【再定義シリーズ】 感応について その4 記憶が現実に与える力

安心できる場所とは、今ここだけの世界です。
「今ここ」という言葉は響きもよく、あちこちで聞きます。
ただ、その「今ここ」こそ、「空じゃない場所」、それが私の実感です。

「空という世界」も多くの人に求められます。
そして、「今ここ」も。
何となく自然に生きたい、と思うと、この二つを同時に求めてしまいがちですが、真逆、真反対、対極にあるものだ、と考えた方がいい、そう思います。

「空という世界」と「今ここ世界」についてはまた、改めてどこかで言葉にしたいと思いますが、一つだけ、無意識のうちに、空という世界が今ここ世界に入り込んでしまっている話をします。
それは「記憶の力」、経験が記憶へと溜められ、それが自動的に、私に影響を与えています。
考えてみたら当たり前の事、そして、それが何?と思えるようなものに見えるかもしれません。

記憶には自分にポジティブに働くもの、ネガティブに働くもの、大雑把に二つあります。
嫌な記憶、いい記憶。
ゴキブリをみてギャーというのは、そこに過去の経験から得た観念があるからです。ゴキブリなど見た事なくても、親がゴキブリに対して恐怖を語っていたとしたら、始めてゴキブリを見た瞬間から、ギャー!と叫んでしまうかもしれません。
記憶は今ここ世界に影響を及ぼすのです。

この時、記憶は形が無いもの。身体感覚としてみる事は出来ても、肉体はありません。想像、観念の世界にあるもの。これ、空の世界の存在です。
もちろん、空の定義を語ればキリがありません。概念を持った時に、それは空じゃない、という人もいるかもしれませんし、むしろ、学問的追求としてはそちらが主でしょう。
ただ、私はずっと、身体を手掛かりにこの世を探っています。心を手掛かりにしては難しい事も、身体を基準にして、肉体を考え、思考を考えていけば、肉体として存在するかしないかはとても、明確な基準になります。
というわけで、過去の経験によって溜まる記憶は空、という分け方ができます。

記憶は無意識レベルにまで溜まっているもの。
忘れたくても、忘れられないものです。
この記憶が自然に出てきてしまう事がある、それを頭に入れておかなくてはなりません。
今、ふと何かを思った時、それは記憶によって出てきたものではないか、と疑うです。
そして、もちろん、大抵のものは記憶からやってくるものなのですが、世界観として「空じゃない場所」、「隙間」を作り、そこに引きこもる覚悟を持ちます。

最初が肝心。
そして、そのためには「隙間で過ごす経験」が必要です。
安全で落ち着いていられる場所、それが分かれば、そこで過ごす事もポジティブでいられます。
慌てて、情報を得て、不測の事態に対処しなきゃ、という気持ちはなくなります。

現代はネットの時代。
たくさんの情報が自動的に飛び込んできます。また、求めたい情報を取りに行く事も出来ます。そこに力を感じて幸せになれた時代もありました。
しかし、今はちょっと、情報過多。この苦しさをさらなる情報で解消しよう、というのはちょっと考えればおかしいのがわかるはず。
そのわかるはずの事を選びもしなくなっているほど、インターネットは当たり前になってしまいました。

だからこそ、身体に目を向けます。
不安がる頭は情報を求めますが、大きな身体はたくさんの情報は重い、と知っていますし、外へと出ていけば大変、というのもわかっています。
身体が無理する事はやらない、それを極めた形になるのが、空じゃない隙間の世界に居続ける、という選択です。

今、自分が静かで安全な自分しかいない場所にいる、と思ってこの先の話も聞いてください。

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