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雑記

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自分のこと、世間のこと、社会のこと、世界のこと
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記事一覧

僕がインターネット時代に大事にしていること

僕は 「ネットでなにかを広く発信するときは必ず実名を使う」 と決めています。 ライブ配信へのちょっとしたコメントとかは匿名でやることもあるけど、基本的に文章を投稿したり、誰かと話したりするときは実名を出してます。 その理由は卑怯者になりたくないというのもあるけど、 「実名で胸を張って言えないことは言わない方がいい」 という経験則というか、迂闊な発言によって無用なトラブルを避けるための処世術みたいなことでもあります。 もともと陰口とか嫌いなんですよね。陰では悪口いうくせに本

ReHacQに出演した三浦瑠麗さんへの感想

僕は三浦瑠麗さんが好きで、本も何冊か読んでいるし、SNS上に感想を書いたこともあるし、動画も無料・有料とわずいろいろ見ているし、文藝春秋のnote上の50回以上にわたる無料連載ももちろんチェックしました。 もともと知ったきっかけは朝まで生テレビでした。リアルタイムで論者の主張を交通整理していく頭の回転の早さと、美しい黒髪やアンニュイな表情に性的に惹かれ、他の番組を観たりエッセイなども読むようになり、論文をもとにした硬派な『シビリアンの戦争』という本もこのあいだ時間をかけて読

僕らは単なるニュース消費者

SNS上で “情報発信” した気になってる人たち (僕も含めて) ってさ、基本的にニュース消費者でしかないんだなって思う。ただ出てきた事実を見て、それについて感想とか解釈を言ってるだけ。小説を読んで感想を言うのとか、映画を見て感想を言うのとかと、まったく同じ。 本当は自分自身が 「ニュースの発信者」 にならないといけないんだと思う。自分が、自分の立場から見える光景の中で、社会に共有すべきものを見つけて、それをわかりやすく議論の俎上にあげるようなこと。 でも社会ってのには段

現代の日本に暮らしていておかしいと思うこと

炎上という現象が社会正義の皮を被っていること → 罪人に石を投げて殺したり、残酷な処刑を公開の場でおこなうような風習は数百年前からありました。古代ローマのコロシアムでは罪人を猛獣に襲わせる処刑がおこなわれ人々はそれを娯楽としてワクワクしながら見に来ていたとのことです。 橘玲さんなどの考え方からすると 「悪いことをした人を罰することを快感に感じるのはヒトの遺伝子がそのように設計されているから」 です。 単体では生きていけず社会的な群れをつくって生活するヒトという動物にとって、

わからなさへの不安とフロイト・陰謀論

"わからない" という状態は極度のストレスになるが、フロイトはなんとなくそれっぽい物語を提供してそれを "わかるもの" に変えることで、結果的にストレスが軽減されて神経症が落ち着いたりしたんじゃないかという話を思いついたので書いてみます。 まず "わからないという状態がストレスになる" とはどういうことか。 1. 好意をもってこちらに挨拶してくる相手 2. 敵意をもってこちらを無視してくる相手 3. なんだかわからないけどずっとこちらを見ている相手 これらのうち3番目の人に

半夢日記 (Twitterが嫌いな理由~権威と同調圧力)

今日も12時間くらい寝たので記事を書きます。 たくさん寝たあとは、自分についての発見みたいなものが見つかることが多いというか、頭の中でいままでつながっていなかったもの同士がつながって、ひとつのストーリーみたいなものが出現する可能性が高いような気がしております。 あるいは夢を見ているときの脳の状態 ー つまり本来は関係ないはずのもの同士を支離滅裂なストーリーによってつなぎあわせているだけなのに疑いもなく受け入れてしまう状態 ー が、起きたあとも継続されているがために、統合され

「共通のPlatform」 とはなにか

僕は神保哲生さんと宮台真司さんの 「マル激」 という有料番組が好きでよく見ていたのですが、そこで宮台真司さんはよく "共通のプラットフォーム" という言葉を使っていました。 これを僕は公共という言葉と似たようなイメージで捉えていました。 みんなが使うもので、それがなければみんな困るから、みんなが気を遣って (たとえば市町村税などを払って) 支えておかなければいけないもの というイメージです。 そして宮台真司さんは 「日本人には共通のプラットフォーム感覚がない」 と批判して

