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ルワンダ最貧困地区ミヨベへの視察~支援とイマジネーションについて~

「イマジネーションが及んでいないことがある」

こんにちは、みなみです。今回はいつものような話ではなく、まじめな話。NPO法人ルワンダの教育を考える会の方に同伴し、ミヨベという都市のキガリから車で2時間ほどの地域に視察に行ってきたのですが、僕が同伴した望月さんの言葉で特に印象に残った言葉です。今でも自分の中でずしんと響いています。簡単にその視察について書いていきたいと思います。

そもそも、ルワンダの教育を考える会とは

この法人は、戦争で心身共に傷ついたルワンダの子供達に対して、教育の機会を与え、民俗や宗教政治思想にとらわれることなく、その人らしく生きていくための様々な教育支援に関する事業を行い、ルワンダの平和に寄与する事を目的としています。

主な活動としては貧困地域への自立支援としての職業訓練や、子供たちへの給食の補助、学校運営のサポートなど。特に今回は給食支援を行っている幼稚園の子供たちの体調や身体検査を目的とする視察でした。

ただ正直はじめは少し躊躇がありました。この国のことをもっと知りたい、キガリ以外の地域も自分の目で見たいと思っていたのですが、自分はそこまで社会貢献意識が高かったり、正義感が強いわけではなく、寄付や募金活動などもほとんどしたことがありません。

この記事を書いている今もそうなのですが、そんな自分が、視察などについていって、子供たちやスタッフからしても冷やかしとしか感じられないのではないかと。

そんなことを心の端で思いながら、視察は始まりました。まずは移動。朝5時半に起きたこともあってか、半分睡魔と戦いながら標高2000m近くでアフリカとは思えない冷えっぷり。車酔いから逃れるために必死の思いでいただいた沖縄黒飴をなめること約3時間。ようやくミヨベにたどり着きました。

到着直後、驚くほどの歓迎ムードで、子供たちは歌を歌いながら僕らのことを迎えてくれました。歌を歌ったり、太鼓をたたいたり、僕の手をつかんだり、僕のポケットに手を突っ込んだり、あげくのはてには僕の服の紐を引っ張ったり。それぞれの子供が、それぞれの表現の仕方で僕らのことをもてなしてくれました(笑)。来る前はこんなに活気のあるイメージをもってなかったことから、これには少し意表を突かれました。

さらに驚くべきこととして、みんな、歌やダンスが上手。小学校のころの運動会では、担任の教師に『おまえだけゼンマイ仕掛けみたいやったぞ』といわれてしまうくらいリズム感という感性を抜け落ちたまま、生まれ育った僕にとっては衝撃的でした。特に1人の子供の太鼓裁きには、思わず嫉妬の感情が走るほどのセンスを感じました。

そこから少し彼らと戯れたのちに、視察の本目的である、子供たちの身体測定が始まりました。ただ彼らの楽しい雰囲気自体に大きく変わりはないのですが、そこには厳しい現実がありました。明らかに年の割には体重や、身長が追い付いていない子。栄養失調の子特有の頭の変色など。常におなかがすいているからか、葉っぱのようなものをかじっている子もいました。それは僕が育ってきたような日本の子供たちの環境とは明らかに違うものでした。

僕は常におなかがすいているような状態を知りません。おなかを壊し、1日満足に食事ができなかった日でさえ、本当に自分は死んでしまうと思うくらいつらかったのを覚えています。彼らはそういった状況にさらされているのだと思うと、自分には全く想像もできないような環境なのだと感じました。

望月さんと話をしているとやはり支援というのは簡単なものではなく、特にこの地域においては歴史的な背景などもあり、手に職をつけて働いてお金を稼ぐという感覚自体が、特にご高齢の方を中心に少ないそうです。だからこそ、どれだけ支援をしても根底の部分を変えないと持続的なものにはなりえない。一番変えないといけないのは、彼らの仕事や生きることへの考え方、マインドセットなのだと。

ただマインドセットを変えるというのは、途方もなく難しいものです。どこからが変わったといえるのか、どうすれば確定的に変わるのか、決して人というものは一般化できるような単純系ではないので、その人にあったやり方が必要だという点で人のこころというのはやっかいなものです。(その分素敵だなとも思います(笑))

そのわりに見えないからこそ評価されにくく、やはりお金を出す側としても何か結果が見えやすいものを選ぶことが多いため、なかなか支援を集めるだけでも大変になります。

望月さんとお話しするうえで、日本の援助の話になりました。僕もあまり寄付などは正直したことがないです。僕の場合はそれがどこに使われるのかが、自分の目で見て確かめて、明確でないとあまりしたいとは思えないというタイプでした。

ただ冒頭にも述べた望月さんの一言がとても印象に残っています。
「イマジネーションが及んでいないことがある」

例えば、さきほどの話でも「仕事につけていない」という表面的な問題だけを見て、じゃあ「スキルを身につければいい」という解決策を導くのではなく、そこで一番何が課題になっているのかをしっかり見極めると、支援を受けている方のマインドセットこそが根底の原因になっているのだと気づくことができるのだと思います。

そうすることで、結果が見えづらいかもしれないけれど、一番支援をしなければいけない部分が見えてくるのかもしれないと思いました。これにはきっと表面を見るだけではなく、その人たちの奥にまで踏み込んでいくイマジネーションが必要です。

また寄付やクラウドファンディングの現状として、たとえば直接的な子供への支援などには援助をすることが多いが、援助を現地でしている職員の人の運営などには援助がなされることが少ないといった事例などがあるらしいです。

もちろん、援助をするのはその人のお金だから、使い道はその人の自由だと思うのですけど、僕の場合は「ああ、たしかにそこまで考えていなかった」と思えたんですよね。これもまた、僕のイマジネーションがそこまで及んでなかったからこそ生まれた自分の中のイメージと現実との乖離なのだと思いました。

自分は目に見たもの、感じたものを大事にしたい。そう思ったからこそ、アフリカまでやってきました。ずっとそう思ってきたし、今でもそう思っています。

でもそれだけでは成り立たない。足りない部分をどう補うのか、自分の見ることのできない世界を補うのは、僕ら人間の持つ最大の武器であるイマジネーション、想像力なのだと思います。

それは決して支援の話だけではなく、仕事でも、ニュースでも何でも。だって自分の見える世界は、自分の見てきた小さな世界だけなのだから、そこだけで暮らしていくことはできないから。

普段まじめな文章を書くのは少し苦手なのですが、僕のこの文章や写真、この出来事を通じて少しでも、このミヨベに住む子供たちや支援の状況などについて誰かのイマジネーションが働くきっかけになればと思い、自分の中でも探り探り書いてきました。視察に連れて行っていただいたNPO法人ルワンダの教育を考える会のみなさん、本当にありがとうございます。

長くなりましたが、最後まで読んでいただいた方はありがとうございました。シェアやいいねなどをいただけるととても喜びます

いまはもう募集自体は終わっているのですが、こちらが今回訪れたミヨベでのクラファンです。


大阪大学の理系学生(休学中) アフリカが足りないという言葉に魅せられ、ルワンダに4か月間のインターンシップに来ています。主にこっちでの生活で感じることを徒然なるままに綴っていきます。