怒涛の入国編

ウガンダ旅行記 前編 怒涛の入国

6月27日水曜日 天気は雨。
雨は決して嫌いではないのだが、朝、眼が覚めると少し憂鬱な気分になった。

僕はウガンダの首都カンパラにいて、この地から離れるか、とどまるのかを迷っていた。ただ雨の音を聞いた瞬間に、一気に移動する気持ちがそがれてしまった。

カンパラには少し飽きはじめていた。カンパラはアフリカの中では、それなりに発展しているほうだと聞いている。探せば、ある程度は何でも見つかり、ケンタッキーや日本のラーメンなんかもあったりする。だからこそ、少しつまらないと感じてしまうこともある。

ウガンダに到着してから5日以上がたっていた。

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ビザの関係で、ルワンダからの出国を命じられ、まだルワンダにおおいに未練を残した僕は先人の知恵を借り、イーストアフリカビザなるものを獲得し、3か月の間という限られた時間の中では、ルワンダ、ウガンダ、ケニアという東アフリカの3国間を縦横無尽に駆け巡ることができるようになった。

ただし、いったんルワンダからでないといけないことに変わりはないので、戸惑いながらウガンダに1週間ほどの小旅行へ出かけることが決まった。この通達を受けたのは6月12日、実に出国の10日前であった。
(旅の訪れは突然やってくるものだと聞いたことはあったけれど、これはいささか急すぎる)

ウガンダへ行くならば当然陸路と、これはずっと前から心に決めていた。島国である日本に住んでいる僕には国境という感覚がない。どうせ行くならば、国と国の境目を渡りたい。ボーダーという概念へのあこがれを形にしたいと思っていたからだ。ちょっぴり本音をいうとお金を節約したいという学生らしい堅実かつ、面白みのない理由であったりもする。

深夜特急へのあこがれもあって、長距離バスでの移動を考えていたのだが、偶然、ウガンダで予定があったルワンダでのホストファミリーの方の車に相乗りさせていただくことになった。いざ具体的に旅程が決まり始めると、胸が高鳴るものがあった。少しルワンダに慣れてきたこともあってか、ウガンダへの旅路は、僕にとって大いなる刺激であり、またそれが唐突にやってきたという背景の酔狂さが、さらにこの旅を魅力的に感じさせた。

さて、出国当日になると落ち着きがないもので、早朝、必要な荷物を詰め込み、ビザの申請に必要な書類や、パスポートなどの忘れ物がないかを入念にチェックする。元来、不注意な僕でもここでパスポートを忘れてはしゃれにならないと思い、何度も鞄のチャックを開け閉め、開け閉め繰り返した。いったん不安になると、あれも忘れていないかと確かめたくなり、しまいには鞄の中のほとんどの荷物をひっくりかえすはめになってしまった。

そこからは第一目的地であるルワンダ側の国境ガチュナにつくまで、車に揺られること約3時間。ルワンダの首都のキガリから30分ほどすると、ずーっと同じような古き良き、緑と農地の風景が広がっている。ほんとに右を見れば山と農地、左を見れば、崖、たまに村のようなものが現れ、AirtelやMTNといった携帯電話サービスの路上屋台がぽつんぽつんと設置してあるばかりだ。

基本的に車酔いがひどい僕は酔っては、眠ってを繰り返していると気づけば、ガチュナに到着していた。国境といえど、左側は崖、右側には農地という構図は変わらない。どこから、どこがルワンダ人の農地、ウガンダ人の農地と区別されているのだろうかと少し疑問に思ったりもする。

同行したルワンダ人によると、出国審査にはいつもは数十メートルの行列が並んでいるものらしいのだが、今日にいたっては僕の前には4人ほどしかいなかった。不安に思っていた審査は、あっけないほどあっさりと終った。

問題なのは僕の英語力くらいなもので、受付の女性がゆっくりと
「オキュペーションは?」とたずねているのに対して、
「僕はこの国でインターンシップをしようとしていたんだけど、、、ごにゃごにゃ」などと、とんちんかんな回答をしているので、見るに見かねたホストファミリーの方が「彼は学生です」と簡潔に説明してくれた。少しだけ自分が心配になった。