取りに行かない時代

SkypeやらDiscordやらTwitterやらインターネット時代のコミュニケーションツールはそれなりに体験してきたつもりです。 日本人コミュニティだからなのか、全世界的にそうなのかわかりませんが 「取りに行かない使い方」 をする傾向があるなと思います。 言い換えるなら 「能動的でない状態」 が好まれるというか 「たまたまそうなってしまった」 という状態が好まれる。 ただ完全に受動的というわけでもなく 「嫌だったら拒否する」 という自由はあるけど 「好きなものを取りに

日雇い系イベントスタッフが考える人事

桂大介さんのこの記事を読みました。 読みながら 「こんなのジレンマでもなんでもなく、ありふれた日常の一コマじゃん」 と思いましたが、そう感じたのは僕が大きな会社組織に所属したことがなく、日雇い系のイベントスタッフを長年やっていたからだと気づいて 「そうか、世の中の大多数の人は僕みたいな経験や感覚を持ってないのか」 と思い、少しでもジレンマに悩む人々の参考になればと、この記事を書き始めたところです。 僕がやっていた "日雇い系のイベントスタッフ" というのは、主にコンサート

DJ SODA・ひろゆき・ファクトチェックと服装の問題

もともとのきっかけはこのDJ SODAさんのツイートのようです。 これに対して、ひろゆきさんがこのように返します。 (しかしコミュニティノートによって誤読・誤訳だと指摘されています) またその後、日本ファクトチェックセンター (JFC) なる団体によっても指摘されています。 これを3行の会話にすると、 DJ SODA 「服装と性被害は絶対に関係がない!」 ひろゆき 「絶対は嘘ですよね?22人に1人は服装が一因ですよ?」 JFC 「服装が原因

インターネットを汚すな!!

僕はこの自分の考え方が時代遅れの頭悪い意見だというのをわかった上で言うんですけど、 「インターネットを無駄に汚さない」 という感覚をもっと持った方がいいと思うんですよね。 我々、紙媒体世代のおじちゃんおばちゃんならわかると思うんですけど 「くだらないことを書いたら紙が無駄になるでしょ!」 という感覚があるじゃないですか。紙ってのは木からつくられるわけで 「自然の資源を消費してる」 という感覚にもつながるわけですよ。 メールの時代にはまだその "紙感覚" が残ってたと思うん

河井克行と検察の不起訴 /『検事失格』市川寛

河井克行 (元法務大臣) 氏の事件が話題になっています。 もともと河井克行・河井案里 夫婦は、選挙のときに政治関係者に金を配って買収した罪でそろって逮捕されていたようです。これが2019年の話。 最近になって、その事件の捜査方法に不正があったんじゃないかという疑いがでてきています。 どうやら汚い金を "受け取った側" の政治関係者たちを取り調べるときに、担当の検察が 「あなたを不起訴にするから "渡した側" の河井夫妻を有罪にできるような証言をしてくれ」 と交渉した疑いがあ

民主主義と一揆

日本でここ数年、デモが盛んにおこなわれるようになり、SNS上では、ハッシュタグデモなんてものも起こるようになりました。 僕はそうした活動に参加したことはありません。 一度だけ、乙武大行進という安倍晋三さん銃殺後の企画に参加しましたが、途中で列を抜けて帰ってきました。 なぜデモに惹かれる人々を冷めた目で見てしまうのかというと、 「自分が主権者になって物事を決断する覚悟がない」 という風に見えてしまうからです。 たとえば、居酒屋で会社の上役を批判する人たちの多くは、 「自分

金利と国債と市場原理ちゃん

市場原理はアダムスミスが激推しした理論ちゃんです。 とってもわかりやすい理論ちゃんなのでみんなに親しまれて超売れっ子になりました。 この理論ちゃんの代表曲が 「需要と供給 ~見えざる手を求めて~」 です。 難しそうな曲だけどとーっても簡単なので、今日は名前だけでも覚えて帰ってください♪ といっても超有名アイドルの市場原理ちゃんのことはみなさん既に知ってるでしょうし、今となってはケイン's とかMARXILEとか新しいアイドルに押されてすっかり下火になってますから、あえて説明