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ご質問にお答えします(28)一次創作と二次創作の違いとは?

新年度が始まってGWも終わり、祭日のない6月を控えておりますが、みなさまはいかがお過ごしでしょうか。五月病とかになってないですかね。
モノカキには連休も通勤も何もありませんのでわりと五月病というものとは無縁になるのですが、今年から中学、高校に上がった学生さんですとか、新社会人の方、転職したての方なんかはね、この時期メンタルにくることが多いと思いますから、十分休養して乗り切ってまいりましょう。

ということで、今回はひっさびさご質問をいただきましたので、回答させていただこうかなと思います。


今回のご質問はこちら!ばばばん!


今回のご質問

はじめましてー。

高校生で小説をお書きになっているということでね、若い人が小説に触れているということはモノカキには嬉しいことでございます。現在は二次創作を中心にやられていて、今後、自分のオリジナル作品、いわゆる一次創作にも挑戦していきたい、という状況でしょうかね。

僕はと言いますと、アマチュア時代に二次創作をやったことがない人間なのですが、最近になって二次創作的なお仕事も経験しまして、自分なりに考えたこと、感じたこともありますし、その辺りふまえつつご回答させていただこうかな、と思います。

ではいってみましょうー


■一次創作と二次創作の違い

さて、質問者さんは重々ご承知だと思いますが、本記事を読んでくださっている人の中には、あまり聞き馴染みがない、という方もおられるかもしれませんので、簡単にご説明しますね。

小説における「一次創作」は、言ってしまえば、今刊行されているほとんどの小説がこれに当たります。書き手自身が、ストーリーからキャラクター、世界観などを考え、ストーリーもオリジナルの作品。よく「ゼロイチ」などという言い方もします。ゼロ(何もない状態)から、イチ(作品)を作り上げる、という意味ですね。

対して、「二次創作」は、一次創作によって作られた物語、キャラクター、世界観などを使って、一次創作者以外の人によって作られた創作物、ということになります(まれに一次創作者が二次創作的なことをする場合もある)。昔からあるのは、一次作品のある同人誌ですかね。最近は、ネットで「夢小説」を楽しむ方も増えているようです。

なので、そういった作品はオリジナルの創作物ありきで生まれる派生物であるところから、オリジナル作品を「一次」、そしてそれをもとにした同人作品などを「二次」と表現するわけですね。

さて、質問者さんは今のところ二次創作メインで小説を書いていらっしゃるわけですが、一次創作物の要素は薄めで、ほとんど自分のオリジナル要素を使って書いているはずなのに、いざ一次創作をしようとするとうまくいかない、というお悩みでした。

それはいったいなぜなのでしょうか。


■使う〝筋肉〟が違う

作家界隈ですと、この「筋肉が違う」という表現をちょこちょこ聞くんですが、例えば、長編小説と短編小説を書くときなんかは、書くときに(脳に)負荷がかかる部分というのが感覚的に違うような気がしまして、それを長距離走と短距離走で使われる筋肉の違いなどになぞらえて、「使う筋肉が違う」と表現することがありますね。

で、一次創作と二次創作についても、書いたときに「勝手が違う」と思うことの一番の原因はこれだと思います。書くときに考えること、意識すること、物語を作るプロセスなどが、一次創作と二次創作では別物なのです。たとえ、二次創作にオリジナル要素を多用しているとしてもです。

なので、二次創作作品を書きなれている人が一次創作をやろうとしたときに、あれ、全然書けない、ということになるのは、二次創作ではあまり必要ではないけれども、一次創作には必要な〝筋肉〟がまだついていないことが原因であることが多いと思います。
もちろん、二次創作で培ってきたものを一次創作でも活かすことはできるのですが、一部は、初めて小説を書く人とそう変わらない、まだ経験が浅い、というところもあるわけなので、どうしても、それまで二次創作作品を書いていたのと同じようにすらすら思い通りに書ける、というわけではなくなります。フットサルやってた人がサッカーやるとか、ギター弾いてた人がベース弾くとか、そういう、近いものではあるけれど、違うことをしようとしている、と思ったほうがいいと思いますね。

なので、質問者さんが一次創作活動に向いている向いていないの問題ではなく、単純に、一次創作においてはまだ筋力不足、筆力不足ということだと思いますね。つまり、ちゃんと鍛えていければ、一次創作もできるようになっていく、ということです。


