愛ある話を観れば
愛のある話に涙することが増えてきたこの頃
先日Netflixでの配信が始まった、
スティーブンスピルバーグ作『未知との遭遇』を拝見しました。
1977年に公開された本作はSF傑作の一つとして名高いですね。フランスの名監督フランソワ・トリュフォーが演者として出演していることも有名です。
実は恥ずかしながら、全編ちゃんと見たのは今回が初めて。
同監督の『ジュラシックパークシリーズ』とか『インディアナジョーンズシリーズ』が好きな「kids」な私には敬遠されていた本作でした。
泣いちゃった
SFは結構好きで、ワクワクする設定や興奮する冒険譚に惹かれるんですが、本作のラストでは涙していました。
現実問題ばかり考えて、最近涙腺が弱々なのは置いておいて。昔は泣かなかった映画で平気で泣いてます。
『未知との遭遇』も例外ではなく、幼い頃に見たラストシーンとは全く違う印象で、加齢と共にここまで受け取るメッセージが変わるのかと愕然としました。
しかもSF映画で。
UFOとの遭遇、SF的要素にワクワクするのは当たり前ですが、一方でラストシークエンスでググッとやられました。
※以下ネタバレあり
ラストシーンで泣きました
ラストシーンでは、秘密裏に行われていた地球外生命体との接触が描かれます。
どこからか送られ続けていた5つの音を解析し、地球へのコンタクトを発見したトリュフォー演じる学者達は、満を持してUFOとの接触を試みます。
そこで地球外生命体との交信に使われるのは5つの音を基本とするシンセサイザの音色と手話なんです。
わかりやすく、言葉の通じない地球外生命体と交信して自分たちが友好的であること、他にもいろんなメッセージを伝えるわけですが、このシーンに泣きました。
WE ARE NOT ALONE.
この副題が全てでした。
私たちは一人ではないのです。
シンセサイザの音色と手話は双方の共通言語であったわけです。それは偶然でもあるかもしれませんが。
トリュフォーが手話で会話し、笑顔を見せるシーンは
まさにクライマックスでした。
全く言葉も通じない、思想も文化もわからない地球外生命体を受け入れることに真摯に向き合う科学者たちの姿。決して力を誇示することなく、ただひたすらにお互いを知って認め合おうとする姿。
これは歳を食わないと気づけない点でしょうか。
愛あるSF映画を探しています
最近のSF映画ではどうですか?
もちろん、地球を攻撃する悪い輩もいますけど。
UFOが現れたら、やれミサイルだの戦闘機だの。
挙げ句の果てには爆弾で町ごと、市民ごと消し去ろうなど。とりあえず相手のことを知る前に力で消し去ろうとしますよね。
「アフター未知との遭遇の世界」にしては、愛がなさ過ぎませんか。
先ほどの
「全く言葉も通じない、
思想も文化もわからない地球外生命体」
これは宇宙人に限らず、人間にも落とし込める話ですよね。
「全く言葉も通じない、
思想も文化もわからない〇〇人」
こんなふうに捉えると争いの絶えない現在に悲しく、虚しく、無力で涙が出ます。
77年の映画に再確認させられる感動で涙が出ます。
77年から今まで人間である自分たちが弱いことに変わりはないはずなのに、「未知なる物が現れた時に取る行動」に大きな変化が出てきているのかなと映画を通じて感じました。
今の私たちに足りない愛を、映画から摂取していく必要がありそうです。
こんな解釈をしていれば、自分の中には愛する気持ちが残っているなと安心できますよね?
>サイトウ
TVerでは相席食堂ばっかり見てます。
千鳥結構好きなんだよね。
>いえもん
普通でいることが一番難しいよね。。。
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