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言葉によって自分の心をコントロールできる理由

ポジティブな言葉を発しろ、願望は口にしろ、暗いことは喋ってはいけない。そういう話を聞いたことがある人は多いと思うし、実際にそれを実行している人も多いと思う。

世では「言葉で自分の心(ひいては人生)が変わる」ということが当然のように語られているが、一体なぜそのようなことが起こるのか?という「仕組み」について語られることは少ない。

この文章は、「言葉で心は変わる」ことを確信している私が、その仕組みに関する私なりの考えを解説するものだ。なぜ言葉を変えることで心が変わるのか。それが腹落ちすると、言葉を慎重に使うということにもっと真剣に取り組むことができる。その結果、当然よりスムーズに自分の心をコントロールできるようになるだろう。

人の心を直接動かすことはできない

大前提として、心というのは基本私たちのコントロール外にある。
私たちは怒り狂っているときに「怒っちゃダメだ!」とか考えたり、悲しくて仕方ないときに「悲しんじゃだめだ」とか思ったり、逆に喜びで溢れているときに「舞い上がっちゃダメだ」とか、何か猛烈に笑いを誘われているときに「笑っちゃダメだ」とか色々な努力をするが、そうした努力はほぼ100%無駄に終わるか、一時的に結果が出たとして、別の場所にその発散を求めることになるのは皆知っていると思う。

心は間接的にコントロールするべし

心はコントロール不能であるとは言っても、心がずっと変わらず独立して存在している存在かというと、全くそんなことはない。人の心はたえず周囲から影響を受け、毎日のごくわずかな刺激でいとも簡単に形を変えてしまうものである。

つまり、心に対する刺激の形を変えれば『間接的に』心をコントロールできるはずである。

あなたの心に対する刺激とはなんだろう。例えば天候やあなたの体調、あなたの仕事の調子などはピンときやすいだろう。物事がうまくいっている時は、心の調子も良いものだ。
だが、天候や体調は完璧にコントロールできるものではない。健康になろうとする試みや仕事をうまくいかせようという努力が身を結ぶこともあるが、そこには長い時間がかかるし、うまくいかないこともある。

だが実を言うと、そして幸いにも、天候や体調や仕事よりもよほど大きくあなたの心を引っ張っているものがある。
それは何かというと、あなたの「言葉」である。
これは「言霊が」とか「ツイてるって1000回言えばツキが回ってくる」とかそういう話ではない。いや厳密にはそういう話ともつながるのだが、とにかく聞いてほしい。

心はこうして言葉に引っ張られる

あなたの心は言葉に引っ張られている。
もっと具体的にいうと、あなたの心はあなたの「普段使いの言葉」にコントロールされている。
これはどういうことか、今から例を出して説明しよう。

あなたは久しぶりにある友人に会った。友人は髪を切ったばかりという様子で、とても嬉しそう。あなたはその髪を心から褒めたいと感じる。
その時に、あなたの口をついて出てくる言葉は?

1「わあ、髪切ったの?かわいい〜!」
2「髪悪くないやん」
3「まあ、素敵な髪ねぇ」

これらの言葉はすべて「あなたの新しい髪型は好ましい」という意味だが、あなたはこれらの中に絶対に使わない表現、自分が使いがちな表現をはっきりと区別することができるだろう。
そして、このような違いが出るのはどうしてだろうか?例えばあなたは①を選んだとして、なぜ2や3を選ばないのだろう?
その答えが、先ほどの「普段使いの言葉」だ。
1を選ぶあなたは「かわいいねー」と口にすることはあっても、「素敵ねえ」とか「悪くないやん」と口にすることは滅多ににない。それはなぜかというと、ここで挙げた「かわいいね」以外の言葉は、あなたの「普段使いの言葉」に入っていないからだ。

あなたが新しい友人の髪型を見た時、まず、生の感情が襲ってくる。それはポジティブな感情だとする。
それを相手に伝えようとする時、あなたは「普段使いの言葉の中から」もっともその感情に近そうなものを選びとる。それは無意識に行われる。
「かわいいね」
そう口にした瞬間、あなたの感情は「かわいい」と翻訳され、あなたはこの一連の出来事を「私は友人の髪型を可愛いと思った」という経験として捉え、記憶する。