そうして、大した問題もなくルワンダ側の手続きを終え、いよいよ夢にまで見た国境越えのタイミングとなった。いよいよかと、どきどきわくわくしてラインのような場所を通過して、ウガンダに入ったのだと感慨深い気持ちになっていると
「ここはまだバッファだね」と告げられた。僕の小さな感動を返してくれという気持ちになったが、ここでは言わなかった。

どこにでもあるのかは知らないが、国境にはバッファがある。バッファがあるのはわかったのだが、なぜか普通に生活感満載の人たちがバッファを歩いていたり、ましてや近くの農地にいたりするのだ。どこからがバッファで、どこからがウガンダなんだろうと、少しここで暮らす人たちのそのアイデンティティには興味がわいたが、そんなことを考えているうちに本物の国境に到着した。
 
次こそが本番でいよいよビザの発行。こちらもルワンダ同様で、いつもはめちゃくちゃならんでいるらしいが今回はそこまで長い行列ではなかった。ビザの申請を待っていると、二人組の黒人の女性が何もなかったかのように、僕の順番を抜かしてきた。

ここに並んでいただろうという反論をすると、彼女たちは
「でももうスタンプを押したからいいじゃないの」
と嘲笑ってごまかそうとした。彼女たちの態度にはさすがに腹が立ったが、かといってどうしようもない。そのままあきらめて自分の順番が来るのを待っていた。
 
いよいよ申請で、ここでもそこまでの緊張はなかったかのようにあっさりとビザが通った。これで正式にウガンダに入国することができた。

ルワンダサイドにはいなかったのだが、ウガンダサイドには観光客狙いで、ウガンダシリングへのチェンジを求めてくる男たちがたくさんいる。彼らはおそらくぼったくったレートで僕らに、チェンジを求めてくるから相手にすることはない。でも一人集まれば、はぐれメタルのように仲間を呼ぶ。そうして僕らの車の周りにはいつのまにか3~4人のウガンダ人の男たちがたむろしていた。

ウガンダサイドについてもやることは大きく変わらなかった。車での移動で国境から当日の目的地のムバララまで約4時間。ただ1つウガンダサイドで僕を大きく困らせたことがあった。ウガンダの道路はとてもぼこぼこかつ、スピード違反を出しすぎる事故防止のためか、ときどき3連続での段差のようなものが道に現れるのだ。

この段差を渡るとき、もちろんスピードを緩めるのだが、それでも車中は揺れる。揺れれば揺れるほど、酔いが加速するので、自分の体をうまくコントロールしながら、集中を保つのが大変だった。

ようやくムバララについたころには、夕方の5時半を回っていた。当日ホームステイ先の方が予約していたホテルにたどり着き、ようやく一安心でベッドに転がり込んだ。安心したせいか、腹がすいているのに気付いた。そういえば昼時に食べた、おかしのミニケーキ以来特に口に入れていないのに気が付いた。

ホテルの食事はそこそこにおいしかった。ナイルと呼ばれる現地ビールを片手に食う。ワールドカップがやっていて、ちょうどナイジェリアの試合がテレビでやっていたので、みんなでかぶりつくように見ていた。どうやらアフリカの人たちは自国が出ていない場合は、同様のアフリカの国を応援するようだ。これがアフリカのコンティネントとしての意識なんだろう、日本人にはない感覚なので、お互いを応援できるのが少しうらやましい気もする。
 
腹も満たされたことで、長時間の移動で疲れていたのですぐに眠りについてしまった。 友達の家の段ボールですらぐっすり眠れる僕は、ましてや知らない土地だとしてもベッドであるのでぐっすり眠ることができた。

次の日の朝、支度をし、まずはウガンダで使うWi-Fiとウガンダシリングを手に入れて、いよいよメインの目的地であるカンパラへ向かうことになった。ここまで一緒に連れてきてくださったホストファミリーの方とドライバーはムバララに用事があるのでここで礼を言い、短い別れを告げた。

カンパラ行きのバスを探すために、バスターミナルへ向かったのだが、どうも怪しいなりをしたおじさんしかいない。どうしたことかと、とまって携帯を触っていると、おじさんが話しかけてきた。
「カンパラ行きたいの? このバス、サービス、もうすぐでるよ」
あまり意味の理解できなかったのと、少し怪しい雰囲気にもかかわらず、その押しに負けて僕はバスに乗り込んでしまった。

