松雪泰子さんについて考える(51)「歌は語れ、セリフは歌え」

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石川さゆり、藤あや子、坂本冬美。
いずれも演歌界を代表する大物歌手。
 
芸能界は浮き沈みが激しいし、盛者必衰・栄枯盛衰そのものの世界。それに、よほどの精神力がないと、各方面から向けられる妬み・嫉み・誹謗中傷等に耐えられない。まさに最近、色々なニュース沙汰があったように。普通にプライベートも晒される。多くのことを犠牲にしながら長く芸能生活を続けるのは、並大抵のことではない。
 
ちなみに、藤あや子さんはただSNSに猫の写真をアップするだけの人ではない。「むらさき雨情」「こころ酒」等の超ヒット曲をもつ、れっきとした演歌歌手だ。有名でない歌の中にも良曲が沢山ある。埋もれていては勿体ないので、いつかの機会に紹介したい。
 
さて、冒頭にあげた3人には共通点がある。今でこそ大御所だが、みな10代・20代のデビュー前後、同じ師匠の門下で下積み時代を過ごした。
 
師匠の名は、猪俣公章(いのまた こうしょう)。作曲家。昭和から平成初頭にかけて演歌・歌謡界に幾多の名曲を残した巨星だ。
 
森進一「おふくろさん」、五木ひろし「千曲川」、藤圭子「京都から博多まで」、テレサ・テン「空港」…。挙げればキリがない。個人的には内山田洋とクールファイブ(前川清さんで有名)の「北ホテル」が大好きだ。マイナーだが。
 
猪俣公章は1993年に55歳の若さで鬼籍に入るまで、義理と人情、歌と酒、そして女を愛した。

そういうザ・演歌の生き方が、今でも時々語り草になる。これも、師匠の想い出話を藤あや子さんと坂本冬美さんがテレビで語っていた際のこと。師匠から教わったことというテーマで次の金言を紹介した。
 
「歌は語れ、セリフは歌え」
 
読んで字のごとしだが、大意はこうだ。
 
歌うときは音程を気にしてばかりではダメ。歌詞の意味を考えて、語るように歌え。
 
セリフは、ただ語るのではなく、抑揚や節回しに気を配って、歌うように語れ。
 
注意すべきは、これを言っているのが作詞家ではなく作曲家ということだ。作曲家が「歌は(音程よりも)歌詞の意味を大事にしろ」と言っているのだ。
 
実際、坂本冬美さんは師匠・猪俣公章に楽譜の読み方について教えを乞うたとき、「馬鹿野郎!楽譜どおりに歌って、上手く歌えるもんか」と怒られたそう。重ねて言うが、作曲家の言葉だ。
 
ちなみにこの言葉。猪俣公章のオリジナルということではないようだ。諸説あるようで、森繁久彌が言い始めたという説も。実際はよく分からない。
 
では、セリフを「歌う」とはどういうことか。先程書いたように抑揚や節回しを気にするのも勿論だろうが、「歌う」なら音程も気にする必要があるだろう。
 
そして、何よりも大事なのは声だ。言うに及ばず、プロの歌手の99%は地声ではなく歌うとき専用の声で歌っている。
 
声と音程。これでセリフを「歌う」のだ。
 
先程のテレビ番組でこの言葉を知ったのは1〜2年前。そのときは、あくまで「音楽」「歌」の世界の格言として受け止めていた。セリフは、演歌や浪曲にも出てくるからだ。
 
そんな中、松雪泰子さんの出演作を渉猟するようになって、あることに気付いた。
 
作品・役柄・シーンに応じて、わざわざ声を変えているではないかと。
 
最初は考え過ぎかと思ったが、作品を観続けていくうちに確信した。間違いなく声にこだわりを持っている。
 
特にそう思ったのは、『なにさまっ!』(1998年)や『救命病棟24時』(2001年)を観たとき。詳しくはそれぞれの投稿記事をご覧いただきたい。
 
そして、松雪さんのインタビュー記事で次の言葉を目にした時、「やっぱりそうか」と膝を打った。
 
「役を表現するときはいつも、最初に、その人物がどんな声をしているのかを考えるんです。声、というよりは、音色かな。人物によってしゃべりのスピードや言葉の並べ方が変わってくるので、その役にちょうどいいところを探る作業が好きなんです。」
出典:https://colorful.futabanet.jp/articles/-/2392 (2023.11.15)
 
ご本人の言うとおり、声をいかに大事にしているか。「音色」とまで表現している。
 
ふと、先程の格言を思い出した。
 
「歌は語れ、セリフは歌え」
 
そうか。松雪さんにとって、セリフは「歌う」ものだったのだ。だからこそ、どういう声の「音色」を奏でるか考えているのだ。
 
この言葉を松雪さんがご存知なのかどうかは分からない。ただ、セリフを「歌う」松雪さんは、これまでの作品の中に確かに息づいている。
 
俳優が誰しも同じことをやっているならば、こうして賢しらに能書きを垂れる必要もないのだが、こんなことをやっている人は少ない。
 
日本中の俳優を隅から隅まで調べたわけではないので、断言するだけの確証はない。ただ、自分は松雪さんの他にも好きな俳優が何人かいるが、彼らはどの作品でも基本的には同じ声(≒地声)だ。喋り方は違っても、声は変わらない。
 
特に男性俳優についてはそうだと思う。ほとんどの人が、どの作品でも基本的に同じ声(≒地声)。どんなにベテランでも。
 
声を変えている例としてわずかに思いつくとすれば、漫画・アニメの実写化のキャラクターやかなり個性的で濃い役柄を演じるときは、さすがに誰しも声を作っている。ただ、こういう役は、声を変えずに地声で演じる方が有り得ないだろう。
 
