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子育て まとめ

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子育てについて書いた文章をまとめています。野口整体とシュタイナーの入り混じった、子どものからだ育てとこころ育て。ちょっと独特な視点から語っているかも知れませんが、根っこは一緒だと…
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体育を考える

昨年末に、『体育科教育』という専門誌に載った音楽クリエイターのヒャダインさんのエッセイがSNSで取り上げられてバズったことがありました。 (エッセイは発行元である大修館書店さんの「公式X」にて読めます) エッセイは、「体育が大嫌い」だというヒャダインさんによる「頼むから体育教師たちは私のような子をそっとしておいてほしい」という、ある種の切実で痛烈な「体育批判」の内容で、体育教科専門誌の依頼にヒャダインさんはよくこの文章を返したなと思うのと同時に、編集部もまたよくこの文章を掲

「問いを立てる力」を育む

たとえば眼の前にリンゴが一つあるとします。私たちはそのリンゴを手にとってさまざまな角度から見ることができます。 くるくると動かしながらさまざまな角度からリンゴを眺めてみると、 リンゴはじつにさまざまな様態を示します。上から眺めてみたリンゴと、横から眺めてみたリンゴと、下から眺めてみたリンゴでは、どれもすべて違った姿形に見えることでしょう。 もっと言えば、見る角度を1ミリ変えただけでもリンゴの姿は変わってきますから、正確にはそこに同じ姿を見ることは二度と無いかも知れません。

遊びの中のからだ育て

昔からある「子どもの遊び」というものは、「子どもを育てる」という観点から見てよくできているものが多い気がします。  全身を大きく動かしたり、あるいは指先を細かく繊細に使ったりして、からだをさまざまに使い分ける練習になっていたり、大勢の子どもたちと協調してチームプレーで動く練習になっていたり、年齢の異なる集団で仲良く遊ぶためのルール作りの練習になっていたりと、私たち人間が社会生活を営んでいくためのさまざまな練習になっているのです。 しかも多くの遊びが、その遊び専用の道具が無

からだを活かす頭の働かせ方

整体には「体癖(たいへき)」という独特な分類法があって、その感受性の傾向や体運動の習性から人間を十二種類のタイプに分類しています。 からだの動かし方から姿勢や体型、あるいは活発な臓器や病気の傾向、そして感受性の傾向や注意の焦点、さらには心の反応の仕方や性格にいたるまで、さまざまな要素を絡めながら語られる体癖という人間分類法は、非常に面白く、整体の講座のテーマとしてもつねに人気のトピックです。 そのように人間をいくつかのタイプに分けてより深く理解しようという試みは、古来から

健康の3つの要因

1970年代の初頭、ナチスの強制収容所を生き延びた女性たちの健康状態を調査するプロジェクトがありました。 強制収容所では、ホロコーストに代表されるような大量殺戮が行なわれていましたから、そんな中を生き延びてきた女性たちは心身に大きな傷を抱えることになり、戦争が終わって収容所から解放された後も、日常生活の中でそのトラウマや後遺症に悩まされる人が大勢いたのです。 プロジェクトメンバーの一人である医療社会学者のアーロン・アントノフスキー博士は、多くの研究者が後遺症に苦しむ人たち

ごっこ遊びに学ぶ

ずいぶん前に知人宅へ遊びに行ったときのこと、その家の五歳になる子どもと一緒に愉しく遊んだことがありました。 二人で家中をかくれんぼしながらコソコソと歩き回ったり、二階の廊下に一緒に寝転がって階段の隙間から見える台所のお母さんの様子をこっそりのぞいて、小声で「ママ、気づいてないね…」なんて内緒話をしたりして。 廊下に寝転がりながら顔を付き合わせて内緒話をしていると、何だかまるですごい秘密を共有しているようで、そんなことはまったく知らずに台所でいつも通りにご飯の支度をしている

こころの形と礼の型

1.「型」による教育何かを作ったり練習したりしているときに、それが「多少は人様に見せられるかな」というギリギリの合格ラインを超えたところで、「ようやく形になってきた」などという言葉を口にすることがあります。 それまでは、パッと見ただけでは未だ何物とも呼べない正体不明な覚束ないものだったのが、ようやくその輪郭がハッキリして何某かの気配を感じさせるようになってきたときに、私たちは「形になった」とそう言うのです。 昔から、そのような「形(かたち)」を作り上げるために、「型(か

