山上 亮

やまかみりょう。整体ボディワーカー。野口整体とシュタイナー思想をベースにした講座やボデ…

山上 亮

やまかみりょう。整体ボディワーカー。野口整体とシュタイナー思想をベースにした講座やボディワークなどを各地で行なっています。 著書に『子どものこころに触れる整体的子育て』『整体的子育て2 わが子にできる手当て編』『子どものしぐさはメッセージ』(すべてクレヨンハウス刊)など。

マガジン

  • 人のこころとからだ まとめ

    私たちの「こころ」や「からだ」について書いた文章をまとめています。こころとからだは、一つの現象の二つの現われであると思っています。人という営みは、個人のこころとからだを通して、多くの人とつながっていき、そして社会を形成していきます。

  • 子育て まとめ

    子育てについて書いた文章をまとめています。野口整体とシュタイナーの入り混じった、子どものからだ育てとこころ育て。ちょっと独特な視点から語っているかも知れませんが、根っこは一緒だと思っています。

  • お金と働き まとめ

    私たちのあいだを巡る「お金」や「働き」について書いた文章をまとめています。お金の原理は、からだの原理や整体の原理に深くつながってくると、そんなことを思って書き連ねています。

最近の記事

ゆるむこととゆるすこと

「ゆるむこと」と「ゆるすこと」は、同時に訪れます。 人はそのからだをゆるめることができたときに、何かをゆるすことができるようになり、そしてまたゆるすことができたときに、からだがゆるむのです。 「ゆるまない」ことも「ゆるせない」ことも、どちらも何かを受け流してリリースしてゆくことができずに、滞って閊えてしまった状態です。それはつまり停滞であり、固着であり、執着であり、硬結です。 整体ではあらゆる心身の変動に対して、基本的にはそのプロセスを「経過する」「全うする」ということ

    • ごっこ遊びに学ぶ

      ずいぶん前に知人宅へ遊びに行ったときのこと、その家の五歳になる子どもと一緒に愉しく遊んだことがありました。 二人で家中をかくれんぼしながらコソコソと歩き回ったり、二階の廊下に一緒に寝転がって階段の隙間から見える台所のお母さんの様子をこっそりのぞいて、小声で「ママ、気づいてないね…」なんて内緒話をしたりして。 廊下に寝転がりながら顔を付き合わせて内緒話をしていると、何だかまるですごい秘密を共有しているようで、そんなことはまったく知らずに台所でいつも通りにご飯の支度をしている

      • こころの形と礼の型

        1.「型」による教育何かを作ったり練習したりしているときに、それが「多少は人様に見せられるかな」というギリギリの合格ラインを超えたところで、「ようやく形になってきた」などという言葉を口にすることがあります。 それまでは、パッと見ただけでは未だ何物とも呼べない正体不明な覚束ないものだったのが、ようやくその輪郭がハッキリして何某かの気配を感じさせるようになってきたときに、私たちは「形になった」とそう言うのです。 昔から、そのような「形(かたち)」を作り上げるために、「型(か

        • 物質のヴェールをめくって

          『野口整体の「方法」講座 第二弾』がおかげさまで盛況の内に終わったのも束の間、オンラインでの『老いの美学』講座が始まるので、そちらも頭をフル回転させながら第一回を迎え、何とか無事に終えることができました。 どちらも気合いを入れての新講座だったので、ここ一ヶ月くらいはずっとどこか落ち着かないままに、ひたすら本を読みあさって勉強ばかりしていたような気がします。 『方法講座』は今まで自分の積み重ねてきたことの振り返りとアウトプットが主題となり、『老いの講座』はこれから自分が歩ん

        ゆるむこととゆるすこと

        マガジン

        • 人のこころとからだ まとめ
          51本
        • 子育て まとめ
          21本
        • お金と働き まとめ
          12本

        記事

          弱い舟

          言葉というものは便利です。もし言葉がなければ、人に何かを伝えたいと思ったときに、いったいどれだけ大変な思いをすることになるでしょう。 身振り手振りのジェスチャーに加え、それでも伝わらなければ絵を描いたり、寸劇をやってみたりしながら、何とかして自分の思っていることを理解してもらわなければなりません。 そんな苦労を無くしてくれる言葉というものが大変便利であることは間違いありませんが、言葉自体がさまざまな情報を削り取って抽象化することによって成り立つものなので、どうしても断片的

          連綿とつながる人の仕事

          以前、山の中で行なわれていたイベントに行ったとき、その山の持ち主で、そこで林業を営んでいる方とお話しする機会がありました。 その方は、目の前にある高さ5mほどの木を指差しながら、「このヒノキは10年前に植えたもので、あっちの大きなヒノキは40年くらい前に植えたものです」と言います。 ご本人は50代くらいの方でしたから、その大きなヒノキが植えられたのはおそらく当人が小学生くらいの頃のことでしょう。ですからきっとその方のお父様かあるいはお祖父様が植えられたのかも知れません。

          連綿とつながる人の仕事

          名もなき遊びが始まる

          講座などで、しばしば「感覚遊び」をすることがあります。 現代は頭を使って考えることばかりが多いので、感覚を働かせて感じたり動いたりすることの愉しさと大切さというものをもう一度実感してもらう意味もあって、あまり難しく考えずに「からだで遊ぶ」というところに軸足を置いたワークをやってみるのです。 ただからだを動かしながらその感覚を味わってみることもあれば、いろいろな道具を使って遊んでみることもあるのですが、その中で私が気に入っているものに「木板カルタ」というものがあります。(見