そんな異端な役柄でなくても、キャラクターに応じて声を変える松雪さんのような人は、決して多くない。
 
今まで、俳優がどの作品でも同じ声(≒地声)を発していることについて特に不思議に思ったことはないし、意識したこともなかった。
 
しかし、松雪さんに関してはどうだろう。観れば観るほど、どの作品でも声が違って聞こえるし、特に母親役と刑事役・医者役を比べるとその違いは歴然だ。本当に同じ人かと耳を疑うときもある。
 
松雪さんが自分でこうしようと志したのか、それとも監督や演出家からそういう指導を受けたのかは分からない。歌手活動も経験しているから、自然と声に対する感覚が鋭敏なのか。
 
もし声の使い分けを指導する監督や演出家が多いなら、もっと多くの俳優が同じことをしているはずだ。でも、現実にはあまりそういう俳優を見かけない。ということは、松雪さん本人の自発的な取り組みだろうか。
 
恐るべきことに、こんな声の使い分けを既に20代の頃から実践している。20代前半の作品(『白鳥麗子でございます!』『ベスト・フレンド』等)は未見のためなんとも言えないが、少なくとも20代後半からはこういう技術を自分のものにしている。
 
2024年の現在。年齢に触れるのは恐縮だが、松雪さんは50代に入っている。そんな今でも声のバリエーションに磨きをかけ(昨年の舞台作品2本ではあまり聞き馴染みのない声色で驚いた)、多くの役柄を全うするプロ意識には頭が下がる。
 
では、どれだけ幅広い声色を使い分けているか、試みに視覚化してみよう。次のチャートをご覧いただきたい。

※あくまで主観的な印象をもとに作図しており、声を機器で測定したり数値化したりなどはしていませんので、ご了承ください。

右上の方の『なにさまっ!』※最終話での電話(1998年)や『半分、青い。』(2018年)と、左下の方の『5人のジュンコ』(2015年)や『邪神の天秤』(2022年)を比べると、差がありすぎて同じ役者の声とは思えない。出演時の年齢の違いを差し引いても。
 
地声はなんとなく右下のゾーンで、少し低くて柔らかい声質だと思うが、この周りに位置している作品であっても、明らかに地声とは違う声に聞こえる。

ただ、そもそも何をもって地声と定義するかが難しい。制作発表やインタビューでの声を地声と仮定したものの、それすら全部が同じ声には聞こえないし、若干作為的な声にも聞こえる。
 
ここに挙げた作品の中で特に別人の声に聞こえたのは、右上『境遇』(2011年)の絵本朗読シーンと、左下『エアガール』(2021年)での叱責シーンだ。前者ははじめアナウンサーか誰かの声だと思ったし、後者は何度聞いても別人の声に聞こえる。(高畑淳子さんの声に似ている)
 
ときには、ひとつの連続するシーンで声が使い分けられていることもある。いくつかあるが、次の3つを例示しよう。
 
(1)1998年『なにさまっ!』最終話  電話の相手は部下である一方、密かに異性として意識するようになり始めている男でもある。会話の流れによって、上司としての声と一人の女性としての声を使い分けている。
 
(2)2007年『ファースト・キス』第3話  病院近くの運動場で、患者の兄に何気ない話題を切り出すときは柔らかい声質を使い、直後、本題に入る瞬間は硬質で低めの声に変化。
 
(3)2012年『負けて、勝つ』第2話  いつも遠慮がちで控えめな女中の小りんが、吉田茂を一喝する場面では表情も声質もがらりと転調。しかし一連のやりとりが終わったら元の小りんに戻っていて、か細い声に。
 
ここまで声のことばかり述べてきたが、声はあくまで演技の一部でしかないし、松雪さんが秀でているのは声だけではない。個人的に思うのは、目(視線)の動きで細かい感情を表現するのが巧みだし、硬軟どんな役柄でもこなせるオールラウンダーな点も尊敬している。幅広い役を受け入れる役者魂と根性がすごい。

そもそも、冒頭の話と共通するが、芸能界で長年にわたって活躍し続けていること自体が並大抵のことではないし、それを成し遂げてきた体力や精神力も尋常ではない。我々一般人には想像もできないような苦労を乗り越えてきて、今があると思う。
 
声の話から逸れて話が散漫になってきたので、擱筆しよう。
セリフを「歌う」松雪さんの、これからに期待を高めながら。
 
 
(余談)
「歌は語れ」という金言が、本邦だけではなく万国共通だと思わされたエピソードがある。個人的な話で恐縮だが、この際に記そう。

「アメリカン・アイドル」というオーディション番組をご存知だろうか。各国で似たような番組をやっているが、そのアメリカ版。審査員の評価や合否判断によって素人が勝ち抜き方式でオーディションの階段を上がっていき、優勝をすればメジャーデビューができるという企画だ。最近QUEENと組んでワールドツアーをやっているアダム・ランバートも、この番組出身。

この番組の2014年のシーズンで審査員に就いたハリー・コニック・ジュニアという男性歌手・俳優が、出場者に口酸っぱく言っていたのが「歌詞の意味を考えろ」だった。1年を通して、10回以上は言っていたと思う。ビブラート・ファルセット・こぶしなどのテクニックに走りがちなアマチュアたちを前に、歌詞を理解すること・歌詞を大事にすることの必要性を説き続けた。その真剣さが、同じく審査員を務めたキース・アーバンのイケメンぶりと並んで、今でも心に残っている。

「歌は語れ」の精神性は、洋の東西を問わない。

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