松雪泰子さんについて考える(37)『負けて、勝つ 〜戦後を創った男・吉田茂〜』

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*松雪泰子さんについて考える(51)「歌は語れ、セリフは歌え」*

松雪さん出演シーンの充実度:8点(/10点)
作品の面白さ:?点(/10点)
制作年:2012年
視聴方法:U-NEXT
 
※以下、多少のネタバレを含みますが、決定的なオチや結末には触れないようしております。
 
松雪さんの出演シーンはあまり多くないが、どのシーンも見所あり。昭和の政治史に多少なりとも興味が無いと観続けるのはしんどいかもしれないので、「作品の面白さ:?点(/10点)」としたが、一見の価値はあり。
 
本作の主人公は、敗戦後のGHQ占領期に首相を務めた吉田茂。その吉田茂を渡辺謙さんが演じているが、泉下の本人は苦笑していないか。こんなに男前の顔はしていないし、長身でもない。
 
実際の吉田茂は背が低くて、狸顔。2020年に演じた笑福亭鶴瓶さんの方がしっくり来る。ただ、芸能界で一番似ているのは角野卓造さんだと思う。瓜二つ。ということは、必然的にハリセンボンの近藤春菜さんも似ているということになるが…。
 
そんな見た目とは裏腹に、中身は英国紳士気取り。戦前に外交官を務めた経験があり、島国根性しか持たない国民や、目先のことしか考えない視野狭窄な政治家のことを、上から目線で見るひねくれ癖がある。皇室と国家のことは愛するが、俗物の国民は下に見るという二面性。
 
本作における吉田茂は、この二面性の演出が少し弱いと思った。人を小馬鹿にするようなニヒルな面があまり見られない。それゆえ、「愛国心と政治的信念に燃える男」のように美化していると見受けられるが、実像と少し違うだろう。
 
吉田は官僚至上主義だ。生粋の政治家・国会議員(党人)のことを、無教養で野蛮、ただの馬鹿だと思っている。だからこそ、官僚から国会議員をスカウトした。それでも、官僚全般を信用していたわけではないだろう。とにかく「自分が一番頭がいい」と思っているのだ。そのおかげで混乱期の日本を指導できたという側面もあるのだが。
 
このように、吉田茂が実像よりきれいに描かれているのは気になるところ。でも、そういう面に目を瞑れば、吉田のプライドや苦悩は渡辺謙さんの演技の中でしっかり表現されていて、これはこれで一つの吉田茂像として、悪くない。
 
そんな吉田茂は、昭和の政治家よろしく、妻子持ちでありながら芸者と遊んだ。妻が他界すると、ひとりの元芸者を家に住まわせ、自分や子どもの身の回りの世話をさせた。令和の今とは隔世の感。
 
何も吉田に限ったことではなく、初代首相の伊藤博文などは、妻子の住む自邸に妾を住まわせた。住まわす方も、住む方も、それを受け入れる周りも皆たくましい。令和のコンプライアンスなんて、鴻毛よりも軽く感じられてしまう。
 
松雪さんが演じたのはその元芸者・小りん。無口でおとなしく、何も知らないようでいて、実は何もかもを見透かして韜晦しているような、気骨ある女性だ。見方によっては恐ろしい。
 
作品全体を通して着物姿。言葉遣い、姿勢、所作の隅々にまで神経が行き届いており、立てば芍薬、座れば牡丹。目の保養になるだけでなく、昭和という舞台設定にリアリティを与えている。
 
低めで柔らかい声と、遠慮がちな話し方も特徴的。松雪さん出演作で、こういう声がベースになっている作品は多くない。それにしても、本当に声の引き出しが多い。
 
白眉だったのは、第2話(#3)で出てくる、小川に架かる橋での悩まし気な立ち姿。まことに羞花閉月で、画になる佇まい。そして、これに続くシーンが大きな見所。
 
橋に立つ小りん(松雪泰子)の姿から不吉な予感が頭をよぎった吉田茂(渡辺謙)。小りんに歩み寄り声を掛けるが、ただの杞憂だった。豆腐を買いに行った帰りだと聞いて安堵する。そこからの長い会話の終盤で、吉田は首相就任への迷いを口にするのだが、ここで小りんが豹変する。
 
