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閉じた街 Una città chiusa

オープンな人の事をイタリア語では una persona aperta と云い、反対に閉じた人の事をuna persona chiusa と云う。

これは街に対しても使われる云い方で、私の住んでいるシエナはよくタイトルのように閉じた街だと云われる。大学や仕事の為にこの街に住み始めたシエナの外(県内でも)から来た人は大概において疎外感を感じ、"外の人" 同士で仲良くなる事が多い。

Siena è bella senza senesi                              シエナはシエナ人がいなければ素晴らしい

これは20年前に大学生だった時も、仕事を始めてからも聞いた外から来たイタリア人の一般的な感想である。

シエナは街自体が世界遺産に登録されていて、県には合計4つの世界遺産がある観光都市で、僅か5万人ちょっとの住民に2つの大学があり、イタリア語習得の為に世界中から生徒も集まる学問の街でもある。国際的にオープンな雰囲気でもおかしくない。

"閉じている"理由は色々あるが、1番は"コントラーダ"の存在だと思う。おいおい書いていくので今日は簡単に触れるが、シエナ旧市街内は17のコントラーダと呼ばれる地区(町内会の様なもの)に分かれていて、全員ではないがシエナ人は各コントラーダで洗礼を受け、そこに属する大家族なのである。

昨年と今年はコロナの影響で開催されなかったが、カンポ広場で開かれるパリオという競馬はこのコントラーダ間の戦いで、通常は老若男女一緒にお祭りやイベント、食事会を開催して一致団結、助け合っているのである。

子供の頃から見守られ、機会があれば同じ釜の飯を食い、過去の戦い(パリオ)の喜びも悲しみも共有している。結婚して子供が生まれればまた洗礼を受けさせ、亡くなった時にはカンポ広場まで棺桶を持って行って別れの挨拶をする。

熱心な人は高くても狭くても自分の地区内に家を買い、ボランティアで組織を支え、選挙を行い、伝統を守ってくれているのである。

私も子供達の為にコントラーダのイベントに参加する事があるが、アウェー感が半端ない。別に白い目で見られる訳では無く、むしろフレンドリーなのだが、あまりにも何も知らないのでお邪魔してます感が拭えないのである。この "外の人" が感じる疎外感は、地元の町内会に参加しにくい新しいマンションの住民の気持ちみたいなものと云えば伝わるだろうか。

"閉じた街"は正直なところ住みやすい。私の店があるnicchio地区は現シエナ市長の地区で、よく見かける彼はドアから出るとbarで朝食中の人達と話して出勤して行く。歩いている人が皆知り合いレベルなので治安が良いのである。

きっと私自身が閉じた街に似合う閉じた人間なんだろう。

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