向き合ってたのは何だっけって話
わたしはいま27歳で、もう数ヶ月すれば28歳
自分の仕事とか人生について考えたり、友達ともそんな話をすることが多くなってきた
仕事も恋愛も社会人になりたてのときはバチバチに話し合って、トラウマみたいな言葉を言ったり言われたりしたけど、最近はあまり言い合いをせずに穏やかに過ごしたいって考えに落ち着いてた
でもそこで失われてたなって思うものがあって、
色んな人や会社と出会ったり、大切なひとと向き合う回数が増えるにつれ、こう考えるだろうなって思って会話してしまうことが多くなった気がする
相手のことを抜きにして、とりあえず自分の考えを言ってたときより、たぶんずっとたくさんの人から接しやすそうな人間でいられるけど、いざ人とか仕事に対して、「こう考えるだろうからこう言おう」のループをしていたら、少しずつその向き合ってる存在が誰なのかがズレてしまってきたような気がする
そう思うと、自分はちょっと大人になって落ち着いた考えをしようとしてきたなって思いこんでたけど、実は偏見でものごとを推察することが増えてしまっていたりもしたんだなと感じる
これは最近仕事でも恋愛でも感じてて、本当に大切にしたかった先にいるものより、目の前の出来事を難なくこなすことで大切にしてたつもりになってたんだなってことを感じた
大切にしたいのは相手であり、会社であり、その先にいるユーザーであり、自分であって、目の前に出た問題をこなすことじゃない
問題を解決するのはもちろん必要だけど、自分にも他人にも向き合うことがまずは大切で、それを飛び越えて解決するのはその場の楽にしかならない
もちろん、昔のバチバチにぶつかり合ってたわたしがやってたのは意識的にやってたわけじゃなくて、「言ってることが分からないし分かりたいから話したい」みたいな感じだったし、若い頃みたいに全力で考えを言い合って向き合おうぜ!みたいなのは、体力も精神力もすり減るし、たぶんベストではない
それでも問題の先にいるものに向き合う意識を持って生きていかなきゃいけないなと思う
人生のテーマは「思考に壁を作らない」だって決めてたんだけど、四柱推命で自分を占うとばっこり偏見をもちがち、嫉妬しがち、俯瞰した物言いをしたがりって特徴があるので、自分が向き合い続ける壁なんだろうなと思った
多分この先こういうループは呪いみたいに陥る気がするけど、自分のためにメモしておく
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