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人のこころとからだ まとめ

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私たちの「こころ」や「からだ」について書いた文章をまとめています。こころとからだは、一つの現象の二つの現われであると思っています。人という営みは、個人のこころとからだを通して、多…
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体育を考える

昨年末に、『体育科教育』という専門誌に載った音楽クリエイターのヒャダインさんのエッセイがSNSで取り上げられてバズったことがありました。 (エッセイは発行元である大修館書店さんの「公式X」にて読めます) エッセイは、「体育が大嫌い」だというヒャダインさんによる「頼むから体育教師たちは私のような子をそっとしておいてほしい」という、ある種の切実で痛烈な「体育批判」の内容で、体育教科専門誌の依頼にヒャダインさんはよくこの文章を返したなと思うのと同時に、編集部もまたよくこの文章を掲

「問いを立てる力」を育む

たとえば眼の前にリンゴが一つあるとします。私たちはそのリンゴを手にとってさまざまな角度から見ることができます。 くるくると動かしながらさまざまな角度からリンゴを眺めてみると、 リンゴはじつにさまざまな様態を示します。上から眺めてみたリンゴと、横から眺めてみたリンゴと、下から眺めてみたリンゴでは、どれもすべて違った姿形に見えることでしょう。 もっと言えば、見る角度を1ミリ変えただけでもリンゴの姿は変わってきますから、正確にはそこに同じ姿を見ることは二度と無いかも知れません。

遊びの中のからだ育て

昔からある「子どもの遊び」というものは、「子どもを育てる」という観点から見てよくできているものが多い気がします。  全身を大きく動かしたり、あるいは指先を細かく繊細に使ったりして、からだをさまざまに使い分ける練習になっていたり、大勢の子どもたちと協調してチームプレーで動く練習になっていたり、年齢の異なる集団で仲良く遊ぶためのルール作りの練習になっていたりと、私たち人間が社会生活を営んでいくためのさまざまな練習になっているのです。 しかも多くの遊びが、その遊び専用の道具が無

からだを活かす頭の働かせ方

整体には「体癖(たいへき)」という独特な分類法があって、その感受性の傾向や体運動の習性から人間を十二種類のタイプに分類しています。 からだの動かし方から姿勢や体型、あるいは活発な臓器や病気の傾向、そして感受性の傾向や注意の焦点、さらには心の反応の仕方や性格にいたるまで、さまざまな要素を絡めながら語られる体癖という人間分類法は、非常に面白く、整体の講座のテーマとしてもつねに人気のトピックです。 そのように人間をいくつかのタイプに分けてより深く理解しようという試みは、古来から

こころの打撲と儀式

1.こころの打撲身近な愛する人が亡くなったとか、ずっと肌身離さず大切にしてきた物を失ってしまったとか、そんな衝撃的な悲しい出来事があったときに、人はガタッと調子を崩すことがあります。 気づくとただボーッとしていたり、何かとミスばかりしてしまったり、仕事が手につかなくなってしまったり、ときには人間関係に支障をきたしたり、病気になってしまうこともあるでしょう。 何というか、その人の持っているある種のリズムが大きく乱れて、いろんなことがスムーズに行かなくなって、ガタガタッとし

発酵分解するニッポン

日本という国は、火山や地震の活動が非常に活発で大地がつねに蠢いている、そんな国です。 火山や地殻変動によって造られた急峻な地形が連なり、そこに梅雨には長雨が降り続け、夏には台風の通り道となって南からの雨風が吹きこむので、潤沢な雨量が大地を削って、さらに起伏に富んだ地形を造り出し、流れの早い河川があちこちに生まれることになりました。 そんないろんな刺激が絶えず混じり込む風土は、狭い範囲の中でもさまざまな環境条件の違いがあって、その環境の違いが豊かな植生のグラデーションを形成

健康の3つの要因

1970年代の初頭、ナチスの強制収容所を生き延びた女性たちの健康状態を調査するプロジェクトがありました。 強制収容所では、ホロコーストに代表されるような大量殺戮が行なわれていましたから、そんな中を生き延びてきた女性たちは心身に大きな傷を抱えることになり、戦争が終わって収容所から解放された後も、日常生活の中でそのトラウマや後遺症に悩まされる人が大勢いたのです。 プロジェクトメンバーの一人である医療社会学者のアーロン・アントノフスキー博士は、多くの研究者が後遺症に苦しむ人たち

