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サディズムの極北~ニンゲンは案外、頭だけでは腑に落ちない~

『半所有者』河野多惠子 著:新潮社

瀬戸内寂聴の小説『いのち』の主要登場人物である、この著者に興味が湧いたので本書を手に取った。初めて読む作家にしては、ものすごい小説だった。この作家の独自世界への洗礼というのか…。

内容は、(話していいのかな…)49歳で亡くなった妻の通夜の夜に、死んだ妻への執着が抜けず、その遺体とまぐわう夫の話。

ただ、不思議なのは、下品ではないんだ。その夫の執着自体は怖いけど。狂気というのか、狂気と愛は紙一重というのかな。

小説によると、法律的に死体は厳密には、所有者や所有権がないのだそうだ。ようするにそこは、宗教的感情とか慣習とか常識に委ねられる問題なんだろうな。面白いのは、遺骨になればこれは相続法で所有権が発生するのだそうだ、なるほど。で、夫はそこで死んだ妻は自分の物だ、おれの所有物だと思うのだ。(いや、半所有物だと。でも、なんで半なのかな)そんで自分の物だから、独占して当たり前、当然意思の疎通や了解などなくても、当然。セックスして何が悪いんだ馬鹿野郎、という理屈。すごいな・・・。

まぁ、さておき。この夫。やっぱりなんか怖い。妻の死顔を眺め、死んだことが実感できず、ようするに肉体的な実感がないんだな。その実感を確かめるために遺体と性交するのだ。なんか突き抜けすぎている。

 そういえば以前、津村節子の小説に、妻が死んだ夫の骨壺から遺骨の断片を取り出し、その断片を口に入れて食べるというのがあった。それは嚙み砕くときに、しゃりしゃりと音がして、それは無味無臭で、そこで初めて死を実感した、とあった。そういうのと同じ感覚かもしれない。外から見れば、それは一瞬ぞっとする行為だけれど、案外当人にとってはそれは必然の行為なのかもしれない。人間は案外、観念では腑に落ちない生きものなのだ。

ある意味、究極の愛だと思う。狂気と愛の狭間は案外にギリギリに隣接し、クロスオーバーするのかもしれない、とも思う。その猟奇が、耽美だし、ともすれば描写が美しくもあるのは、作者の力量。サディズムの極北の果ての光景を見た気がした。44ページしかない掌編小説。だが、かなり濃厚。本の装丁も凝っていて耽美。谷崎潤一郎も真っ青だろうな。2001年発行、川端康成賞受賞作。

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