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自然の法則と願い事

よく言われる話が、人は自然の法則の中で行かされている、と。
自然を宇宙と読み替えてもいい。
なんにせよ、すべては不変の法則の中にある、というわけです。

人や社会がそういった法則の中で動いているという前提に立った時、「神頼み」の是非が持ち上がってくる。

宇宙全体が確固たる法則の中で動いているのに、その中の一人の人間の、個人的な願いがはたして天に届くのだろうか?
皮肉っぽく見えるかもしれないけど、ごく論理的な話だと思う。

川の流れを一人の人間が変えられない以上に、
宇宙の流れを一人の人間が変えられるはずもないのです。

しかし、人間は物事を意味付けするのが得意です。
∵ ←このように点が三つあれば、人の顔に感じられます。
パレイドリアと呼ばれる効果。
私たちは出来事という、点と点を結び付けて、「願いが叶った」とか「運が悪かった」とか物事を評価します。

そして、そんな解釈ひとつで、嬉しくなったり、悲しくなったり。

なんだか斜に構えてみると、バカバカしくも思えるかもしれないけど、
それが人生の醍醐味だったりするのかもしれない。

宿命論・運命論的な発想(物事はすべて決まっていて変えることができない)は、人を無気力にし、人生の楽しみが減ってしまうと考えがちですが、結末を知らなきゃ、未来が決まってようが決まってまいが同じ話。
最近の私は、「どんな結末があるかはわからないけど、何をしようとそこへ向かっていく」という前提で今を見ています。そうすると、ほんのちょっとゆとりが出てきます。

そのゆとりが、今の体験を奥深く感じるにおいては、けっこう役立つんじゃないかと思う今日この頃です。

ただ、この文脈での難点は、量子力学で言うところの観測者効果。常に色んな展開が用意されていて、ある日ある時ある観測者が見たもので状況が固定されるという話。これだと少なくとも複数の「今」がある。私たちは(方法はもとより)それを選べるとする考え方が、いわゆる引き寄せの法則と言われるものだと思います。

まあ、実はどれを選ぶかも含めて決まってる説も唱えられないではないのですが。この辺はとても難しい話で、正直私にはどうなってるのかよくわかりません(結局、投げやりw)

また良ければ、ご意見くださいませ。

こんな動画、公開しました。



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