ただバスに乗り込んだ瞬間に、僕は自分の軽率な判断に後悔した。座席はぼろぼろ。後ろまで見渡しても乗客は6人ほどしかいないのだ。怪しさしかないこのバスに乗り込んだ自分の運命を想像し、軽率な自分を呪った。
(もしかしたら、このバスが向かう先は人身売買とかなのかもしれない。自分は観光客っぽいからカモにされたのだ。いざとなったらバスから飛び降りるしかない)

そんな妄想もいざ知らず、驚くほどすぐにバスは止まった。5分も乗っていなかったろう。止まった瞬間に「降りて」と運転手に告げられる。なにごとと思ったのだが、どうやらこのバスはバスステーションまでの送迎だったらしい。ただその怪しさはぬぐえないので、強引に引き留めるバスへの客引きから逃れるためにトイレへと向かった。

そこから事前に聞いていた一番安心なバス会社を探すがいつまでたっても見つからない。しまいには近くにいたおじさんに聞いたのだが、全然違うバス会社に連れていかれそうになり、そのおじさんに
「なぜここのバス会社じゃダメなんだ、言ってみろ」
と怒鳴られる始末。

よくよく考えると、そのバス会社でなくてはならない理由など特にないのではと考え始めた。ただそれまでこの旅には、ホストファミリーの方やドライバーなどの同行者がいたけれど、急に一人になり、自分の判断で進めるのが少し怖かったのかもしれない。仕切り直しと考えて、いろんなバス会社の中で最もまともそうなものをチョイスした。さっきのおじさんの紹介した会社はよくよく調べると死人が出るような事故を過去に起こしていたので遠慮しておいた。

いざバスに乗り込むと、すこしあっけにとられた。長距離バスくらい、日本でも乗ってきたから大丈夫だろうと思っていたがそれは勘違いだった。ウガンダのバスはまさかの4列シートならぬ5列シートで横幅も日本のものよりか、幾分か狭かった。また赤道直下の国ということもあり、とにかく暑い。そんな狭い中、4時間もこのバスに閉じ込められるのかと思うと、少しめまいがした。

このバスというのがなかなか曲者で、ウガンダ名物がたがた道路の影響をもろに受ける。僕は後ろから二番目の列の窓側だったのだが、特に後ろのほうは揺れるたびに座席が少し跳ねるのだ。酔いをまぎらわすために寝ようとするのだが、なかなか眠ることもできない。眠れそうになるたびに、座席からどんっと跳ねてしまう。

またこのバスにはもう一つ面白い点があり、日本ならばパーキングエリアのような場所で休憩をとるのだが、このバスは集落のような場所に泊まっては、バスに物売りが集まり、やれ焼き鳥やら、チャパティやら、ソーダを売り始めるのだ。まったく見知りもしない、僕にヘイブラザーと声をかけてくる。あきれて、お前のブラザーは世界中にどれだけいるのだと聞きたくなる。

はじめのうちは物珍しく見ていたのだが、それがあまりにも何度も繰り返されるのでだんだんとはやく目的地へ進んでくれという気持ちになった。だが彼らはありとあらゆるものを売りさばいていく。1リットルはあるだろう牛乳を売っている人もいた。誰がそんなものを買うんだと思っていたのだが、これを買う乗客がいるのも面白い。

僕も空腹がゆえにたまらず、焼き鳥とチャパティとファンタを買ってしまった。これ全部あわせて200円もしないのだからお得である。焼き鳥は思っていたよりも固く、紙切りずらかったがうまかった。だんだんと揺れにも慣れてきたかなり眠ることができた。

11時に出発し、15時になってもまだつかない。4時間といわれていたが概算のようだ。眠ることにも飽き、だんだんとまた気持ち悪くなっていく。バスにはラジオがかかり、4時間の密閉空間により、熱気もピークに達している。早くつけ、早くつけと何度願ったことか。

