発達障害について
「発達障害」という言葉を最近はよく耳にするようになった。子育て世代に聞くと、周囲と比べてちょっと変わった子どもだと、医者もわりと簡単に発達障害と診断して、場合によっては「特別支援学級」を勧められたりするらしい。
最近だと、週刊モーニングに連載している「リエゾン -こどものこころ診療所-」のように、発達障害の主人公が登場して、発達障害が作品の重要なテーマにもなっている医療漫画さえある。NHKで放映中のフランスのテレビドラマ「アストリッドとラファエル 文書係の事件録」も、自閉症で対人関係に困難を抱えるものの、犯罪学の知識や犯罪捜査に関してはズバ抜けた資質を発揮する人物が主人公の1人である。
それくらいに、いわば「当たり前」というか、一般的なものと考えられるようになってきたことは間違いなさそうである。
発達障害は、日本の行政上の定義では、発達障害者支援法が定める「自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥・多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するもの」となっている。
これだとよくわからないので、もっとわかりやすい説明を引用するならば、<発達障害とは、生まれつき脳機能の発達にかたよりがあり、コミュニケーションや想像力を働かせることなどが苦手である障害のことです。発達障害でない人と比べ、苦手なことが多い反面、得意なことは人並み以上にできるため、一般的な「障害」のイメージとは異なります。得意・苦手の差が大きいことから、「発達でこぼこ」と呼んだりもします。>といったような説明になる(済生会のHPより)。
発達障害については、ざっくりと以下の3つに分類されることができる。
・自閉症・スペクトラム障害(ASD):コミュニケーション障害、興味の限定、日課・習慣の「変化」や予定の「変更」が苦手、特定の物事に対する強い「こだわり」等
・注意欠陥・多動性障害(ADHD):不注意(物をなくす・忘れ物が多い、集中力が欠如)、衝動性(予測や考えなしに行動、相手の話を待てない)、多動(じっとできない、動き回る、喋りすぎる)等
・学習障害(LD):読字障害、書字障害、算数障害
これらの中には、知的な遅れを伴うものもあるが、必ずしもそうとばかりは限らない。著名人や偉人でも、おそらくこれらのいずれかに該当するような人物は少なくないと言われている。ニュートン、エジソンなんかは典型的であるし、朝ドラのモデルの牧野富太郎などもそんな感じがする。現代人であれば、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズなども該当すると言われている。
実は僕も、今ごろの子どもであれば、発達障害と診断されていた可能性がかなり高そうである。ウチの家内などは、「間違いなく発達障害」だと断言している。
僕の場合、上記の3分類だと、自分の見立てでは、「注意欠陥・多動性障害(AD/HD)」に該当しそうである。少なくとも、幼稚園入園前後から小学校高学年未満あたりまでの記憶を辿ると、どう考えてもちょっと普通とは言いがたいような自身の行状をあれこれと思い出してしまう。
たとえば、こんな具合である。
・先生の言うことを、ちゃんと聞いていない。
・結果として、忘れ物がやたら多い。
・授業中も集中力が続かない。じっと座っているのが苦手。
・隣の生徒にちょっかいを出したり、話しかけたりする。
小学校3年生の時のクラス担任はベテラン男性教師であった。学年主任も務めていたので、他のクラスの先生が欠勤したりすると、自分のクラスの授業も受け持ちつつ、合間に他のクラスも巡回して自習の課題を指示したり、質問に答えたりしていた。
これは、今でもよく覚えていることなのだが、先生が他のクラスを見回る際には、クラスの他の生徒は当然に自習をしながら先生の戻りを待つことになるのだが、「〇〇(僕のこと)だけは心配だから」と言われて、僕1人だけ先生に連れられて他のクラスにまで一緒に行き、空いている席に座って、先生の用事が終わるのを待たされるのがいつものパターンであった。今ならば、そこそこ問題になりそうな事案であるが、当時は僕も含めて誰も文句を言ったり、違和感を訴えたりする人間はいなかった。
いずれにせよ、ベテラン教師も心配になるくらいに困った子どもだったということになるが、決して知的な遅れがあったというわけではない。興味の有無によるバラつきはそこそこあったし、勉強はまるでしなかったが、成績は平均よりもむしろ良い方であった。
こうした状況から脱したのは小学校の5年生になった頃のことであった。これもハッキリ覚えていることだが、忘れ物ばかりして注意される自分と他の生徒たちとの間に違いがあるとすれば、単に先生の言うことをちゃんと聞いているかどうかだけであるという事実に、ある日、突然に気がついたのだ。
天啓みたいなものである。以来、僕は先生の言うことはちゃんと聞くようになり、必要であれば、メモまで取るような人間になった。成績も当然のごとく急上昇することとなり、先生からカンニングを疑われたが、単に生活態度を改めただけのことである。
中学・高校を経て、世間では一応は難関と言われる大学を卒業、大手銀行に就職して、円満退社するまで勤め上げたわけだし、自分ではごくごくノーマルな人間だと思っているが、それでも、僕と長年一緒に過ごしてきたウチの家内が、僕のことを発達障害だと断言しているくらいだから、自分では自覚していないだけで、今でも普通ではないところが多々あるのかもしれない。
たとえば、以下のような部分は、ノーマルの範囲内か否か微妙な感じがする。自分ではごく当たり前だと思っているが、他人から見たらどうなんだろうか。
・興味がないことに関しては、集中力があまり続かない。すぐに飽きてしまう。態度にもはっきり出るので、他人を不愉快にする。
・逆に興味があることに関しては、執拗なまでにとことん追いかけるし、細かいことでも克明に記憶している。
・人の話を辛抱して最後まで聞こうとしない。わかり切った話をダラダラと喋られると、すぐに途中で遮ってしまう。これも他人を不愉快にする。
・日常のルーティンに関する「こだわり」が幾つかあって、それを変更されると機嫌が悪くなる。
こんな感じである。自分では単なる気質のようなものだと思うし、仕事に支障を来すか否かと問われれば、どちらかと言うと、プラスに作用するケースの方が今までの人生においては多かったようにさえ思われる。
それに、もはやこの年齢になれば、自分が発達障害なのかどうなのかにはあまり関心がない。冒頭の説明でも、「苦手なことが多い反面、得意なことは人並み以上にできる」「得意・苦手の差が大きいことから、「発達でこぼこ」と呼んだり」するということであり、人間というものは、得手不得手があって当たり前だと思えば、人間らしくて大いに結構と開き直るだけのことである。
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