空間性 沖縄の例
沖縄は一般的に時間にルーズと言われている。逆に言えば空間に対してはルーズでないともいえる。時間よりも自分の時間をマイペースに使う。自己の固有の空間でマイペースに時間を作る事が強いと思う。
その時間の使い方は、朝昼夕等の時間帯とは使い方が異なる。異なるので時間にあくせくしたくないのだろう。
空間の中で時間を作る。作る事で、自分のペースと縄張りをも作る。
その縄張りが侵食されれば、侵食してくる人に、にらみを利かしたりもする。そして膨大にも見える空間の中に、仲間意識にて仲間を集めて過ごす時間も作ったり、飲みに言ったりもする。さみしいと言う動機もあるのかもしれない。
逆に言うとこの空間性から縁を切るのは、裏切りにもみなされる。空間の中で時間を作ることによって関りを作るので、この関わりは皆が共感している時間として扱われているために、離れにくく、執着せざるを得ない。縁を切れば懐柔工作が遠回しになされよう。
それが嫌だから彼らは、「ウチナータイム」と言い出す。時間にわざと遅れて、関わる相手との時間を極力削ったりする。又は遠回しに「行かない」といういい方をする。
世界が時間と空間の要素によってできあげっているならば、沖縄では世界(時間<空間)となるのだろう。空間の占有性は男のみでなく女性も同じだ。
昔、祭りのイベント終わった後に踊りのサークルをやめたいと言い出したら、相手の女性は逆切れしだした。そして「衣装代分、踊ってないのに、どうして?」と言い出してくる。彼女に衣装代を出してもらっているわけでもないのになとも思った。
しかし、この行動も空間の占有性からくるものだ。空間の中に踊りという要素を埋め込んで、その作られるであろう時間制を共感したい欲望が潜在的にあるからこういう事を言うのだろう。この縄張り意識によって、仲間意識ができる。
もっと言うと、自分たちは空間の中心にいて、時間を作って共有しているともいえるだろう。タイムイズマネーでなくスペースイズマネーに近い。仲間意識という物を空間の中に埋め込んで成り立たせているのだから。
当時はわからなかった。最近になってわかってきた。沖縄の人間さえ、自覚しているかはわからない。連中の事だから、遠回しにしか言わないし、言い方は自己中心的な言い方しかしないと思う。
わかりだしてみて、このことを明確に定義もしない沖縄の知識人や研究者は何なんだろうと思う。きっと無自覚なのだろう。だから、飲んだくれ野郎に学問何て役に立たないと言われるのだ。
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