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教育ログ14人目(日向学院・現役→京大経済)

0.今回の教育答え合わせさん

→宮崎の中高一貫高校から京都大学経済学部に合格されたドラちゃんさん。今改めてご自身の教育を振り返った結果はこちら!

「小学校の時にもう少し学習を積み重ねられたのでは、中学生・高校生の頃はもう少し人生経験を豊かにするような時間の過ごし方もできたのでは、などの反省材料はありますが、自然と幅広いことに興味が向くような家庭環境、また高校生の頃の猛勉強での現役合格などを踏まえると、それなりの点数を付けられるかなと思っています」と語るドラちゃんさんの教育答え合わせに迫ります!

※本企画は、難関大学合格者が幼少期からどのような教育を受けて、そして改めて振り返った上で、それが学業成績に「どう作用したか」という観点から思い出し・分析する、という趣旨となっております。
企画者及び回答者に、学歴社会の肯定もしくは高学歴を推奨する意図はございません。


1.回答者略歴


Q:お名前を教えて下さい。
→ドラちゃん

Q:年代を教えて下さい。
→40代

Q:ご自身の幼少期のキャラクターについて教えて下さい。
→物怖じしないタイプ
 
Q:ご自身の性格について、以下の観点でお答えください。

Q:最終学歴を教えて下さい。
→京都大学 経済学部
 
Q:そこまでのルートを教えて下さい。
→公立小→(中学受験)→私立日向学院中学校・高等学校

Q:大学合格時点での学習能力の自己採点をお願いします。

※各5点満点の6要素で15点以上となるよう配分をお願いしています。

Q:ご自身の各学習能力に関してどう考えていますか?
→自分で計画を立てて、登校日は放課後と帰宅してから、あるいは早朝にと、合計4~5時間くらい、休みの日は朝から晩まで1日10時間くらい勉強していました。

耐久性やストレス耐性は、同じ高校の他の人よりもかなりあったのではないかと思います。高校1年まではそうでもなかったですが、高校2年生以降はそのような学習態度が身についていました。

一方で、得意だった世界史や英語、国語はともかく、数学は勉強しても勉強してもなかなか理解が深まらず、また勉強方法ももう少し要領よくできたのでは、との反省はあります。
 
Q:教育の得点配分を教えて下さい。

Q:得点配分の意図を教えて下さい。
→カエルの子はカエル、ではないですが、やはり家庭環境は重要だと考えます。

学習姿勢のみならず、そもそも難関大学にチャレンジし合格しようというマインドというかカルチャーを持つか持たないかから、保護者の考え方に大きく左右されるのではないしょうか?

そのうえで、実際には大学受験に近づくほど取り返しのつかなさが出てくると思うので、配点は高校に行くにしたがって大きくなります。
ただし、中学生で全く勉強していなければ、高校でひっくり返すのは少し難しい気もします。


2.保護者の教育スタンス(配点40点)

Q:ご家族の最終学歴について教えて下さい。
→父:九州大学医学部
→母:看護学校
→弟:神戸大学大学院
→弟:明治大学経済学部

Q:保護者の教育方針はどのようなものでしたか?
→ある程度は勉強した方がいいよ、という方針でしたが、「いい中学に、いい高校に、いい大学に」というようなプレッシャーを感じたことはありません。
 
中学受験をするために小学校5年生6年生と塾に行っていましたが、勉強漬けで苦しかったという思い出はありません。
マンガ読んだりゲームしたりと適宜遊んだりもしていましたし、やかましく言われた思い出はありません。
周囲では「医者の子どもは医者」というケースが多いなか、開業医でなかったこともあるのでしょうが、職業を継いでほしいというようなプレッシャーもありませんでした。
 
Q:その教育方針はご自身の学業にどう影響したと思いますか?
→実は高校1年生の秋くらいまで、成績は「上の下」くらいで、めちゃくちゃ良いというわけではありませんでした。

追い立てられるように勉強していれば、もしかしたらもう少し早くテストの点数は上がっていたのかもしれません。
一方で、地道に勉強を続けてきたことが急に成果となって表れて「勉強ってやったら返ってくるな」という成功体験を強く印象付けられたために、その後に勉強することがむしろ楽しくなったかもしれません。(教科によってはそうでもないですが)

Q:ご両親は学業に関してどんな接し方でしたか?
→上記と重複する部分がありますが、中学校受験のために小学校5年生から塾に通い始めるという後押しはありましたが、それ以外で「勉強をしなさい」とうるさく言われた記憶は特にありません。
何か言われたことで覚えていることといえば、「あなたはケアレスミスが多いから気をつけなさいよ」と母に言われたことくらいです。