■二次創作だけでは不足する〝筋肉〟

さて、二次創作作品を作り上げるときに、一番必要なのは「読解力」じゃないかなと思います。原作を読み解いて、その世界観であるとかキャラクターの心情、性格などを読み解く力ですね。

二次創作界隈ですと、面白い小説にするには「解釈」が非常に大事になるんだろうなと思います。特に、キャラクターの掘り下げ、原作作中の場面での心情の理解、といったところは重要で、ここに一番負荷がかかります。作中から読み取る情報量が多くて、キャラ解像度が高く、原作ファンにとって説得力が高い描写のある作品であるほど、読む人を、おっ、と思わせるのでしょう。

僕も、昨年、漫画『ブルーピリオド』のノベライズを担当させていただきまして、その時に何を一番気にしたかというと、原作の山口つばさ先生が何を言いたいのか、どう考えているのか、ということを、作品から読み取る、ということでした。


二次創作って、作品の描写一つ一つ、セリフの一つ一つから作中キャラクターの心情、作者の意図というものをつかみ取って、原作ファンの方に、「このキャラはこんなことしねえよ」的なことを思わせないようにしなければならないわけで、さらに公式で出すとなると自己満足で終わるわけにもいきませんから、やっぱり、普段自分がオリジナル小説を書くときと全然違うところに負荷がかかったと思います。それでも、全員に納得してもらうって難しいですよね。

幸い、僕の場合は原作者先生に直接お話を伺って意図や裏設定など確認できたところもありますので、ある種の「正解」も少しいただきながら、自分の解釈やオリジナル要素という肉を足していったわけですけれども、それでも、この「読解」という作業にものすごく時間を費やしたと思います。

『ブルーピリオド』のノベライズは、原作の小説化ではなく、原作作中キャラクターのアナザーストーリーを集めたエピソード集というコンセプトであったので、章によっては、僕自身が考案した(そして原作者様に了解をいただいた)オリジナルキャラクターが出てきますし、舞台も本編とは違う話もありましたので、一次創作的要素が結構あったのですが、実感として、一番使った筋肉はやっぱり「読解」の部分だったと思います。自分の小説を書くときにはそこに時間かけないですからね。やっぱりアプローチの仕方が違うんだなと思いました。

じゃあ、一次創作をするときにはどこに負荷がかかるかと言えば、やはりそれは「想像」「創造」という、ゼロ→イチの部分なんだと思います。質問者さんもなんとなく、オリジナル作品には想像する力、創造する力というのが必要だろうということはお分かりだと思うんですが、これが、二次創作をすることに比べると、どうしても桁違いの負荷がかかるわけですね。二次創作だけをしている人からすると、想像以上の負荷だと思います。こんなことも気にしなきゃいけない、こんなところの知識もなきゃいけない、というのが、書いているうちにボコボコ出てくるんじゃないかと思います。

僕が『ブルーピリオド』のストーリーを作った時は、本当に短時間で全部プロットを作れました。5作分を1日で作ってると思います。僕は普段は、編集者さんとお話をしながら、こんな話はどうだろう、といろんな可能性を探って糸口を探して、その引っ掛かりからストーリーを作っていく、というスタイルなので、誰にも相談せずにポンポンストーリーができる、ということはあまりありません。
でも、二次創作的にストーリーを作ると、このキャラはきっと過去にこういうことがあったんだろう、とか、このセリフはこういう経験から生まれてきたんだろう、みたいな「解釈」がうまく作用して、ストーリーを想像しやすかったなあと思います。「美術」というかちっとした原作のテーマもありましたので、作中のストーリーと美術を絡ませていく、という方針も大前提としてあって、普段ゼロイチで小説を書くときよりは、書きだすまでの準備段階の手間というのはほとんどかからなかった印象があります。書かなきゃいけないものが明確で、そのフィールドも限られているので、考えることが一点集中するわけですね。

なにもないところから物語の設定、世界観、キャラクターを作り上げるときは、作者が考えなければならないことの範囲がどかっと広がります。作品中に登場するのはそのどでかい氷山のてっぺんのちょん、くらいでしかないわけで、二次創作というのは、一次創作者が積み上げた膨大な量の知識から生まれた原作をベースにして物語を書けばいいわけなので、創作の過程としてはやっぱりだいぶショートカットができているわけですね。