ここで人によっては、それぞれの普段使いの言葉に従って「素敵」と翻訳し、「悪くない」と翻訳する。もっと細やかに物を見る人ならば「夏らしくて涼しげ」だとか「横顔のラインがかっこいい」とか言うだろう。
みな好ましく思っていることは同様だが、それぞれの感想の中で、ほんのわずかに解釈違いが起きていることがわかるだろうか。「かわいい」と「素敵」と「悪くない」は微妙にニュアンスが違う言葉だ。もちろん「涼しげ」も「かっこいい」も。
人は生の感情を言葉に翻訳すると安心して、生の感情にそれ以上向き合うことをしなくなる。そして言葉を翻訳する時、人は「普段使いの言葉」を参照する。
私たちが生の感情を表現するべく言葉を選ぶ時、それは正確には「普段使いの言葉を使い、物事をどう解釈するか」を選んでいるのである。

だからかわいいという言葉を普段使いしている人は、好ましいものを何でもかんでも「かわいい」と解釈しがちということが起こる。「素敵」でも「悪くない」でも同様のことが起こる。

物事の解釈は「普段使いの言葉」に引っ張られているということ、わかっていただけるだろうか。

普段使いの言葉を変えれば、心は変化する

世の中には物事を明るく捉えがちな人と暗く捉えがちな人、つまりポジティブな人とネガティブな人がいいるが、この心のありようの差を生み出すのが、「普段使いの言葉」の違いなのである。
物事を明るく捉えがちな人は明るい言葉を普段使いしており、暗く捉えがちな人は暗い言葉を普段使いしている。
「それは原因ではなく結果だ」という指摘もあるだろうが、それは一面的な見方だと思う。暗い言葉を普段使いしているのは、結果であり、原因でもある。

普段使いの言葉を浄化することで、ものの捉え方は確実に変化する。

つまり、暗くネガティブな人がその心を変えていくには、「普段使いの言葉」の中身を暗いものから明るいものに変えていけばいい。

そんなことが出来るだろうか?答えはイエス。少なくとも、心を直接コントロールするよりよほど意味があり、簡単である。

普段使いの言葉は簡単に変えられる

普段使いの言葉が変化するということは、実は誰でも多少経験していることである。

例えば、地方出身者が都心にやってくると、標準語にもまれて方言を少しずつ使わなくなっていく。あれも、普段使いの言葉が変化していると言える。

こういう人が地方に帰省すると、またすぐに方言を取り戻す。そして再び都心に戻ればそれを脱ぎ捨てる。「普段使いの言葉」というのは、このくらいカジュアルに変化するものなのである。

そして実際にこういう変化を経験している人ならおそらくわかるのではないかと思うが、方言を使っている時と標準語を使っている時では、物事の感じ方もわずかに変わっているはずである。

例えば私は福岡の人間なので、面倒だなーと思うと
「あー、バリしゃーしいわー」とか言いたくなってしまう。
標準語で話している時は「あー、めんどくさ、、」とか言う。「めんどくさい」と「しゃーしい」は似て非なるものだが、めんどくさいと口にしてしまうと、その物事は『めんどくさい』のニュアンスで私の記憶に残る。
地元で話している時なら『しゃーしかった出来事』と捉えていたことが、東京では「めんどくさかった出来事」になる。
これが、普段使いの言葉を変えれば物事の感じ方が変わるということの例である。

暗い言葉から明るい言葉へ

だがもちろん、普段使いの言葉を暗いものから明るいものに変える作業は方言を標準語に変えることほどスムーズにはいかない。

なぜなら、世の中の多くの人が暗い言葉を使い、テレビやネットを見ても友人と話しても、ネガティブな言葉が滝のように襲ってくるからである。
私たちはその滝に打たれることに慣れすぎて、非常に無防備にそのしぶきを浴びている。

