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本当の思いやりとは


いつぶりか分からないくらい久しぶりの更新になってしまった。

自分がふと感じたこと、疑問に思ったこと、心が動いたこと等は、やはり記録として残しておきたいと思いつつこの更新頻度では全く説得力がないが、2020年も(2020年こそは)ちょこちょことでも色々と書き留めていけたらなと思う。


さて、最近思うのが、「本当の思いやりって難しい」ということだ。






韓国留学生活の中で少し虚しくなる瞬間というのが度々あった。


それは、韓国語で話しかけているのに、日本語や英語で返答される時である。

基本的に大学から第2外国語を学習する日本と比べ、韓国では中学や高校から第2外国語の授業が設置されているなどの背景もあり、ある程度、日本語が話せる韓国の方がとても多い。(あとは日本のアニメや漫画が広く浸透している影響もあるのだろう)

そんなこともあってか、(いくら韓国語を勉強しても、発音やイントネーションを通して滲み出る“日本人ぽさ”を隠すのは難しく)私が韓国語で話しかけても “あ、外国人だな(日本人だな)”と思われ、韓国の方から日本語や英語で返される時が度々あった。

それは、「相手が理解しやすいように」という思いやりなのか、はたまた「この機会に日本語を使いたい、練習したい、もしくは日本語力をアピールしたい」という意欲なのかは分からないが、韓国語で話しかけても、韓国語で会話してもらえないというのは、想像以上に少しきついものがあった。(自信もなくなるし、韓国語で話している自分を認めてもらえていない気分になる。何のために留学に来たのか、と感じる時さえある。)

一方、日本語がとても上手なある韓国の知人が、日本旅行でとあるカフェに立ち寄った際、日本語で注文したのに店員からは英語で返答され、“自分の日本語力はこんなものなのか”とショックを受けた、という話も聞いた。

相手が外国人だと分かったうえで「(相手が理解しやすいように)英語や相手の母国語で話すという思いやり」と、「相手が今まさに使っている言語をそのまま使ってあげる思いやり」。

難しいが、私の立場で言わせてもらうとぜひ後者を推奨したいところである。



状況は変わるが、こんなこともあった。

韓国から帰国し、久しぶりに日本でバスに乗ったある日。

時刻表に書かれている時間はもうとっくに過ぎているのに中々バスが来ないと思っていると、それもそのはず、やっと来たそのバスの運転手さんは、とても穏やかで親切な方だった。

年配の方が乗ってくると、「ゆっくりでいいですからね~」と優しく声をかけ、後ろを振り返ってその方が席につくのを最後まで見守り、それから穏やかに発車させる。そして、バス停に止まる度に、乗客が焦らず降りられるように、また優しく声をかける。

韓国のバスは日本のバスと比べて、かなり揺れるし、乗車・下車がせわしない。そのことを、たまたま知り合った、バスの運転手をされている韓国の方に冗談ぽく伝えると、「でも時間に遅れる方が怒られるからね~」というような返答をされた記憶がある。

先日、日本で乗ったそのバスは、運転手さんの親切な姿勢に胸を打たれつつも、結局、予定時刻よりも15分くらい遅れて到着したことにより、私も友人との待ち合わせ時間に遅れてしまった(まあバスは元々時間が読めない乗り物なので早めに行動しなかった私が悪いのだが…笑)。

乗客の安全と安心、時間に忠実であること。どちらも大切なことだがちょうど良いバランスをとるのは困難なのだろうか。


本当の思いやりと、その難しさについて考えさせられた2つの出来事である。



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