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「自己評価が高い」と「自己肯定感が高い」の違い

「自己肯定感が高いのは良いことだ」ということがなかなか受け入れられない、あるいは反発を感じる人がいる理由がわかった。

多分、多くの人が「高い自己評価」と「自己肯定」を混同している。

これは実際無理もないことだと思う。世間でもここはごちゃごちゃになっているし、私もこの部分を明確にしていなかったなと。そこでこの2つにハッキリと線を引くためにこの記事を書いています。

最初に一言で結論。

自己評価の高さと自己肯定感の高さは根本的に無関係である。自己評価が高いことと自己肯定感が低いことは両立するし、その逆もある。

なぜなら、
自己評価が高い=自分自身に対する評価が高いこと
自己肯定感が高い=自分自身を受け入れていること

だからだ。
もっとわかりやすく言うと、
「俺は賢い」「俺はかっこいい」「俺は性格がいい」「俺は成功している」
と考えるのが自己評価が高い状態であり、
「俺は馬鹿かもしれないが、馬鹿でけっこうだ」
と考えるのが自己肯定感が高い状態である。
この2つは交わることもあるが根本的にはそれぞれ独立したパラメーターであり、それぞれの組み合わせによって他人からの見え方も変わると思われる。

以下、それぞれのパラメーター値の組み合わせによって4パターンに分けて解説してみる。あくまで目安で、そうはっきりと線を引けるものではないですけど、大まかな傾向の話です。

①自己評価が高い×自己肯定感が高い

いわゆる最強人類(?)。もっとも希少性の高い存在。
私って可愛いからみんな嫉妬してるんでしょー?みたいなタイプ(必ずしもこういう態度に出るとは限らないけれど)
どんな逆境に陥ろうと決して「自分が悪い」とか「自分は劣っている」とかいった結論は導かないので本人は非常に幸せであるし、なんだかんだで周囲が世話を焼くのでますますハッピーの波に乗る。こうやって文章で読むとイライラさせられるかもしれないが、実際に身近にいたらむしろ清々しさを覚えるだろうし、気づけば世話を焼いてしまいそう。

多分幼い頃からスター扱いされ目一杯チヤホヤされて生きており、なおかつ大きな挫折を感じない程度に本人のスペックが高いかあるいは、スペックの低さを補う何らかの仕組みがある(例えばものすごいお金持ちであれば競争社会に晒されず自由に生きていけるので、競争の場で挫折を感じにくい)

②自己評価が低い×自己肯定感が高い

「いやー私ってめっちゃ馬鹿なんだよねー!」などと、卑屈さゼロで笑っているようなタイプ。愛されキャラ。等身大の自分を隠そうとしないので、周囲の人はとてもリラックスして接することができる。
周囲に嘲笑われようと馬鹿にされようと全く・あるいは大して気にしないのがこのタイプの特徴である。

このタイプに擬態して人気を獲得しようと自虐ネタを多用する人は多いが、本当は自分でも傷ついていたり、だんだん周囲に馬鹿にされているような気がしてくるなどして情緒のバランスを崩すことが多いのでやめたほうがいい。

多分幼い頃から両親にあまり褒められたりしていない・あるいはちょっと馬鹿にされたりけっこう雑な扱いも受けたりしているが、本人が欲しいだけの愛情をたっぷり与えてもらった場合こういう人になる。

③自己評価が低い×自己肯定感が低い

もっとも想像しやすい「自己肯定感が低い人」。自分なんて何もできない、自分のやることは全て大したものじゃないと決めつけており、自分に期待していない。他人にも期待していないため、がっかりや失望をあまり感じない。「自己肯定感が低い」ことを問題だともあまり思っておらず、他人に物事を譲ったり、理不尽な目に遭っても「まあこんなもんだろう」などとすぐに受け入れてしまう。よく言えば穏やか、悪く言えば無気力。「自分は重要ではない」という感じ。本人も気づかないうちに心に深い傷を負っていて、ふとしたきっかけで悲しみや怒りが爆発してしまったりする場合もある。でも、特にそういうこともなく淡々と生きている場合もある。

多分このタイプの人は幼い頃から両親にあまり褒められず、馬鹿にされたりもせず、本人の肌感覚としては「親が自分に興味を持ってくれなかった」という感じがあるのではないかと思う。

④自己評価が高い×自己肯定感が低い

意外にこういう人がとても多いのだけど、本人は「自分は自己評価が高いから自己肯定感が低いとは言えない」と思っていたり、逆に「自分は自己肯定感が低いから自己評価も当然低い」と思い込んでいたりするが、その奥底には「自分は優秀でなくてはならない」という、過剰な自分への要求、思い込みがある。
要求が高すぎる故に、他人より多少結果を出していても全く自分を受け入れられないのだ。
こういう人は自分より下だと判断できる人間に対しては強い見下しの感情を覚え、逆に自分より優秀な人間に対しては強い劣等感を覚える。その感情が行動に反映されて目下の相手に対するマウント的な行動、目上の相手には激しくへりくだる行動が表出してしまうこともある(もちろん全員ではない)。また、こういう自分の心理的な傾向に気付いて激しい自己嫌悪に陥り、余計に自己肯定感を下げがちである。
このような傾向は「無価値な自分は優秀でなければ・いい人間でなければ生きていてはいけない」といった罪悪感によるものであり、つまり「生きていてごめんなさい」だ。
自分より下(に見える)の人間には自分が上であることを強調することで「自分には少なくともこの人より価値がある。だから生きていていいのだ」と安心しようとし、自分より上(に見える)人間の前では、自分が生きていることに猛烈な罪悪感を覚え、卑屈に振る舞うという流れになっている。

多分幼い頃から親に過剰に期待されたり、過剰にプレッシャーをかけられたりした子供がこのタイプになる。親の行動から「いい子にしてる時だけ愛される」「いい子でなければ嫌われる」ことを学習し、それが「ありのままの自分は無価値である」という誤った答えを導き出してしまう。


以上の4パターン。ボンヤリと、自分はこのタイプ、あの人はこのタイプ、というのがピンとくるのではないだろうか。

あ、でもこういう分類は他人や自分を馬鹿にしたり型にはめて個性を無視したりするために使っていては意味がなくて、自分や相手を許すため・理解するための道具として役立てていきたいものですね。

私は自己肯定感に関する記事を色々書いているけど、
基本的に自己評価は高くても低くてもどっちでもいいが、自己肯定感は高くしたほうがいい、というスタンスです。

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