見出し画像

マラソン大会の意味について

今日、2月25日(日)は、「大阪マラソン2024」の開催日である。

昨年の大阪マラソンは、初フルマラソン・初完走ということで、とても思い出深いものであった。

今回の大会にも懲りずに申し込んだのであるが、抽選で落選してしまった。寒そうだし、雨降りだし、風邪気味だしで、結果的には、無理せずに済んで良かったと思うのであるが、それでも、やはり走りたかったという気持ちも拭いきれない。

マラソン大会には、走った人間にしかわからぬ、不思議な高揚感のようなものがある。上級ランナーにとっては、フルマラソンといえども、ごく当たり前の距離であり、どれだけ記録を更新できるかが重要なのであろうが、僕らのような、趣味でチョコチョコと走っているだけの「なんちゃってランナー」にとっては、フルマラソンを完走するだけでも、かなり「すごいこと」である。何やら自分の体力に自信が持てるようになるし、自己肯定感が爆上がりする。

ネットを検索して見つけた情報であるが、<2019年の1年間でフルマラソンを完走した人は約31万人というデータがあり、日本の15~65歳の人口約7500万人に対して考えると約0.4%ということになります。>であるとのこと。

別のデータによれば、<2022年の年1回以上のジョギング・ランニングを実施した人は推計で877万人であった>とあるので、こちらの数字を分母としても、フルマラソンを完走する人の割合は、約3.5%ほどということになる。

こういう数字を観るならば、フルマラソン完走したということで、「ドヤ顔」しようとも、自己肯定感が少しくらい上がったとしても、少しは許してもらえそうな気がする。

僕の周囲の人たち、銀行時代の同僚、転職してからの同僚にも、市民ランナーは少なくない。レベルはまちまちであるが、総じて、生真面目な人たちが多いように思う。ゴルフみたいな球技だと、技術や経験、センス等による差が歴然とするし、サッカーやラグビーみたいなハードなスポーツは、中高年には厳しい。ランニングであれば、計画を立ててコツコツと地道に練習を積めば、ある程度は結果が伴うような点が、身も蓋もない言い方をするならば、「社畜向き」なのであろう。

そういうこともあってか、全国でマラソン大会がたくさん開催されている。今年の3月に、福井県で「ふくい桜マラソン」が開催されることで、47都道府県のすべてで、フルマラソンの大会が開催されることになるらしい。日本人は横並び意識が強いから、「他府県がやっているならば、ウチも」といった感じで、全国津々浦々で多くの大会が催されることとなったのだろうが、都市部のメジャーな大会は別としても、地方の大会は参加者を募るのも容易ではないと聞く。追加募集をしても定員に届かないところもあるという。

地方に遠征をしようとなると、前泊・後泊の二泊三日の宿を確保しないといけないが、場所によっては、宿泊施設がさほど整っていないところもある。そもそもマラソン大会を開催するには、コースの整備、エイドや救急対応等のスタッフの確保、仮設トイレの設置等の膨大な準備と人手が必要になる。参加者の費用だけでは賄えないだろうから、公費の支出、寄付金集めも欠かせない。地元住民にとっては、そこまでして、やる価値があるのかという話になるだろう。単なる横並び意識とか、首長や行政サイドの自画自賛みたいな大会ならば、さっさとやめた方が良いと思う。

僕が、前回の大阪マラソンに参加したのは、普段は走れないような御堂筋等の大阪の目抜き通りを走れる数少ない機会だからである。田舎の大会で、農道とか河川敷みたいなコースを走っても、あまり面白そうな気がしない。マラソン大会を「町おこし」の機会にするのであれば、個々の土地ならではの魅力や特色を打ち出すしかないだろう。

たとえば、地元が誇る名勝や旧跡を辿るコースとかは、どこでもやっているのだろうが、高低差がものすごくある山岳コースとか、標高が高い高地ばかりを延々と走るようなコースであったり、急勾配の橋を越えなければならない心臓破りのコースといった、過酷で難易度の高いコースであれば、ランナーの挑戦心をかき立てるであろう。記録更新が求められるトップランナーと違って、一般ランナーにとっては、所詮は、趣味・遊びなのである。記録よりは記憶に残るコースの方が、大会としての特色を打ち出しやすいだろうし、またチャレンジしてみたいというリピーターも作れそうな気がする。

僕が、前回の大阪マラソンで一番不満に思ったのは、仮設トイレがあまりに少なかったこと、それと総じて不衛生な印象を持ったことである。工事現場にありそうな仮設トイレをたくさん並べれば良いという発想がそもそも間違っていると思う。

コース沿いのコンビニ、物販店、飲食店、場合によっては民家でも、トイレを貸してくれるところがあっても良いと思う。募集すれば、ある程度の数は確保できるのではないだろうか。

男性と女性だとカラダの構造が違うから、男女同じ数のトイレでは、回転数に差が出てしまう。女性トイレをより多く設置する必要がある。そういうところも含めて、本当の意味で「女性に優しい」大会を開催できれば、きっと人気が出るであろう。客商売同様、女性人気が湧けば、男性は自ずから集まって来るものである。

ここのところ雨降りが続いており、2月は思ったよりもランニングする機会がなくて、ストレスが溜まっている。月間150キロを目標にしているものの、今月はまだ100キロに満たない。月末までも、出張等の予定が入っており、なかなか時間が取れそうもない。

ランニングというものには、不思議な魅力があり、中毒性、依存性があるように思う。走らないと、自分が自分ではなくなるというか、何やら落ち着かないのだが。

僕は、中高生時代、長距離走が大嫌いであり、苦手意識もあった。そんな自分がアラカンとなってから、純然たる趣味としてランニングにハマることになろうとは……。おそらく、50余年前の自分に言ったところで、信じてもらえないであろう。

ホントに、世の中は不思議なことだらけである。だから、面白いのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?