Q:今振り返って学業につながった、家庭内の文化や習慣があれば教えて下さい。

【早寝早起き】
小学生の頃から、夜更かしということは許されない家でした。小学生の頃は9時就寝、中学生で10時就寝、さすがに高校生ともなれば12時まで勉強することもありましたが、12時を超えた場合には翌朝早起きして勉強するというスタイルでした。

【ゲームは1日30分まで】
ゲームをしていない時間に勉強をしていたかと言えばそういうわけでもありませんが、それでも1日30分までという枠は高校卒業まで概ね厳格に守られていたと思います。

【親が読書家】
特に父が読者家でした。家には大きな本棚があり、多数の本が並べられていました。
私自身は、「たくさん読書をしたな」と思えるのは小学校の3,4年生の頃と、高校2年生以降ですが、それでも親の読書姿は何かしら影響したのかもしれません。

夕食時はほぼほぼNHKのニュースを観ていた】
そして両親がそのニュースを観ながら色々と会話をしていました。小学生の頃は意味もよく分かりませんでしたが、中学生くらいからは、その会話に混ざってあーでもないこーでもないと話をしていました。

【とはいえ、音楽、スポーツなどなんでもござれの一家】
流行りの音楽は母親が先陣切って聴いていましたし、スポーツは一家総出で観戦に出かけたり、テレビで応援したりと楽しんでいました。
決して勉強だけしていたような生活ではなく、美味しいものを食べる外食など含め、アンテナを広く張れる環境だったように思います。

Q:ご両親の教育スタンスについての小計を教えて下さい。

→大学合格や、その後の人生において保護者のスタンスという点で問題もなく、さらに何かしてほしかったかということそんなこともなく、ということで、満点にしました。

 押し付けるわけでもなく、自発性を活かすように導いてくれましたし、そのうえで、早寝早起きや読書、社会や政治に興味を持つような家庭内の会話、幅広く興味関心を持つことができるような家庭内の趣味、など、振り返ればありがたいなと思うことはあっても、これは嫌だった、ということが殆どありません。


3.~小学校時代※小学受験含む(配点10点)

Q:小学受験はしましたか?
→していません。アメリカに住んでいましたので、そもそも選択肢がありませんでした。

ただし、選択肢があっても、おそらく自分ではその選択はしていませんし、親もさせてなかったと思います。
うちの両親はいわゆる「教育パパ、教育ママ」という人たちではなく、礼儀やしつけ以外のことはわりと自由にさせるタイプでしたので、幼稚園の頃から勉強勉強というような小学校受験をさせたとは思えないのです。

Q:小学校の頃の学業成績について教えて下さい。(全6レベル)

→勉強ができた、という感覚がないのです。さりとて全然わからなかった、という記憶もないので、そこそこだったのだと思います。

小学校5年生からは中学校受験を見越して塾に通い出し、中学校受験は2校とも筆記試験を通過したので、高学年はまずまず賢い方だったのだと思います。

Q:これはかなり意外です。得意教科・不得意教科を平均するとこのレベルというこでしょうか?それとも、全科目で時にはテストで70点くらいの点数をとることもあったということでしょうか?
上記とも被りますが、テストの点数がすごくよくて褒められ続けたという記憶がないのです。

なので、おそらく平均値ではないかと。悪い点数を取ることもあったと思います。
ちなみに小学校中学年くらいまでは国語が苦手でした。2年生の途中までアメリカの小学校に通っていたので、その影響もあるのかも。

Q:小学生当時の勉強への意識はどのようなものでしたか?
→テストの点数が悪いのは嫌だな、という意識はあったと思います。

中学校受験を目指すようになってからは、それは合格したい、という意識もあったとおもいます。
ただ、勉強を「楽しい」と思っていたかと言うと、そのような記憶は特にありません。

Q:小学校の教育環境についてはどう考えていますか?
→教師には恵まれたと思います。

特に小学校2年生と6年生の時の担任の先生のことはよく覚えています。
教え方というより、教師としての人格の出来た人たちだったなという印象です。

小学校では「群読」という行事がありました。
四半期だか半期に一度だか「群読集会」というものがあって、学年で、詩やなんかを暗記して、みんなで体育館に集まって読むのです。
他の学校からも視察などに来ていたように思いますし、大きな賞をもらったような記憶もあります。
他校にはないカルチャーだったのではないでしょうか?
振り返れば、暗記力や語彙などの学力を鍛えることに繋がったように思います。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

→低学年と中学年は学校の宿題だけやっていたように思います。
高学年は、学校の宿題に加えて塾の勉強もしていました。

Q:小学校まで習い事は何をやっていましたか?

