インターネットを汚すな!!

僕はこの自分の考え方が時代遅れの頭悪い意見だというのをわかった上で言うんですけど、 「インターネットを無駄に汚さない」 という感覚をもっと持った方がいいと思うんですよね。

我々、紙媒体世代のおじちゃんおばちゃんならわかると思うんですけど 「くだらないことを書いたら紙が無駄になるでしょ!」 という感覚があるじゃないですか。紙ってのは木からつくられるわけで 「自然の資源を消費してる」 という感覚にもつながるわけですよ。

メールの時代にはまだその "紙感覚" が残ってたと思うんですよね。
それは送るのにパケット通信料がかかるっていう料金システムも絡んでいて 「何回もやりとりするより一回で伝えたいことを書いた方がお金もかからなかった」 わけです。
だから配達に手間とお金がかかる "手紙" と同じような文体・フォーマットでやりとりされた。

ところが通信料が定額になるともう "紙感覚" は跡形もなくなる。
LINEの文体はより会話に近いフォーマットになり短文のやりとりが主流になる。
Twitterとかもそうで、もともと 「いまなにしてる?」 から始まったサービスということもあり、その瞬間の考えや気持ちをそのまま出力するような使い方が主流。

そこには 「紙が無駄になる」 「送信に料金がかかる」 といった縛りがない。
無限に送信できるので文章や内容を自発的に推敲する必要がないともいえる。

そういう世界に僕はどうしても馴染めない。
紙のために木を切る必要がなくても、パケット通信料がかからなくても 「なにかを無駄にしている」 感じがしてしまう。

その "無駄にしてる感じ" は冒頭に書いたように僕の感覚的な思い込みで 「電話なのに身ぶり手ぶりを使って話してしまう」 ような何の合理性もないものだと思うんだけど。
ただその思い込みのバイアスを自覚した上で、無理やりその感覚を正当化しようとするなら 「文章を読む人の時間」 を無駄にしている、ともいえる。

世の中にはほぼ無限に文章があって、優れたものも劣ったものもある。
「僕の文章を読んでもらうくらいだったら、ニュース記事や無料で読める論文を読んだ方がまし」 とも思うし 「Twitterのトレンドばっかり読んでるくらいなら、僕の文章を読んでもらった方がまし」 とも思う。

実際問題、人生の時間は有限で、特に家事や労働や睡眠の時間を除いたら1日に数時間くらいしか余暇はない。
その貴重な時間を 「どの文章や動画に充てるのか」 を考えると資源問題にも通じるものがある。
世の中には本当に素晴らしい文章を書く人がたくさんいるけど、僕らが大量に石ころみたいな文章を投稿すれば、そういう人たちの文章を埋もれさせてしまうことにつながる。

ただ何度も書くようにこういう考え方は "無理やり自分の感覚を正当化したもの" で、この考え方でいくと 「一部の専門家などの権威だけが発言権を持ち、それ以外の人は意見を言えない」 という抑圧的な社会にもつながりそうな気がしていて。つまり 「価値のある発言と価値のない発言」 をふるいにかける考え方ですよね。それはそれでどこか逆行してる気がする。

「自分が求めるものに適切にアクセスできる環境があるならいい」 と思う。
玉石混交の中から、自分が玉だと思うものを的確に取り出せるシステムやプラットフォームがあれば。
でもその考え方が、アクセス履歴から似たようなものを進めているアルゴリズムにつながっているんだとすれば、むしろ 「自分にとっての "玉" しか見えない環境」 に囲い込まれてしまう危険性とかも出てくる。いわゆるフィルターバブル問題。

そこでやっぱり東浩紀さんの "誤配が大事論" に行き着くわけだけど、僕はその論にこだわりすぎてて、僕自身が "誤配が大事論" という "玉" しか見えないバブルの中にいる気がする。

  1. どんなものを "玉" と思うかは人によって違うという多様性を認めた上で

  2.  なるべく自由な発言・意思表示を制限しない方向性を曲げずに

  3. その人にとって "石" でしかないものをふるいにかけて取り除く仕組みをつくりつつ

  4. "玉" だと思える範囲が思いがけず広がってしまうようなランダム性もある程度は残す

そういう環境が僕の頭で考える理想なので、インターネット利用者であるみなさんに注意喚起をしようと思ったわけです。「景観を汚すな!!」 という貼り紙みたいなものですね。

まぁその貼り紙自体が景観を汚してるわけですけどね、貼り紙のせいで紙とインクも無駄になりますしね。こんな自己矛盾でみなさまの時間を無駄にしてしまってごめんなさい。もうしません。許してください。さようなら。


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