例えばですが、自動車に置き換えて考えてみると、一次創作者というのは、自動車の開発者、二次創作者というのはそれをカスタム(改造)する人に当たると思います。

フルカスタムの自動車ともなると、見た目は原型もわかんないくらいの別物になっていることもありますし、センスも必要、下手するとエンジンを乗せ換えちゃったりして非常にオリジナル要素が強い「作品」になるわけですが、一方で、自動車の開発者は、そのボディの材質の知識から、エンジンに関する工学的知識、安全性能や剛性、デザイン、居住性、設計に関する知識、と、改造するために必要な知識とはちょっと系統の違う知識が要求されるわけです。改造車の場合は、もともとちゃんと走る車を作り変えていくものですが、開発者はちゃんと走る車そのものを作る必要があるので、「ちゃんと走る」という状態まで持っていくのが、一次創作で一番パワーのかかる部分なわけですね。

このゼロイチにかかる労力というのは、やっぱり二次創作で必要になる労力に比べるとかなり重いものになります。もちろん、物語をカスタムする側にも相応のクリエイティビティというのは必要になりますが、骨組みから作り上げるのと、骨組みができているものを自分仕様に作り替えていくのとでは、明確にプロセスが違うのです。

「想像」「創造」をするためには、幅広い分野の知識見識を得る必要があります。これは、ほんとにたくさんの小説、映画、漫画、その他もろもろを吸収して得る知識、自分が生きている中で経験する人生経験、学問や時事ネタ、といった数々のインプットが必要です。

なので、質問者さんが「まだ短編しか書けない」というのは、当然と言えば当然で、今、プロとして一次創作をしている人も、大体みなさん最初はそこからスタートしていると思います。僕もそうですね。最初は長編なんか書けなくて、細かい設定とか緻密な構成の必要ない、ストーリーもオチもふわっとした雰囲気だけの短編を書いたところから始まって、今に至っています。

長編書くのなんて、未だに難しいですもん。物語が破綻しないように、あらゆるところに配慮して、整合性を取りながらお話を組み立てて、って、やっぱり簡単なことではないと思いますね。

たとえ短編であっても、ゼロイチで作品を生み出すことができた、というのは大きな一歩ですし、質問者さんはまさに一次創作の世界へ踏み入れたところ、ということだと思います。なかなか書けない、思ったような作品にならない、というのは、まさにゼロイチの洗礼ですね。でも、書き続けることで、だんだん書けるようになっていくと思います。僕は、アマチュアのうちは、掌編、短編をとにかくたくさん書くことを推奨しております。

こちらもご参考に。

■共通認識という壁

さて、もう一つ、二次創作から一次創作へ移行するうえで大きな壁になるのが、「読者と作者の共通認識の違い」です。
小説というのは、映像作品のようなものとは違って、作者が書いた文章だけでは成立させることができない、ある種不完全な創作物で、小説を最終的に完成させるのは、読者の想像力、読解力です。読者が文章を読み取り、情景を思い浮かべたりとか、キャラクターの容姿や表情を想像したり、世界観を理解したりして、ようやく小説の世界というのは完成するのです。

二次創作の場合、まず原作というものがありますし、二次創作作品に興味を持つ人は、ほぼみんな原作を知っていて、その原作を好んでいる人たちです。原作のある二次創作小説であれば、作中登場するキャラクターの容姿であったり、バックボーンなどは原作中で説明されていますので説明しなくてもわかります。なので、読者による「補完」が非常に強く働いて、読者が共通認識を持っている描写はあえて書かずとも話を進められるわけです。これはだいぶ楽ちんです。

純粋な一次創作では、この「共通認識」というのが限定的にしか使えません。現代日本が舞台の小説であれば、普段生きている世界の常識とか社会のルールみたいなもの、歴史小説であれば史実という共通認識を使うことはできるのですが、世界観とかキャラクターという部分に関しては、説明しないと確実に伝わらないわけです。