私たちはネガティブな言葉を意図的に避けなければいけない。あらゆるゴシップ、あらゆる嘆き、あらゆる悲劇、あらゆる怒りから目を背けなければいけない。

断っておくが、これはあくまで「普段使いの言葉を変えることで、心をコントロールするため」だ。

暗い物事を変えていこうとする時、世の問題を正していく時には当然暗い物事に向き合うことが必要だ。
しかし、普段使いの言葉を暗く保ったままで物事を変えていくポジティブな力を持つことなどできはしない。普段使いで暗い言葉を使っている人間は、自分の行動も暗く捉え、未来を悲観し、「できる」と考えるよりも「できない」と判断しがちである。つまり、なんでも簡単に諦めてしまうし、胆力がない状態である。このような状態で何かを成すのは非常に難しく、多くの場合失敗に終わるだろう。

であるから、とにかく一時的には、ネガティブな言葉を遮断しなければならない、と私は考える。

明るい言葉を発するということ

また当然ながら、自分の発する言葉にも注意を払わなくてはならない。自分がある言葉を発すると、「普段使いの言葉リスト」の中でもより優先度が高くなる。
経験があると思うが、何か新しい言葉を知った際などにその言葉を一時的にでも連発していると、次は全く別のシーンでもその言葉が飛び出しやすくなる。仕事で覚えた横文字言葉がプライベートで飛び出してしまい変な空気を作ってしまう、みたいなことはこの働きのために起こっている。

であるから意識的に明るい言葉を発することで、普段使いの言葉の中身を書き換えることは十分可能だ。
前述の「ついてるって千回言う」とか「言霊」とかはこのメカニズムを利用したものであるが、気をつけたいのは、ひねくれた人間の場合(私もそうだが)、思ってもないのに「ついてる」と口にすると、心の中で「ついてねえわ」とか思ったり、「きっとできる!」とか明るくアツイことを無理やり言うと「いや無理でしょ」などと逆のことを考えてしまう傾向がある。
これでは、普段使いの言葉リストの上の方に「ついてる」「できる」というポジティブワードが並ぶと同時に「ついてねえわ」「無理だわ」というネガティブワードも一緒に並べてしまうことになる。
もちろん千回も唱えていればネガティブワードも出てこなくなる、というような意図があるのはわかるのだが、まあ私の場合は、めんどくさいのでこういうことはやりたくないと思う。

なので発言に関しては、あくまでも「思ったことを言う」というベースは守り「明るいことを考えることができたら、すぐさま口にする」という程度に留めるのがいいだろう。それは日常の会話でもそうだし、SNSでの発信も同様である。

ポジティブな発言をするということは、それを聞いた人の普段使いの言葉にポジティブな言葉を入れることにもつながるため、自分のためになるだけでなく、人助けにもなる。抵抗のない範囲で是非とも試すべきである。

ネガティブな言葉を見たり聞いたり発したりすることを避け、逆にポジティブなことを摂取し、また発信するようにすれば、自ずと「普段使いの言葉」に変化が現れ、心のありようもポジティブなものに変化するはずだ。

普段使いの言葉を変えれば、心は必ず変化する

「言葉で心をコントロールする仕組み」は以上である。
まとめると、こういうことだ。

心は普段遣いの言葉に大きな影響を受けている→
普段使いの言葉を前向きなものに変えれば、心は前向きになる→
そのために、暗い言葉を見たり聞いたりするのを避ける→
さらに、明るい言葉だけを発するようにする→
すると普段使いの言葉が明るいものになり、心が明るくなる

ところで現在、私は「不幸脱出マニュアル」というものを書いている。
「不幸脱出マニュアル」では読む人に対し、自分をダメだとかクズだとか思ってしまう自己否定の心をアンインストールし、ポジティブに自己を肯定していける心をインストールし直すという、かなり難しいことに挑戦させようとしている。

「不幸脱出マニュアル」では、ここで書いたような「普段使いの言葉が暗いもので埋め尽くされている場合の心の動き」の他に、「怒りや悲しみで我を忘れたときの心の動き」「暗くネガティブな物事に注目しがちな人間の本能」をあくまで自分の本質とは別のものとして客観視してもら雨ことで、心の直接的コントロールを諦め、新たな方法をスムーズに試してもらうために「心の中に住み着く悪玉という生き物」という概念を使って、心のコントロール方法を説明している。

実際の生活でネガティブワードを避ける方法や、ネガティブな会話に参加しない方法など、より細かい説明は「不幸脱出マニュアル」の方に詳細を書くつもりである。こっちもよろしく。

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