ただ本当の地獄はここからだった。そこまで永遠に真っすぐを進んできていたのだが、いよいよ狭い路地などの町に入っていき、ようやくつくかと思ったその時、車内全体が大きく傾いた。外を見ると、本当にここバスで通るのかよと思うような道に達していた。水たまりだらけ、土ででこぼこ、横の車の長さより狭いんじゃないかというような道のりを、迷うことなくぐんぐん進んでいく。

その迷いのなさは結構なのだが、そのおかげでバス内は並のジェットコースターよりも大きく揺れる。それもたちが悪いのは、一定のリズムもくそもなく不規則に揺れるから、かなり危ない。特に僕のいたのがタイヤの真上だったのだろう。さらに僕の気分の悪さは加速していく。
(とにかく早くついてくれ、それ以上は何も望まない…..)

ようやくついたころにはもう4時だった。疲労困憊なので、声をかけてくるバイクタクシーにすら腹が立って、無視するか、必要ないと怒鳴るかしていた。ようやく一息ついて、予約していたホステルへ向かうことにした。

バイクタクシーに乗って、向かっていくのだが、ウガンダではルワンダとは違い、誰一人としてヘルメットを着けようとしない。この辺の厳しくなさはさすがにルワンダとはちがう。ルワンダは社会主義と揶揄されるくらい、政府が強く、それだけ警察の力も強い。ただウガンダでは、もう言ったところで誰も守らないから仕方がないよねという一種あきらめのスタンスがうかがわれる。

そうこうしているうちにバックパックホステルにたどり着いた。思っていたよりもずっときれいで、たくさんのヨーロッパやアジアからの客がいる。案内された部屋には二段ベットが3つあり、どうやら一つのベットはすでに占拠されているようだった。僕は下の段の別途を一つ選び、ようやく落ち着くことができた。

落ち着いたとたん、ぐっと移動の疲労がやってきたが、ホステルの非日常感から、どこかしら自分がまるでバックパッカーになることができたような気がして少しこの疲れにもなまじ誇りのようなものを覚えていた。どこかで、あこがれていた自由のようなものをつかみ取ったような錯覚さえ得ることができた。

少しゆっくりしていると、同部屋の若者がやってきた。つたない英語で自己紹介すると、彼は流ちょうな英語で自己紹介をしてくれた。彼はどうやらイングランド出身らしい。
(そりゃあ、ちがうわなあ)

それからたまっていたメッセージなどを消化し、夕飯をどうしようかと迷っていたらイングランド出身の彼が話しかけてきた。
「これから何するんだ?」
「えーっと、特に何も決めていない…..」
「ミュージックフェスティバルに行くんだけど来るかい?」
なんだそれは、と一瞬身構えたものの好奇心に従い、迷わずイエスと返事した。

それから少し準備をすると、ミュージックフェスティバルへ行くのであろう、宿泊者が続々集まってきた。国籍から、性別、肌の色まで様々なメンバーが集まり、みんなでミュージックフェスティバルへ向かうことになった。

ミュージックフェスティバルはどうやらローカルな音楽祭りらしく、入場料は無料、酒代だけがとられるという仕組みだ。アフリカをどことなく感じさせ、それでも独特すぎず、日本人の僕でものれるような音楽がたくさん演奏されていく。

普段はあまりはしゃぎすぎることがないけれど、酒が入っているせいもあってか、ミュージックに合わせてみんなと一緒にダンスともいえない舞踊のようなぎこちない踊りを披露していた。まわりを見渡すと、驚くほど外国人が多く、いくらかいる現地人は到底まねできないような器用なダンスを繰り広げていた。

たまにはこういうのも悪くないなと考えながら、酔いがさめることもなく、ホステルに戻った。眠りにつく前にこれからの旅程を確認した。

ウガンダで一番楽しみにしているのは、サファリツアーだ。日本では到底体験できないだろう、星空と日の出、それからたくさんの野生動物たち。これを見ることで何らかの自分の価値観にも影響するのでは。そんなことも考えながら、ピークに達した疲労から蚊帳をセットすることも忘れ、ぐっすりと眠りについてしまった。

つづく



大阪大学の理系学生(休学中) アフリカが足りないという言葉に魅せられ、ルワンダに4か月間のインターンシップに来ています。主にこっちでの生活で感じることを徒然なるままに綴っていきます。