Q:学習貢献度の高い習い事について、始めたきっかけを教えて下さい。
→英語教室も塾も親の提案です。

英語教室は、厳密には英語幼稚園の放課後(夕方)のクラスで、民家を改造したようなところで、外国人の先生と会話をするようなものでした。英語を聴く「耳」を維持するのには一定役立ったように思います。

塾は、中学校受験をするという前提で親に勧められて通いだしたように思います。

水泳についてはもはやほぼ覚えていません。自ら「やりたい」と言った記憶はないので、親の勧めでしょうか。あまり楽しくなかったような気もしますが、数年は続けていたので、忍耐力くらいは養ったかもしれません。

Q:習い事についての振り返りをお願いします。
→いずれもマイナスではなかったと思います。

ただ、水泳はなぜか通うのを早めに辞めました。辞めた経緯は覚えていません。

Q:今振り返ってやればよかったと思う習い事は?
→特にありません。

Q:小学校までの読書について教えて下さい。
→小学校3年生、4年生の時に年間100冊ずつくらい図書館の本を読んだ記憶はありますが、実は中身は全く覚えていません。

家に置いてあった本も特に読んだ覚えがありません。
記憶にあるのはマンガ本や、あるいは「漫画 世界の歴史」のような本くらいです。それとゲームの攻略本でしょうか。

国語の読解力や語彙くらいにはつながったのかもしれませんが、明確にプラスになったかどうかは分かりません。

Q:当時熱中していたことは何ですか?それは学業にどう影響しましたか?→ゲームでしょうか。1日30分しかできませんでしたが。

ゲーム三昧であればマイナスになったと思いますが、1日30分なのでマイナスにもならなければプラスにもなっていない、というところでしょうか。

Q:小学校時に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→実は何もありません。

強いて言えば、6年生の時の先生が「教員が集まる集会で後片付けを一生懸命したんだ。得点稼ぎだなんて思われたら嫌だと思ったけど、でもやることはやらなきゃいけない」という趣旨の話をしていたことは頭に残っています。学業というより「生き方」みたいな話ですが。

Q:小学生時代の教育環境の小計を教えて下さい。

→振り返れば、もっと勉強する余地も、読書や趣味を深める余地もあったのでは、という意味ではもったいなかったなと今回思いました。

ただし最終的な学習能力との関係で、小学校時代の振る舞いが大きな影響を及ぼしたとはとても思えないので、配点としては低くなっています。

4.中学時代※中学受験含む(配点20点)

Q:私立の中学受験は考えましたか?
→自分で決めたわけではありませんが、小学校5年生から塾に通いはじめた以上、中学校受験に合格したいと思って頑張りました。
ちなみに国立大学の付属中学は筆記試験を通ったものの、二次のくじ引きで外れました。

Q:宮崎県における公立・私立高校の学力レベルは公立>私立ですよね。それでも私立にこだわられたご両親の意図は何かございますでしょうか?
→宮崎県は、東大京大などの合格者数で言えば公立高校の方が相対的に多い県です。
とはいえ、中高一貫で学力を身に着けるという出身校の教育方針は、特に中学校入学時の進路選択において重要な要素であったと思われ、私立中学への進学を決めたのだと思います。

Q:中学行時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)

→厳密には1年生の初期と3年生の後半は上位10%に近付き、2年生は上位30%あたりまで下落した、という流れでした。

Q:中学生当時の勉強への意識はどのようなものでしたか?

→月に1度テストがある学校で、テストの点数を取りたい、という意味では勉強せざるを得ない環境でしたので、宿題やテスト勉強をせざるをえない、という状況でした。
中学生でも、勉強が面白いと思ったことはあまりなく、それでも社会が国語などはある程度面白いなと思い始めていました。

Q:中学校の教育環境についてはどう考えていますか?

→中高一貫の私立学校ですから、教師も大学受験まで見据えた教育をおこないますので、環境としてはよかったと思います。

夏休みの補習なども中学生の早い段階からあったように思います。また、カトリック系のミッションスクールでしたので、倫理的なもの、宗教的なものも含めて、公立の学校より特色があったのではないでしょうか。

ただし、中学2年生を中心にいじめのようなものを受けていて、それと相俟って体調もよくなく、その意味ではよく耐えたな、との思いがあります。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

結局は中高一貫校の高校段階に進むための入試でしたので、受験期に特別に何か勉強したという記憶がありません。

Q:中学校時の習い事について何をやっていましたか?

