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怒りと絶望に向き合い、深堀りしていく具体的な方法とその成果

先日私、久しぶりに「怒りが爆発する」という経験をしました。

きっかけは些細なことでした。夜、寝る前に子どもがテーブルで絵を描いていて、間違えてクロスの上にペンを走らせてしまった。
水性ペンだからそれほどやっかいな汚れではないけれど、放っておくと落ちなくなっていくのはどんなシミでも同じです。

私はどうしてもやりたくない、明日やればいいやと放り出してしまいたかったけれど、ぐっと耐え、すぐにクロスを外して洗い始めました。
そのとき、ふと、突然。
心の中で声がしたのです。
「なぜ、突発的な物事を処理するのはいつも私なのか?」と。
子どもが調子を崩したら、どんなに仕事が忙しくても私が家で看病する。
子どもが夜中に鼻血を出したら、飛び起きてなだめ、寝具を洗うのも全て私。家電が壊れたら修理するのも私。新しい物を買う時、比較検討してこれと決めるのも、買って設置した後、山と積み上がった段ボールを畳んで処理場に持って行くのも私。
なぜ夫はそれらのことを、やろうとするそぶりすら見せてくれないのかと。

普段は別にそんなこと、気にならないのです。あれもこれも、納得して、なんなら率先してやってきたこと。それでもその瞬間、テーブルクロスに洗剤をかけてゴシゴシこすりながら、早く寝たいのに何をさせられているのか、なんて被害妄想が膨らんで、特大のため息が出てしまった。

さらにその時、夫が「そんなにイライラすることなの?」と声をかけてきたのです。

そこで見事にブチ切れてしまいまして、

イライラするのは、こういう時に夫が無関係なそぶりをするからだ。急に起きたあれこれを私がやるのは別にいい。でも、私がやって当たり前だと思わないでほしい、もっとありがとうと言ってほしい…というようなことを半泣きで夫に訴えました。

仕事で疲れていた夫は突然の私のぶち切れに戸惑いつつ、わかった、今度からそうすると言ってくれて、その日は終わりました。

しかし私の方は気持ちが晴れず、翌日も気分は重いまま。

頭の中に「夫が悪い」「なんでいつも私ばかり」という2つがぐるぐる渦巻いて離れない。
ここのところずっと、多分一年近くかそれ以上、「凪」としか言いようのない状態で、特に不安も不満もないし、多少不都合なことが起こっても何も感じなかった私。

「抑えられない怒り」を久しぶりに経験して、ああ、そうだった、こんな風だったと、なんだか懐かしく思ったりもしました。胸にどす黒くて思い金属がつっかえたような感覚。

かつてはこういう怒りを、しょっちゅう感じていたなあ。
どうやってこういう怒りを減らしていったんだっけ。

と、ここまで考えて少し我に返り、
私はいつも通り、自分の気持ちを紙に書き出しました

怒りと向きあうしんどさを痛感

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