「大阪マラソン2023」について(続き)
昨日、23年2月26日(日)、「大阪マラソン2023」が開催された。
参加すべきかどうか迷いつつ、とりあえずエントリーだけしていたのだが、結果的には出走して、初フルマラソンであったが完走することができた。
たぶん、あまり他の人の参考にはならないと思うが、自分自身の備忘のため、記憶が鮮明なうちに覚えている範囲のことを書き記しておきたい。
まず、アラカンという年齢もあり、ランニングを始めた数年前に比べたら、明らかに体力も走力も落ちていることは自覚していた。したがってタイム云々は脇に置いて、まずは完走できればいいやという現実的な目標設定をして、決して無理はしないようにした。
練習もほどほどである。2月に入ってから、1回だけハーフマラソン程度の距離を走ったことがあったものの、それ以外は5キロから10キロ程度の距離を、それもジョグ程度の軽い走りしかしていない。頑張ってトレーニングをしてカラダに疲れを残しても逆効果だと思ったからである。
しかしながら、フルマラソンのような長距離を走ったら、自分のカラダにどういう変化が起きるのかわからないということに関しては最後まで不安が残った。練習でも長い距離を走るのは、1年ほど前に30キロを走ったことが1回あっただけだったので、30キロを超えた先はまさに「未知の世界」であった。
僕のスタート時刻が9時30分(9時15分、9時30分、9時45分の3回にわけてスタート)だったので、1週間くらい前からカラダを慣らすために朝5時起きをするようにしていた。当日も5時に起きて、6時前に朝食を食べ、トイレにも行って、7時過ぎには自宅を出発、8時頃にはJR森ノ宮駅に到着した。混雑するのはわかっていたが、駅から大阪城公園にかけての混雑ぶりは予想以上であり、公園入口から更衣場所を経て手荷物預り所まで辿り着くのに約15分くらいかかった。
家を出発する時点で走る格好をしていたので、防寒用のジャージ、ウインドブレーカーを脱いで、手荷物を預けて、スタート地点に向かう。スタート地点に到着したのが8時半頃であり、そこから約1時間、スタートのブロック毎に指定された場所で待機するのだが、とにかく寒くて寒くて難儀した。使い捨てのビニールのポンチョをスタート直前まで防寒用に着用していたのだが、それでもすごく寒かった。慣れた人は使い捨てカイロ等を用意していたようである。
寒さのせいか、スタート前に急にトイレに行きたくなり、スタート地点の近くにある簡易トイレで用を足すことになったが、その間に同じブロックの出走者が場所を前方に移動していたため、もともとブロックのかなり後方に並んでいたのが、ますます遥か後方に並ばされることとなった。トイレはたくさん設置されていたようだが、30千人が参加することを考えると、数としてはまだまだ不十分ではないかと思った。大阪城公園だけでなく、コース途中のトイレもどこも長蛇の列ができていた。トイレが近い人は大人用オムツを着用することも検討した方が良いのかもしれないと真剣に思った。
9時30分にスタートしたが、スタートラインに辿り着くまでに数分を要することとなり、この間はダラダラと歩くしかない。公式タイムは号砲が鳴ってからフィニッシュするまでの所要時間で、ネットタイムは自身がスタートラインを越えてからフィニッシュするまでの所要時間であるが、記録証を見ると約7分の差があったから、この間は歩いていたことになる。
走り出しても、最初の2,3キロはかなりの混雑である。特に曲がり角や橋の手前、登り坂は渋滞するようである。それでも10キロくらいまでは、前方にスペースを見つけては、あちこちとジグザグに場所を移動しながら走っていた。後で知ったことだが、ジグザグ移動は予想外に体力を消耗するのだそうで、あまりやらない方が良かったのかもしれない。
ふだんはクルマが走っている御堂筋や千日前通りをランニングできるのはなかなか爽快である。20キロを過ぎた辺り、なにわ筋を岸里の方に向いて走っている途中で、毎日放送の河田アナ一行を追い抜かした。いま思えば、この辺までは体力もあって快調だったのだと思う。
ガーミンの1キロ毎のラップを見ると、20キロくらいまでは1キロ6分前後、場所によっては5分半くらいのペースで走っていたのが、20キロを過ぎた辺りから6分半前後と明らかにペースダウンしている。27キロを過ぎた辺りからはさらにペースダウンして7分台が続くことになり、その後はゴールまで一度も6分台には復元していない。まさに「30キロの壁」というやつである。
コースも30キロのところで、千日前通りの日本橋方面から谷町九丁目にかけて急な登り坂になる。ほとんどのランナーが歩いていたように見えたが、なんとか走って登ることができた。というか、ここで歩いたら、もう走れる自信がなくなりそうだったからである。
この辺で救急車で搬送されるランナーを見かけた。
谷町九丁目を過ぎると、そこから鶴橋方面にかけてはなだらかな下り坂になる。焼肉の匂いがするのと同じくらいのタイミングで、急激な空腹感を感じた。ふだんの生活で久しく経験したことのないような激しい空腹感である。お腹が「グググ」と鳴るのがわかる。
空腹になる原因は、コース途中のエイドの給食類には手をつけなかったこともある。どこも混雑しているので時間がもったいないのと、途中で立ち止まることで走りのリズムが狂うのがイヤだったからというのもある。
