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保育シリーズ|娘の口に無理やりビーズを入れられた日の教訓。

娘が保育園に通っていた頃、とんでもないことが起こった。
なんと年上の男の子にビーズを口に入れられたのである。
そして、飲み込まされた、、、。

それはお昼寝中のことでした。
遊戯室に全園児の布団が敷いてあり、娘が年中組で、近くに年長組の子どもの布団が敷いてありました。
娘はなかなか寝付けなかったようで、男の子も起きていて、側にいた娘は口に直径5ミリ程のビーズを入れられたのです。
もちろん、保育士は居ましたが、見ていない時に出来事が起こりました。
怖くて声も出せず、抵抗できないまま、その場では助けを求められなかったそうです。
そして、お昼寝の時間が終わってから、ようやく保育士に伝えることができたみたいでした。
すぐに担任と娘で、ビーズを入れた男の子に話を聞きに行くと「ぼくはやっていない」と言っていました。
何度聞いても「やってない」と言うので、らちがあかないようでした。
私の経験上、やった子は怒られることが分かっているので「やってない」と言う子がいます。



奥さんが保育園に娘を迎えに行くと、担任から事情を聞いて、愕然としたそうです。
そして、私も仕事から帰ると、奥さんに説明を受けて、大変ショックだったことを覚えています。
大事な大事な娘に何てことをしてくれるんだと、怒りが込み上げてくると同時に、娘が恐怖に怯えていた姿を想像すると、不憫で涙がでてきました。

それから娘がされたことを証明したくて、身体に入ったビーズが出てくることを確かめようと、毎回、娘のうんちをビニール袋にとり、ビーズを探しました。
異物が娘の身体の中にあることが嫌で嫌で、起きてしまったことは消せませんが、せめて、ビーズだけは取り出してあげたかったのです。
しかし、すぐには出てきませんでした。
その日は出てこなくて、心配で夜も眠れませんでした。

朝を迎え、不安な気持ちのまま仕事に行きましたが、そわそわした感じで落ち着きません。
仕事中でも奥さんからの連絡を待っていました。
すると、ようやくビーズが出てきてくれて、すぐに私に知らせてくれたため、ほっと胸を撫で下ろした記憶があります。
そして、降園した後でしたが、保育園にビーズを持っていき、取り出せたことを報告すると、園長先生と担任の保育士は何度も謝っていました。
次の日にビーズを口に入れた男の子に見せると観念したようで、自分がしたことを認め、娘に謝ったそうです。


しかし、残念だったことに加害者の子どもの親から謝罪がありませんでした。
親には「やってない」とまた言っているようでした。

子どもは親の謝る姿を見て、自分がしたことの重大さを感じ、さらに反省をすると思います。
このようなことがまた繰り返されないかを危惧しました。
そのことがあり、我が子がもし、他人様に悪いことをしたら、私は絶対に謝ろうと心にきざみました。

そして、娘の気持ちを考えると、自分がされる以上に辛くて悲しいことでした。

余談ですが、

私が保育園に勤めていた時に他のクラスで起こった出来事で、自分で鼻にBB弾を入れた子やドングリを鼻に詰まらせた子がいました。
えっ、まさかドングリを鼻に入れるの?とビックリしましたが、子どもは予測できないことをするものです。

それ以前から、子ども達には鼻に物を入れないように指導していました。
散歩中は特に注意していて、BB弾やドングリが落ちていれば、遊ぶ前に「拾うのはいいけど、鼻には入れないでね」と伝えるようにしていました。
そして、子ども達の遊ぶ姿を注意深く観察して、大事に至らないように神経を張りつめていたぐらいです。

また、めったに叱らないですが、叱るポイントを2つだけ決めていました。
1つ目は、危険なことをしているときです。
保育士は子どもの生命を守る使命があります。
安全、安心をモットーにしているため、自分や友達に危険なことをしている時は叱りました。
何が危険だったのかを知らせ、どうしたら安全にできるのかを一緒に考えたり、指導したりしました。
そうすると子ども達も納得して、次からは気をつけようと意識が芽生えます。

2つ目は他人に迷惑になることをしている時です。
相手が明らかに嫌がっているのにやめない場合です。
保育園は集団で生活しています。
良くも悪くも一人ではありません。
自分と他人を尊重できる保育を目指していたので、友達の気持ちに気づける援助を心掛けていました。
お互いに話し合う機会をつくり、何が嫌だったのかを言葉で伝え、相手に伝わるようにしていました。
トラブルがあった時に、1つ1つの対応で随分違ってくるものです。
叱るだけですと、叱られたことに強烈なインパクトが残り、なぜ叱られたのかが理解できませんから、嫌だったことだけが脳にインプットされます。
だからこそ、丁寧に関わることがとても大事になってきます。
ここを疎かにすると、怒られると分かることは隠したり、正直に言えなくなったりするのです。

子どもが安心、安全に遊び、成長のドラマを身近で見られることが、保育士の一番の喜びだと思っています。
今でも、このようなことが二度と起こらないことを切に切に願ってやみません。

いつも最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

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