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山登りの哲学

きっちゃんです。
山登りは好きですか?
私は大学の四年間、季節問わず、北海道の山々を巡っていた。
もちろん山登りは大好きだ。

「なんで山に登るの?」
「しんどいだけじゃん」
「頂上についてどうするの?」
よく聞かれます。鉄板です。

そこに山があるから?

登山家ジョージ・マロリーのあまりにも有名な答え

「そこに山があるから(Because it's there. )」
全くもってピンとくる答えではない。

私が質問された時は
「花とか綺麗なんだよ!」
「頂上から見る景色が素晴らしいのだよ!」
「下山後のビールがたまらんのだよ!」
苦し紛れの回答。魅力を伝えるのが非常に難しい

登山と哲学

登山の単純な魅力や具体的な山の話は次回以降に期待していただくとして
今回は私の登山経験から得られた哲学的な学びを少し紹介したい。
なぜならこれが山に登る本当の目的かもしれないからだ。

立派な思想家・哲学者ではないので、今更論なのはご容赦願いたい。

存在のレベルに感謝する

山に登っていると不便なことしか起きない。

不便なことは多々起きるが、その中でも最も神経をすり減らすのが冬の排便だ。

いきなり下品な話だが、最も哲学を考える瞬間だった。
目先1mも暗闇の夜、吹雪の中テントを起き出て、
新雪の上に足で穴を堀り、いざ。
着ているズボンを下げるわけだが、そこは吹雪。気温も-10度くらいザラ。
無音の中、一人荒野で排泄する自分

その瞬間が野生だった。

「ああ、あったかい便座とウォシュレットが恋しい。」
「いや、壁に囲まれていればそれでいい」

当たり前のトイレに感謝できる人間がどれだけいるだろう。
何をもたらすかではなく、存在そのものに感謝できる学びだった

一歩踏み出せればもう一歩踏み出せる

体力のないメンバーに発破をかける時、横暴な先輩がよく口にしていた。
「一歩前に踏み出そう!今踏み出そう!」
もちろんゴールまでは1万歩どころではない。

疲労が溜まるとどうしても足が止まってしまう。
このままでは今夜のゴールにはたどり着かない。
気持ちが負けてしまうと座り込んでしまうメンバーもいた。
そんな気持ちに打ち勝つ考えだった。

未来(=ゴール)のことを考えるのでなく、今の全力を出すことを学んだ。
軌跡は線で繋がっているようで、点の集まりだということだった。

共同体であるということ

登山は一人でも行えるが、4〜5人のパーティで行うことが多かった。
平均して3〜4日間は狭いテントの中で共に時を過ごすのだ。

就寝時テント内では頭と足を互い違いに、寝袋で就寝する。
他人の足が顔の横にあったり、寝返りさえままならない状況で眠るのだ。
厳冬期では、夜中のテント内も平気で氷点下になる。
眠りに落ちる前に隣の人間の体温を直に感じる。
他人の生で自分も生かされていることを実感する。
そこで共同体感覚が芽生えるのかもしれない。

山登りにいこう

ドヤ顔で語っているが、本当に語りたいのは
「排便の時に強風が吹くと雪が通り抜けて、エアウォシュレットになる。」
だったり
「薪70kgを背負うと本当に1歩ずつしか歩けなくなる」
という話だったりする。

次回は北海道の山BEST5とかやろうかしら。

推敲BGM;レミオロメン/粉雪

>いえもん
水面下で進んでいたのですね。近々伺います

>サイトウ
オードリー若林さんのエッセイポチりました。
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