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小説:好奇心レーダー

 ビルから出ると、目の前に一気に色彩が広がりました。最初に断っておきますが、絶景というわけではありません。むしろ毎日この景色は見て半分飽き飽きしています。この会社に通っているわけですから。しかし、気分が変われば見飽きた景色にも新しい発見があるものです。赤く染まった空と雲をバックに立つビル群はこんなにも美しかったなんて気が付きませんでした。久しぶりに好奇心レーダーが反応したのは、明日は有給休暇だからです。月曜日の祝日を合わせて4連休だからです。

 好奇心レーダーというのは私のお友達の詩織ちゃんが考えてくれたものです。なんだか響きが面白いので私はこの言葉とレーダーを愛用しています。彼女いわく「私はほかのこと違っている」だそうです。私は当時そんなことはないと抗議しました。しかし、普通の女の子はつやつやのドングリを集めないし、放課後動物園に行きキリンの絵を描くこともないし、建学祭でミュージカルの企画なんかしない、と詩織ちゃんはいうのです。

 しかし、私はそのいわゆる普通じゃないことに価値や美しさを感じていましたし、実際ちゃんと向き合えば思わず打ち込んでしまうほどどれも面白いと感じていました。それを伝えたところ、普通は見向きもしないことだと、あきれました。その時に、私には好奇心レーダーという特殊な装置が付いているのだと詩織ちゃんは言ったのです。
 
 私はそれから好奇心レーダーを大切に扱ってゆこうと、常にメンテナンスをしていたのです。しかし、途中でそれをやめざるを得ない機会がやってきてしまいました。

 就活です。「私は他の子と違っている」これはとても不利に働いてしまったようです。そして就活が終わってからも、そうでした。会社ではこの好奇心レーダーは役に立たず、むしろ反応すると怒られてしまう始末でした。

 今までホコリをかぶっていた好奇心レーダーでしたが、今日はなんだか使えそうです。なんだかいいことがあるかもしれない。そうおもい、今までとは違う道で駅に向かうことにしました。

 実際に違う街を歩いているようでした。こぎれいなビル街とは裏腹に今日私が選んだ道は、人がごった返しています。飲み屋さんがたくさんありそうです。

 繁華街を出ると、私は大きなスイカを抱えていました。そても重たいですし周りからじろじろとみられます。むしろとてもいい気分でした。スイカをいただいたというのもありますが、ここで好奇心レーダーが機能してくれたからです。

 私は繁華街に足を踏み入れた後、八百屋さんに向かいました。恥ずかしながら八百屋というものを見たことがなかったのでそれはもう興味津々でした。どのやさいも新鮮でおいしそうです。そんなとき、八百屋のおばさんが話しかけてくれました。それにもう、私は驚いてしまって変な声を上げてしまいました。田舎では逆に個人スーパーはなく、チェーン店のスーパーしか、ありません。したがってこのように話しかけられることなんてないのです。この体験にもたまらなく舞い上がってしまい、スイカの産地を聞いてしまいます。

 おばさんはスイカの産地を語ってくれるだけではなく、その農家さんのことまで教えていただきました。その熱意ある説明と詳しさに私は感動してしまい、もっとスイカについて聞き込みを行ってしまいました。そのせいでしょうか。

「持っていきなよ。一人暮らしでスイカなんて食べないだろう。それに、あんたみたいな泡解雇は今時なかなかいないからね。サービスだよ」
そう言って、私にスイカを与えてくださったのです。

スイカをもらいすっかり上機嫌になった私は鼻歌を歌いながら、駅構内にたどり着きます。すると不思議なことに、鼻歌に伴奏が付いたじゃありませんか。私の陽気な想像力はついに脳内でピアノを演奏するのかと思いましたが、そんなことはありません。駅前に設置されたピアノを誰かが演奏していました。私の鼻歌と同じ曲を弾いているのです。絶対に何かいいことがあるに違いありません。好奇心レーダーがさすままに、私はピアノのほうへ吸い込まれてゆきました。

好奇心レーダーは絶好調です。何と、ピアノを弾く男性は私が好きな曲ばかりを弾くのです。そのおかげで私は踊りだしそうになってしまいました。しかし、さすがに踊ってしまうわけにもいきません。ですが、体は止められず、体を揺らした時でした。

 通行人の方とぶつかってしまいました。つい私はスイカを手放してしまいます。

 ああ、どうしましょう。スイカはゴロゴロとピアノのほうへ転がって行ってしまいました。

「ああ!」

 飛びつこうと思ったのですが、もう手遅れでした。男性はを転がるスイカを優しく受け止めてしまったのです。

「すみません。演奏の邪魔をしてしまって」
「いえ、いいのです。それより、なんでスイカが転がって?」
「そ、それはですねお恥かしながら、踊りだしそうになってしまったのです。」
「あはは。面白い方ですね」
「すみません。迷惑ですよね。帰りますので」
「いえ、迷惑なんてそんな」
「でも」
「大丈夫です。僕も勝手にピアノを弾いているだけですから」

 彼は茶目っ気たっぷりにウインクをすると、またピアノを弾き始めました。今度も私の好きな曲でした。彼は何度も私のほうを見てきます。ああ、そうですよね。勝手に弾いているのだから、大丈夫ということですよね。

 私は、スイカを置き、ピアノの前に飛び出て、踊りだしました。ああ、久しぶりの感覚です。大学の時、そう、好奇心レーダーができたときは毎日こうでした。面白いものを見つけてはその衝動にからだを動かす。これが私だったのです。この浮足立つ時。同じ熱狂を持つ人と共有する濃い時間。そして、誰にも犯すことができないこの好奇心に満ちた空間。会社の枠にはめられて、あれはやってはいけない、これはやってはいけないと考えるうちに忘れてしまっていました。ああ、これが私だったのです。

 何と素敵な時間だったのでしょう。ピアノを弾いてくださった方と私は熱い握手をしてさよならしました。また、こんな偶然が重なってどこかで会いたいものです。

 どこか。そんな些細な言葉すら私の好奇心レーダーに反応しました。ふと、予感がして右を向くと、彫刻のような岩々が美しい夕日の海岸の写真が見えます。JRのポスターです。美しい夕焼けの下には大きく東北と書かれています。あんな素敵な場所でスイカ割りなんてするのはどうでしょうか。ああ、もう出力は学生時代のそれを超えているかもしれません。私は踵を返し、みどりの窓口へ向かいました。

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