人生のラスボスは「退屈」なのかもしれない
先週夫と喧嘩した(というか一方的にキレたあと一人で冷静になって謝った感じ)あと、夫は本当にこまやかに「ありがとう」とか「ごめん」とか私に言ってくれるようになって、すごくありがたいし声をかけられるたびに心が温かくなるんだけど、なんか同時に、もういいのになあ、言わなくてもいいのになあという気持ちも出てくる。
現実ってあまのじゃくで、こちらが何かを欲して悶絶していた時には決してそれを与えてくれないのに「もうそれにはこだわらない、あってもなくてもいいよ」という感じでこだわりを手放すと、あっさりとそれを与えてくれる。だから逆に言うと、願いが叶った時って毎回「ああうん、ああそうだったねえ、これが欲しかったんだった、うんうん、どうもどうも~は~い」みたいなテンションになってるんだよね。
なんかこれはもう、そういうものとしか言いようがない。
今から5,6年前ごろは、何度もこの件で夫と喧嘩したのを覚えてる。ありがとうとかごめんってもっと口に出して欲しいと冷静にお願いしたことも、泣きながら頼んだことも何回も何回もあって、その時はてんで駄目だった。ほんとうにもう、全然、まったく。てんで駄目どころか、そんなことを求める奴はせこくていやらしいみたいなことを言われて逆ギレされて悲しかったなあ。夫の言うことも一理あるし我慢しなきゃって折れていたなあ。
夫にこうなってほしいと切望してた時は決して「そうなって」くれなかったのに、夫に何も求めなくなればなるほど、夫は「そうなって」いく。これまでもずっとそれの繰り返しだった。
現実との付き合い方を変えることにした
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