30キロを過ぎた辺りでの「ガス欠」のような激しい空腹感こそが、まさに僕が経験したことのなかった「未知の世界」の1つめである。
給食類はともかく、給水はさすがに摂っていたのだが、それでも最初の10キロくらいは給水せずに走り、その後も喉の渇きを感じた時だけの最低限にとどめていた。トイレに行きたくなるのがイヤだったからである。喉が渇きを感じる時点でカラダは脱水症状になっているものなので、本来ならば、もっとコマメな給水をした方が良かったのかもしれない。
激しい空腹感を救ってくれたのが、「井村屋」の「スポーツようかん」と、「森永製菓」の「in タブレット塩分プラス」であった。荷物になるなあと思いつつも、ごく少量だけポケットに忍ばせていたのだ。結果的にはこれらがなかったら、バテて足が止まっていた可能性はある。「井村屋」「森永製菓」には心から感謝したい。
35キロを過ぎて、今里筋を一直線に北上する辺りになると、足が鉛のように重くなり、足が上がらなくなった。自分のカラダではない感じである。練習でも一度も30キロ以上の長距離を走ったことがなかったので、ここまで激しい疲労感は未経験であった。これが「未知の世界」の2つめである。とにかく、カラダのあちこちが痛い。同じ姿勢を維持しているためか、足だけではなく、背中や腰も痛い。腕を振っているから肩も凝る。この辺になると、1キロのラップはさらにペースダウンして7分半前後になっている。気持ちの上では走っているつもりなのだが、一歩一歩が重い。ここから先は1キロ1キロがものすごく遠く感じた。
この辺りで、僕の真横辺りを走っていたランナーが急に転倒して動かなくなった。沿道のスタッフが大慌てで対応していた。先ほどの救急車もそうだが、大きなマラソン大会を運営する上で、医療関係者の協力が不可欠である。「医師」「看護師」と背中に表示したランナーが大勢走っていた。僕の知人の医師も東京マラソンにボランティアで参加したことがあると言っていた。いつでも出動できるように自転車に乗ったAED部隊もそこここに待機していた。
無理をするなと言われても、無理をしてしまうランナーもいるだろうし、急に体調を崩すランナーもいるのだろうと思う。
いずれにせよ、いろいろな役割を担う大勢の人たちに支えられて成り立っている大会なのである。
40キロを過ぎて、OBP方面に左折したところで、読売テレビの佐藤アナ一行も追い抜かした。彼女は5時間9分ほどでゴールしたとニュースで聞いたので、たぶん9時15分にスタートしたのだろう。
最後の2キロも本当に遠かったが、なんとかフィニッシュすることができた。タイムはネットで4時間50分を少し切るくらいであった。実は出走する前は、タイムは気にせず完走目標と言いつつも、4時間半を切るくらいで走れたらいいなあと密かに甘いことを考えていたものであるが、「とてもとても」という感じである。まあ、なんとか無事に完走できただけでも良かったと考えるしかない。
フィニッシュして思ったこと。とにかく全身が痛い。どこかに腰を下ろしたいのだが、下を向くのもカラダが痛くて無理である。座ったら、立ち上がれないような気がするので、よろよろと着替えを済ませて、とにかくJR森ノ宮駅に向かって歩く。駅の階段を上がり降りするのも、気力を振り絞る必要がある。
帰宅して、最初にやったことは、浴槽にお湯を溜めて入浴したことである。自分で思っていた以上にカラダが冷えていたようで、風呂で温まらないと風邪をひきそうであったからである。
ちなみに体重は、朝、起床時に計測した時に比べて、2キロ減っていた。フルマラソンを走っても2キロしか減量効果はないようである。おそらく汗で水分が抜けた分に相当する程度であろうか。
次にやったことは、足の裏と膝に湿布薬を貼ったことである。とにかくカラダ中が痛むが、足の裏と膝は家の中を歩くだけでも痛いのだ。
その次にやったことは、早めに寝たことである。20時過ぎには床に入ったが、あちこち痛いのであまり熟睡できない。もう早起きする必要なないのだが、結局、また5時に起きてしまった。まだカラダは痛むが、歩くくらいのことはできそうである。
フルマラソンを経験すると、また次も走りたくなる人が多いそうであるが、僕の場合は、もう走りたくないというのがいまの正直な気持ちである。しばらく経ったら、また来年の大阪マラソンも走りたくなるのかどうかはわからない。現時点ではそれはないと思うのだが。こんなシンドイことは1回経験すれば十分であると思う。
あと少なくとも、地方のマラソン大会には興味はない。大阪マラソンのように、ふだん走ることができない都会のど真ん中の道路を走れるのがマラソン大会の醍醐味である。いつでも走れそうな田舎の農道みたいな道路や河川敷を走っても、さほどおもしろいとは思えない。
それにフルマラソンはとにかくしんどい。健康のために有酸素運動をすること自体は悪くはないだろうが、フルマラソンは度を越している。決してカラダに良くはないだろう。年齢を考えれば、次に走るとしても、ハーフマラソンとかそれ以下の距離の大会くらいにしておくのが賢明なのであろう。
以上、ちょっと長くなってしまったが、フルマラソン初体験の記録である。