→実は、一度、公立の高校に進学しようと思って塾に通い始めたのですが、ある日、馴染みの友達と離れて1人公立高校に通い始めたあとの「夢」を見て、目覚めた後「ああ、外部受験やめよう」と思って、親に相談して塾を解約したのです。

嘘みたいな本当の話ですし「そんなことで?」と思われるかもしれませんが、振り返れば、あの時外部の高校に通っていたら、もしかしたら高校生の時に学力が大きく伸びるということもなかったかもしれない、と思うと、大きな出来事だったように思います。

Q:中学時代に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→言葉は特にありませんが、上記の習い事の質問で書いた「夢」のエピソードは鮮明に記憶に残っています。

また、言葉ではありませんが、学年主任だった英語の教師は大阪星光学院の出身の方で、よく星光のことを引き合いに出していました。そういえば、世の中にそんなすごい学校もあるのか、とぼんやり思ったことを思い出しました。

Q:中学校時代の教育を振り返ってどう評価しますか?

→高校以降の勉強の土台を勉強する時期ですから、配点としては決して小さくないと考えます。

ただし、私の場合、高校で十分に逆転できると考えますので、クリティカルな配点にはしませんでした。

テストの点数が大きく上がるというような成果を出せたわけではありませんが、部活である演劇部もほどほどにこなし、習い事も特にせず、仲間と日々遊び歩いた記憶もなく、振り返ればもっと充実した中学校生活にできたなとの後悔はあります。

しかし、教育内容自体は中高一貫校で高校生の内容まで中学3年生で一部学んでいくような環境でしたし、一定ついていけていたので、及第点かなと考えます。


5.高校時代※高校受験含む(配点30点)

Q:私立の高校受験は考えましたか?
→中高一貫校の高校進学受験をしました。

Q:高校時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)

高校進学後しばらくは成績は横ばいでしたが、高校2年の1学期終了ぐらいから急にテストの点数があがり出しました。高校2年の終わりにかけては学年順位が1桁台に伸び、3年生は大体5番以内だったと思います。

Q:高校以降の勉強への意識はどのようなものでしたか?
→高校生に入ってから、それまであったいじめのようなものもなくなり、むしろ仲良くなる子が増えるなかで、それなりに落ち着いて勉強する日々が続きました。

さらに言えば、当時好きだった子と学校の図書館で一緒に勉強するというような形で勉強習慣がついていきました。

また、高校2年生で成績が上がり始めてからは勉強することが楽しくなり(もっと点数を取りたい、というような動機ですが)学習時間が伸び、加えて高校2年生から読書にハマり、知的好奇心みたいなものが醸成されていくなかで、次々と好循環が生まれたように思います。

Q:高校2年生から読書にハマったとのこと、読まれた本のジャンルと量的なデータについて教えていただけますか?
→週に2冊くらいのペースで読んでいました(受験期はさすがにペース落ちますが)。

殆ど小説です。塩野七生氏の対トルコ3部作(コンスタンティノープルの陥落、ロードス島戦記、レパントの海戦)や三浦綾子氏の著作に加え、江国香織氏から大江健三郎氏までわりと幅広く。

なんでも面白い頃だったんですね(内容はほぼ忘れました)。昼食代にもらった500円でパンを買って食費を浮かせて、学校近くのBOOK-OFFで古本買って読んだりもしてました。

Q:高校の教育環境についてはどう考えていますか?
→高校2年生くらいまでにおおむねの学習を終えて、あと1年は受験勉強、といっても過言ではない環境でしたので、整っていました。

テストで競るような友達も多く、そういう意味での切磋琢磨もできました。

さらに、その当時の世界史の教師が、学校の授業以外にも時事問題も様々な話してくれたり、個別に世界史の小論文の対策などに取り組んでくれたことも随分プラスになりました。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

Q:高校以降はどんな習い事をやっていましたか?
→実は何もやっていないのです。
塾なども含めて、一切習い事をしていません。

Q:高校以降に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→高校2年くらいで急に学力が伸び出した時に、教師だったか親だったかに「こつこつやってきたことが花開いてきたね」と言われた記憶があります。

人に抜きん出て学習をしてきたとは思っていませんでしたが、その一方で日々の宿題は真面目にこなし、学校の授業も真面目に受けていましたので、こつこつ積み重ねたことは無駄にならないんだなと思った記憶があります。

こつこつ積み重ねたことは無駄にならない、というのは今にもつながる思いです。

Q:高校以降の教育を振り返ってどう評価しますか?

