毎年、東大を始め難関大学の学生が入社します。やはり東大卒が優秀かと言うと、そうとも限りません。東証プライム上場企業の役員の経歴を調べてみると良いと思います。東大卒に偏っているわけでは無いのです。
 
そう考えた時に、東大を目指せとガリ勉させられるような学生生活を過ごさなくても、もっとバランスの良い人生があったのではないかと、後悔する事もあります。
 
ただし京都の街で一人暮らしをし、自由を満喫した6年間は、私の人生の宝物です。東大でもなく阪大でもなく京大に進学して良かったと思っていますし、そのような環境を与えてくれた両親と祖父母に、あらためて感謝しています。

6.編集後記

どうも、#1のカラシカシです。バックグラウンドがほぼ180度違うにも関わらず、「勉強に対してのある種の強迫観念がある」という共通項からか、不思議な親近感を持って拝読させていただきました。

僕よりも知的好奇心の幅が広く、なおかつ、僕よりも数段試験結果も良好であった人をして「自分は勉強へのストレス耐性が低い」と自己分析せしめた学習環境(主に中学校・高校)の特殊さに驚きました。目標に対して努力を促すこと自体はある程度絶対的な正しさがある一方で、学力・学歴の意味や価値を相対化して捉えさせるような教育環境が大事だなと感じた次第です。


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