          名もなき遊びが始まる

          手で考え足で思う世界

          このゴールデンウィークは、妻の実家である益子の陶器市に遊びに行っていました。 義父母も陶芸家なので毎年テントを出しているのですが、日本中から陶芸作家たちが集まって、それぞれの想いを込めた器たちが街中ところ狭しと並ぶ様子は本当に圧巻です。 器というものは、世界中のどんな家庭にも必ずある日用の必需品でありながら、考えれば考えるほどに哲学的な在り方をしていて、街中に並ぶ器たちに囲まれていると、いつも不思議な気持ちにさせられます。 益子と言えば、民藝運動の中心人物の一人である濱

          手で考え足で思う世界

          夢見のダンス

          私たちは普段さまざまにからだを動かしていますが、改めて考えてみると、ほとんどのからだの動きについて私たちは何も知りません。 「指一本動かすこと」についてすら、どのような仕組みで、どのようにその機能が果たされているのか、私たちは何も知りません。 スマホがいったいどんな仕組みで動いているのか、多くの人が何の知識も無いままに使っているように、からだについても私たちはほとんど何も知らないのです。 私たちは、成長する過程で身に付けた「何となくこうすると指が動く」というきわめて感覚

          夢見のダンス

          【満員御礼!】6/23『野口整体の方法講座』第2弾

          6月23日(日)に一日集中講座『野口整体の「方法」講座』第2弾を開催します!(おかげさまで満員御礼となりました。キャンセル待ちなどはお尋ね下さい) 集中講座をやるなら他の人がやらないような講座をやりたいと思って、昨年開催した『野口整体の「方法」講座』ですが、おかげさまで好評のうちに終えることができまして、今回満を持しての「第2弾」を開催することとなりました。 整体の創始者である野口晴哉(はるちか)は、人体の調整のポイントを「調律点」と呼びました。「調律」という言葉はそもそ

          【満員御礼!】6/23『野口整体の方法講座』第2弾

          思考が成ろうとするカタチ

          1.シュタイナー自伝を読むシュタイナーの文章を読んでいると、「いったいこの人の頭の中はどうなっているんだろう?」と思わないではいられません。 シュタイナーの描き出す表象世界はとにかく壮大かつ緻密で、なおかつそれを普段まったく聞き慣れない神秘学用語で構築してゆくものだから、慣れない人は一瞬にして置き去りにされてしまいます。 私もシュタイナーを読み始めたときには、何度置いてけぼりにされたことか知れません。 一つのセンテンスを何度読み返しても、書いてあることのイメージがまった

          思考が成ろうとするカタチ

          ただ居るということ

          ただ居るということは、私たちが思っている以上にけっこう難しいことだと思います。 さして用のない場所で、ただポカンとした時間を過ごす。ただ居るだけ。ひょっとしたらそこにはいろんな人が居て、みんな忙しそうに働いているかも知れない。でもそんな環境の中、ただ居るだけ。 そんな光景をありありと想像してみると、ただ居るということも意外と難しそうだと思えてくるのではないでしょうか。 とくに日本人というのは、そういうときに周りの人に対して何だか申し訳なく思えてしまって、ソワソワしちゃっ

          ただ居るということ

          いつかの言葉【マザー・テレサ】

          「愛憎」などという言葉があるように、「愛」と言うとその反対の感情として「憎しみ」というものを思い浮かべがちですが、愛の反対は「無関心」だとマザー・テレサは言います。 人間は複雑な感情を抱く生き物ですから、愛といってもいろんなカタチを取るのでなかなか捉えどころがありません。 ですが自分の感情の記憶を呼び起こしてみても、愛と憎しみが絡み合って混在するようなことはあっても、愛と無関心が混在するというようなことは、ちょっと想像できません。 愛も憎しみも、その対象に対して非常に強

          いつかの言葉【マザー・テレサ】

          暮らしの体育

          野口整体は「療術」ではなく「体育」というのがその立ち位置なのですが、創始者である野口晴哉(はるちか)は、たびたび「女子の体育」ということを提唱していました。 現代の日本で「体育」あるいは「運動」と言ったときに、多くの方がイメージされるのは「競技体育」のイメージではないかと思います。 「競技体育」というのは、それぞれが持てる体力や技術を出し合って競い合い、その優劣をつけて愉しみ、そして切磋琢磨し合う、そのようなからだを育てようという体育です。 それはある意味「競うからだ」

          暮らしの体育

          より大きな何かのために

          ライアル・ワトソンの『未知の贈りもの』という本に、インドネシアの夜の海でのエピソードが出てきます。 真っ暗な夜の海に船で浮かんでいると、さまざまな色に変化する不思議な光のパターンが現われ、やがて船をすっかり取り囲んだ。 それは無数のイカの群れだった。 その光は、船のデッキを歩く人の動きに沿って波打ったり、一人が咳をすると驚いたかのように脈打ち始めたり、まるで全体が一つの生命体であるかのように、デッキ上の人間の動きに合わせてセンシティブに反応していた。 その不思議な光景

          より大きな何かのために

          贈与の霊がつなぐもの

          マルセル・モースの『贈与論』の中に、ニュージーランドのマオリ族の人たちが「ハウ」と呼ぶ不思議な力についてのお話があります。 それはどんなものかと言うと、例えば自分が誰かから何かの贈り物をもらい、そしてそれをまた誰か別の人に贈ったとします。 しばらくして今度は逆に、贈り物をした相手から御礼として何か別の物を贈られたとしたら、それは自分が贈った贈り物の霊であり、それを「ハウ」と呼ぶのです。 そのハウは、自分が贈った物の霊であるのと同時に、自分が初めにもらった贈り物の霊でもあ

          贈与の霊がつなぐもの