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怒っていても、悲しんでいても、苦しんでいてもいい、それでいい

「自分の頭で考えない」生活を始めて2ヶ月ほど経過した最近。
なんていうか、悩みが全然ない。

悩まなきゃいけない感じのことはちょくちょく起こるけど、「ウーーン、この件どうしよう、どうしよう~ウーーーン」→「ウーーン、ウーーン」ってやるんじゃなくて、「ウーーーン、この件どうしよう~」→「どうしようもないわあ、私にはわかりません」ってところで止めておけば、
「あ、そうだそうだ、こうすればいいじゃん。これでいこー」があとでポコッと出てくるので、それをそのまま使う。するとなんか、上手くいく。
たまにどうにかならないこともあるけど、それは元々どうにかならないほうがいいことだったってことが後でわかる。あるいは、そもそもどうでもいいってことに気付いたりとか。自分でウンウン悩む必要がないので、時間も大幅に節約できるし、気持ちも疲れない。

2ヶ月の間にこういう経験がドンドン蓄積されてきて、いよいよ「無思考は役立つ」ってことを確信するようになった。

スマホの壁紙に「自分の考えは役に立たないし、基本意味ない」とデカデカ書いて常に目に入るようにしていたんだけど、これもそろそろ無用になってきた気がする。そんなの当たり前じゃんとしか思わなくなったから。

考えが頭の中にポコポコ浮かぶことは今でも当然ある。
「あの人は私を嫌ってるんじゃないか?」
「もしかしたら、私の噂をされてるんじゃないか?」
「お金のことをちゃんとしないと、将来大変なことになるのでは?」
以前ならこういう考えをいちいち相手してこねくり回して大騒ぎしていたけど、いま考えたら意味不明というか、何やってたんだろう?という気がする。まあ無理もないことではあるけど。

レストランで自分の肩に小バエが止まったからって、わざわざ必死にそいつをとっ捕まえてかごに入れて、こいつの生態は!?なぜここにやってきたのか!?とかやってるのと同じように感じる。
小バエなんてあっちゃこっちゃからやってくるもんなんだから、手でさっさっと追い払えばどっか行くし、それでも気になるなら窓を開けてどっかに逃がせばいいだけだ。それか小バエホイホイ置いとけばいい。それ以上なんやかんやすることに意味なんてない。ハエがやってくることに意味なんてないんだから。

虫苦手なひとごめんなさい。虫例え、やめます。

怒りや悲しみを歓迎するということ

で、こうやって淡々と生活する中で最近起こった大きい変化があって、それは感情に以前ほど明確な序列を作らなくなったっていうこと。

前は嬉しい、楽しい、ウキウキワクワクハッピーにこにこ=正しい状態で、
悲しい、苦しい、しくしくめそめそ=ダメな状態、劣った状態
だっていう決めつけというかレッテルというか、いや、もはや決めつけともレッテルとも思わないレベルでこれを確信確定していたんだけど、そうじゃないよなってことを思う。説明が難しいけど。

嬉しいことと悲しいことは、一つのものごとの光と影なんだって思う。うーん、ますますワケがわからないな。

言い換えると、悲しいことの前提には、必ず喜びがある。

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