→今にして思えば、勉強ばっかりしすぎたな、というのが減点の理由です。

もう少し広い経験ができたのではないか、との後悔はあります。ただし、学業面ではこれ以上はないというくらい学習時間も積み重ねましたし、塾などに通うこともなく京都大学に現役で合格できたのは二重マルかなと思います。

5.答え合わせを終えて

→昔に勉強したことって意外と覚えていないものだと思って、なんだか怖くなりました。一体何を学んできたのだろうなと。

とはいえ、そのものずばりを覚えていなくても、世の中の物事に対峙するにあたっての姿勢や思考の枠組み、取組の手法などを身に着けるうえではやはり学習に勝るものはないと思いますので、成果が目に見えるようになったのは高校生の中盤以降ですが、逃げずに取り組んできたことの意味はやはりあったのだなと改めて感じました。

同時に、難関大学にチャレンジするだけが最上の生き方なわけではない世の中で、なぜそのルートを選択するか、にはやはり育った環境が影響を及ぼしているのだろう、とも感じました。なお、私の場合は経済的に恵まれていて中高一貫の私立高校に難なく通えたことなどは、格差の再生産の観点からも、そうではない子どもたちについて対応が必要な領域と考えます(余談ですけどね)

6.編集後記

どうも、#1のカラシカシです。
高学歴者はどうやって学力を身に着けるのか?の観点からの感想です。

≪勉強のストレス軽減≫
勉強のストレス軽減の観点では、ドラちゃんさんは「ゲーム感覚的に学力を伸ばすこと」が楽しめた、に該当されるかと思います。

興味深いなと思ったのはその感覚に至ったタイミングです。難関大学合格者で「ゲーム感覚的に学力を伸ばした」タイプの多くが小学生時代にその感覚を得ているのに対して、ドラちゃんさんは高2です!!

タイミングが早いか遅いかは一長一短あるなのかなと思いました。
以下、あくまで僕の推測です。ご意見あれば是非!

【早い】
メリット:勉強は辛いもの」というイメージからの早期脱却。
     →勉強に対するヘイト値が蓄積されにくい。
デメリット:そのゲームに飽きる可能性
     →中受から大学受験までそのゲームを楽しみ続けられるのか?

【遅い】
メリット:大学受験のタイミングでそのゲーム楽しめる。
デメリット:そこまでに勉強へのヘイト値が高くなり過ぎたらダウン。

≪他にやりたいことよりいかに勉強を優先させられるか?≫
ドラちゃんさんの場合、それなりに勉強の優先順位が高かったのかなと思いました。(=相対的に他の誘惑の優先度が低かった??)

一点気になったのは、僕が現時点で想定している6因子(親高学歴、学校が超進学校、勉強への圧力…etc)がどれも見当たらない中で、なぜ京大のレベルまで頑張れたのか?ということ。

この質問を直接ご本人にぶつけたところこんな答えが。

『昔からゲームが好きで、任天堂が好きだったので、任天堂の本社がある京都に進学して、そのまま任天堂にはいるぞ、と思ってました。
京都という街にあこがれもありましたね。まさか親が九大だからそれを超えたい、とは思っていませんでしたが、もしかしたら心の奥底では思っていたのかもしれません(でも親との関係はすこぶるよかったので、これは考え過ぎかも)

ちなみに京大受験を考え始めたのは成績が伸び始めたからです。それ以前は考えていなかった。そしてどうせやるなら合格したいと、そう思ったのです。

そういえば途中で「こつこつ勉強をしてきた」的なことを書いてきましたが、昔から頑固で負けず嫌いな性格なんですね。
やりはじめたら負けたくない、失敗したくない、逃げたくない、そんな性格でした(やりはじめたら、というのが肝で、負ける戦はしない、と裏腹でもあるのですが)。

負けず嫌い、というのは、ゲーム的な要素で勉強をするという姿勢と親和性が高いのですが、その一方で「他の人より深く理解したい」という探求心に繋がるようにも思います。ここまで書いてきて「負けず嫌い」ってかなり重要な要素なのかも、と思ったりします。』

なるほど、負けず嫌いはテストの結果という表面的なことにとどまらずに作用する可能性があるのか…。



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