ゆるむこととゆるすこと

「ゆるむこと」と「ゆるすこと」は、同時に訪れます。 人はそのからだをゆるめることができたときに、何かをゆるすことができるようになり、そしてまたゆるすことができたときに、からだがゆるむのです。 「ゆるまない」ことも「ゆるせない」ことも、どちらも何かを受け流してリリースしてゆくことができずに、滞って閊えてしまった状態です。それはつまり停滞であり、固着であり、執着であり、硬結です。 整体ではあらゆる心身の変動に対して、基本的にはそのプロセスを「経過する」「全うする」ということ

ごっこ遊びに学ぶ

ずいぶん前に知人宅へ遊びに行ったときのこと、その家の五歳になる子どもと一緒に愉しく遊んだことがありました。 二人で家中をかくれんぼしながらコソコソと歩き回ったり、二階の廊下に一緒に寝転がって階段の隙間から見える台所のお母さんの様子をこっそりのぞいて、小声で「ママ、気づいてないね…」なんて内緒話をしたりして。 廊下に寝転がりながら顔を付き合わせて内緒話をしていると、何だかまるですごい秘密を共有しているようで、そんなことはまったく知らずに台所でいつも通りにご飯の支度をしている

こころの形と礼の型

1.「型」による教育何かを作ったり練習したりしているときに、それが「多少は人様に見せられるかな」というギリギリの合格ラインを超えたところで、「ようやく形になってきた」などという言葉を口にすることがあります。 それまでは、パッと見ただけでは未だ何物とも呼べない正体不明な覚束ないものだったのが、ようやくその輪郭がハッキリして何某かの気配を感じさせるようになってきたときに、私たちは「形になった」とそう言うのです。 昔から、そのような「形(かたち)」を作り上げるために、「型(か

物質のヴェールをめくって

『野口整体の「方法」講座 第二弾』がおかげさまで盛況の内に終わったのも束の間、オンラインでの『老いの美学』講座が始まるので、そちらも頭をフル回転させながら第一回を迎え、何とか無事に終えることができました。 どちらも気合いを入れての新講座だったので、ここ一ヶ月くらいはずっとどこか落ち着かないままに、ひたすら本を読みあさって勉強ばかりしていたような気がします。 『方法講座』は今まで自分の積み重ねてきたことの振り返りとアウトプットが主題となり、『老いの講座』はこれから自分が歩ん

弱い舟

言葉というものは便利です。もし言葉がなければ、人に何かを伝えたいと思ったときに、いったいどれだけ大変な思いをすることになるでしょう。 身振り手振りのジェスチャーに加え、それでも伝わらなければ絵を描いたり、寸劇をやってみたりしながら、何とかして自分の思っていることを理解してもらわなければなりません。 そんな苦労を無くしてくれる言葉というものが大変便利であることは間違いありませんが、言葉自体がさまざまな情報を削り取って抽象化することによって成り立つものなので、どうしても断片的

連綿とつながる人の仕事

以前、山の中で行なわれていたイベントに行ったとき、その山の持ち主で、そこで林業を営んでいる方とお話しする機会がありました。 その方は、目の前にある高さ5mほどの木を指差しながら、「このヒノキは10年前に植えたもので、あっちの大きなヒノキは40年くらい前に植えたものです」と言います。 ご本人は50代くらいの方でしたから、その大きなヒノキが植えられたのはおそらく当人が小学生くらいの頃のことでしょう。ですからきっとその方のお父様かあるいはお祖父様が植えられたのかも知れません。

名もなき遊びが始まる

講座などで、しばしば「感覚遊び」をすることがあります。 現代は頭を使って考えることばかりが多いので、感覚を働かせて感じたり動いたりすることの愉しさと大切さというものをもう一度実感してもらう意味もあって、あまり難しく考えずに「からだで遊ぶ」というところに軸足を置いたワークをやってみるのです。 ただからだを動かしながらその感覚を味わってみることもあれば、いろいろな道具を使って遊んでみることもあるのですが、その中で私が気に入っているものに「木板カルタ」というものがあります。(見