名もなき遊びが始まる

講座などで、しばしば「感覚遊び」をすることがあります。 現代は頭を使って考えることばかりが多いので、感覚を働かせて感じたり動いたりすることの愉しさと大切さというものをもう一度実感してもらう意味もあって、あまり難しく考えずに「からだで遊ぶ」というところに軸足を置いたワークをやってみるのです。 ただからだを動かしながらその感覚を味わってみることもあれば、いろいろな道具を使って遊んでみることもあるのですが、その中で私が気に入っているものに「木板カルタ」というものがあります。(見

暮らしの体育

野口整体は「療術」ではなく「体育」というのがその立ち位置なのですが、創始者である野口晴哉(はるちか)は、たびたび「女子の体育」ということを提唱していました。 現代の日本で「体育」あるいは「運動」と言ったときに、多くの方がイメージされるのは「競技体育」のイメージではないかと思います。 「競技体育」というのは、それぞれが持てる体力や技術を出し合って競い合い、その優劣をつけて愉しみ、そして切磋琢磨し合う、そのようなからだを育てようという体育です。 それはある意味「競うからだ」

いつかの言葉【世阿弥】

 世阿弥(ぜあみ)といえば、言わずと知れた室町時代の能(猿楽)の大スターですが、彼は後進のために多くの能の伝書を書き残しました。現在でも使われる「初心忘るべからず」とか「秘すれば花」といった言葉も、世阿弥の言葉です。 彼の伝書は、能の稽古について書かれたものですが、そこで説かれていることはあらゆることに通じるとして、現代でもさまざまな芸事や運動の稽古においてよく引用されています。 伝統芸能の世界では、きわめて幼少の頃から稽古をしていくこともあって、伝書の中には小さな子ども

カナリヤの歌

1.敏感で繊細な人「HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)」という言葉をしばしば目にするようになりました。 非常に感受性が高く、さまざまな刺激を敏感に受け止める「とても敏感で繊細な人」のことを差しますが、昔はそういう人は「からだが弱い」というような言い方をされてきました。 周りの刺激を敏感に感じ取るので、何かあるとその影響を強く受けすぎてしまって、その処理が追いつかずにしんどくなったり、動けなくなってしまったり、場合によっては体調を崩して寝込んでしまったりするからで

冷えと反感、熱と共感

「共感」と「反感」という2つのベクトルは、私たちの営みのあらゆるところで働いていて、そのどちらも非常に大切な働きを担っています。 たとえば私たちが何かを「食べる」ということは、食べ物を吸収して自分自身に取り込んでいるのですから、それは食べ物に「共感」していると言えます。 たいして私たちが何かを「考える」ということは、私たちの中にある漠然とした概念を、言葉として吐き出し、外側から客観的に捉え直すことですから、それは「反感」の働きと言えます。 シュタイナーの考えでは、幼少時

意図なき集注

今月の愉気の会は「穴追い」の実習を行ないました。(2016年11月のこと) 穴追いというのは整体の手当ての一つで、からだの皮膚の上の穴のようなものをひたすら追いかけて愉気していくという不思議な技法です。 「皮膚の上の穴」というのも何だかよく分からないですし、「穴が動く」ということもよく分かりませんから、考え出すと頭が混乱してきてしまうかも知れませんが、今回の参加者の方たちはみなさん素質があるのか、あまり深く考えずに(笑)実習に入っていただけたので、比較的スムーズに実習を行

からだを育て、腰を育てる

1.手考足思昭和の初めに、ありふれた日用品の中に「用の美」を見出し、その価値を世に問うた「民藝運動」という活動がありました。 その民藝運動の中心となった人物の一人に、河井寛次郎という人がいるのですが、その人の言葉に「手考足思」というものがあります。 「手で考え、足で思う」とは、まさにものづくりを行なっている作家ならではという言葉ですが、シュタイナーもまた「手で判断し、足で帰結する」と似たような言葉を残しています。 一般的には、人間は「頭で考える」と思われていますが、思考