普段のおとなしい物言いから一転、鋭い口調で吉田を一喝し、ビンタを2発食らわせる。返す刀で、煮え切らない吉田を詰問して追い込んでいく。
 
この一連のやりとりは二人とも見ごたえある演技だ。大きな見どころ。小りん「好きにされればよろしいかと」には痺れる。

小りん演じる松雪さんのアップが何度も映るが、吉田茂(渡辺謙)を真っ直ぐ見つめるその目は、全くと言っていいほど、まばたきをしない。
 
女々しさを見せていた吉田は、ようやく首相就任の決意を固めた。
 
吉田茂「しょうがねぇなぁ。なってみるか、この敗戦国の総理大臣に。」
小りん「(微笑して小さく頷く)」
吉田茂「腹が減った。(小りんの持つ鍋に目を遣り)湯豆腐だ。」
小りん「(微笑して小さく頷きながら)はい。」
 
そして2人が連れ立って歩き始める際、小りん(松雪)が視線を一瞬吉田から外し、すぐまた吉田に視線を遣るのだが、その一連の表情が秀逸で、何度も観返してしまった。
 
その後、2人で歩きながら会話をする頃には、小りんはいつものおとなしい態度に戻っていた。この落差を不自然にならないようにするバランス感覚が、松雪さんの演技の優れているところだと思う。
 
このシーンの他にもうひとつ、同じ第2話で、個人的に好きな場面がある。先程の橋のシーンよりも前になるが、吉田の娘・麻生和子(鈴木杏)と小りん(松雪)の会話シーン。
 
和子「あなた、本当は後妻としてうちの籍に入りたいんじゃないの?」
小りん「…」
 
このときの、小りんの目(視線)の動き。セリフでは表現できない複雑な感情が伝わってくる。非常に短いシーンだが、思わず唸ってしまった。
 
この連載では、松雪さんの①声、②目(視線)の動きの2点に注目しているが、以上で紹介した2シーンとも、②がポイント。
 
口下手な小りんはセリフが少なく感情をあまり表に出さない。必然的に、声で表現しきれない心情を他の手段で表現することになる。その一つが②目(視線)の動きということだろうか。そう考えると辻褄が合う。
 
全5話しかないが、第2話以外にも見所あり。出演シーンは多くないが、観て損は無いだろう。
 
渡辺謙さんとの共演は、『砂の器』(2004年)、映画『沈まぬ太陽』(2009年)以来のはず。共演作は少ないが、どの作品も共演シーンは多い。
 
吉田茂の懐刀・白洲次郎役は谷原章介さん。白洲次郎のイケメンっぷりに適う俳優という観点からのキャスティングだと思われる。谷原さんは誰がどう見ても爽やかジェントルマンだが、実際の白洲次郎もまた途轍もない色男なので、ご存知でない方は是非調べてみて欲しい。男から見てもカッコよく、頭の切れる紳士。
 
ちなみに英語が自由自在。マッカーサー・GHQから提示された日本国憲法草案の翻訳に携わったことでも有名。あるときには、GHQ高官から「英語が上手だな」と言われたことに対し、「あなたももっと練習すれば私みたいに上手になれますよ」と返したという逸話が残る。このように反骨心溢れる性格だが、本作『負けて、勝つ』では、実物より少し大人しめに描かれている。
 
その谷原さんは、『救命病棟24時』(2001年)以来の共演だろうか。本作『負けて、勝つ』での共演シーンは少ない。これ以降では『半分、青い。』(2018年)で共演。
 
その他の出演者では、昭和天皇(大蔵千太郎)、近衛文麿(野村萬斎)、鳩山一郎(金田明夫)、芦田均(篠井英介)が、よく雰囲気が出ていたと思う。

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