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優しくあれるか、優しさとは何か

優しいということについて考えたい。
優しいは人の憂いが分かること、と金八先生的な何かで聞いた気がするが、いまだに優しいという言葉を噛み砕けていない。
ちょっと考えてみる。

考えたいと思ったきっかけ

というのも、今日辛いことがあった。
正しくは大事な人が辛い目にあった。静かに頬が濡れていた。
でも自分は横にいて何ができたか。
ただ、横で話を聞いて、抱きしめただけ。
気の利いた言葉とかは思いつく。
けれど、どんな言葉もなんだか安ぽくて、その人の気持ちを理解しきれていない中で、発したくない。
だから、横にいただけしか出来なかった。

自分が苦手なこと

思うに自分は言葉の使い方が下手だなと思う。
それか言葉を大事にし過ぎているのかも。
その時の感情を適切に表現し、相手に寄り添える相応しい言葉を見つけられない。
相手が話した言葉や議論を的確に整理したり、言い換えることは割と得意だけれど、相手の心に寄り添って、優しく暖めるような声掛けをすることが苦手だと思う。

相手の心に寄り添う=共感?

ちょっと話が逸れたので戻す。
そう、相手の心に寄り添うことが苦手だと思う。
冷静に状況を把握したり、相手が取るべき行動の指針を与えたりは出来るが、暖かいコミュニケーションが出来る気がしない。
第三者的視点には立てるし、求められている役割を演じることも出来ると思うけれど、常に一歩引いているというか、相手の心に共感できている気がしない。
アドバイスじゃなくて、暖いコミュニケーションを望まれているタイミングは分かるが、それに応えられない。と感じる。
たぶん、ここら辺が自分が優しくなれないと感じる理由な気がする。

冷たいやつかも、悲しいやつかも

相手の心に寄り添うってどうやるんだろう。
想像する事はできるし、思いやることもできるし、なんなら演じることも多分出来るけれど、どこまで行っても(他人の)みんなの心をしっかり理解できているのか自信がない。
相手が悲しんでいることは察せられるし、なんで悲しいのかも理解できるけれど、その悲しみに心から共感できている気がしない。
冷たいやつだなっていつも思ってる。
自分がかけた言葉で嫌われることは怖くないけれど(いや、ちょっと怖いけど)、その言葉で傷つけてしまうことの方が怖い。
悲しいやつだなっていつも思ってる。

そんな自分が出来ること

だから、そんな自分ができるのは、ただ側にいて話を聞いて、常に味方であることを表明し続ける。それしか出来ない。
心の優しい方が見れば、それでいいんだと言ってくれそうだけれど、
共感できていない自分の冷たさと
嫌われることも怖がっていない自分の寂しさ、
それがずっとずっとコンプレックスなのかもしれない。
この文章を書いていてそう思った。

みんなが優しいときってどういう気持ち?

自分の周りの人たちはどう思っているのかなあ。
みんなが人に優しくしていると感じている時って、どういう気持ちなのかな。知りたいな。


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