ただ、この「伝える」というのが実に厄介です。モノカキ初心者あるあるだと思いますが、自分が頑張って考えた設定を全部文章で説明してしまう人がよくいますね。でも、読者はあくまでストーリーを読みたいので、説明が多いと、面白い、と思えなくなります。なので、小説における設定や世界観というのは地の文やセリフによる説明を必要最小限にして、読者が自然と感じる、受け入れるような表現でなければいけません。文章として書かずに情報を読者に伝えることを「行間に埋める」などと言いますが、作品世界と読者の間の共通認識が少ない場合、書きすぎずに伝える、ということにはかなりの筆力、技術が必要になります。

ここも、一次創作をする場合の壁になるんじゃないかなと思います。

また、質問者さんの場合、二次創作作品より一次創作作品の評価が低い、と悩んでおられましたが、二次創作作品の読者というのは、原作という共通認識を持っていて、なおかつ原作が好き、二次創作物を読みたい、というスタンスで作品を読みます。共通認識があれば作品世界に入っていくのは簡単ですし、読解も比較的容易です。なので、質問者さんの文章やオリジナル要素というところを楽しんでもらいやすいのです。

でも、完全オリジナルの作品の場合、読者に読んでもらうための動機付けも難しいですし、どういう話かもわからないまま読み始めた読者を作品世界に引き込んで、筋や状況を理解してもらい、最後まで読ませる、という小説的なリーダビリティを持たせるのは、かなり難しいことなのです。なので、現段階で、二次創作物よりも一次創作物のほうが評価が相対的に下がってしまうのは致し方ないのかなと思いますね。

たぶん、僕がやっても同じことになると思います。自分のオリジナルの小説と、人気作品の二次創作とを同時にネット上で発表したら、後者の方を評価してくれる人のほうが絶対多いと思いますね。誰がやってもそうです。東野圭吾先生が人気漫画のスピンオフ小説を書いた、なんてことになったら、とんでもないニュースになって、一部のアンチを除いて高評価続出になるんじゃないでしょうか。オリジナル作品があれだけ売れている作家さんでも、たぶんそうなります。

なので、評価の差については気にする必要はありません。プロになってもおかしくないくらいのクオリティの一次創作作品を発表しても、きっと二次創作作品のほうが評価される、という構図は変わらないと思います。

■推進力の問題

一次創作のオリジナル小説が「なかなか進まない」という理由の一つとして、「推進力」というものもあるかなと思います。
要は、小説を書くというクソめんどくさい作業に自分を駆り立てるものは何なのか、ということですね。

二次創作界隈の方って、質問者さんがそのタイプかはわかりませんが、いわゆる「オタク」の人が多いので、一次創作作品である原作に対してめちゃくちゃ情熱的なんですよね。作品だったりキャラだったり、自分の「推し」がいて、そこにものすごい感情移入する。自分が、「推し」をどう解釈したのか誰かに見てほしいとか、原作ストーリーとは違う展開の推しの姿が見たいとか、原作中のこのキャラとこのキャラにくっついてほしいとか、自分が作るキャラと推しが絡んでほしいとか、「原作愛」「推しに対する愛」というのが、創作に対するかなり強烈な推進力になる方が多いわけです。

ただ、一次創作においては、そういう「愛」を推進力にするってことがなかなかできないんですよね。自分が作る世界やキャラクターですからね。よほどの創作的ナルシストでもない限り、自分の作品やキャラが「推し」になる人というのは多くありません。じゃあゼロイチをする人の推進力はなんなのかというと、やっぱり自分が人に何を伝えたいか、何を表現したいか、という、強固なアウトプット欲求だと思うわけです。

作家さんとお話していると、基本的には一次創作から入ってそれをやり続けている人のほうが多数派で、小さなころから創作活動をするのが当たり前、なんでそれをやるのか、という疑問すら持ったことがない、という人が多いのです。常に「人に何か伝えたい」と思い続けている人というのは、視野が広くてアンテナ感度も高いです。なので、自然と多くの知識や考えを日々吸収していきます。

二次創作をメインにする人の場合、このアンテナに指向性があって、それが「自分の好きなもの」に向くことが多い印象があります(もちろん、すべての人がそうであるとは思いません)。好きなことはとことん突き詰めるけれど、興味がないことには一切目を向けない、ということですね。でも、一次創作をするには、興味がないことにも目を向けて知ることが必要ですし、なんなら、自分の嫌いなことにも積極的に向き合わなければならないわけです。

一次創作になると急に筆が進まなくなる、という人は、まだ自分の中でテーマを持ったり、人に何を伝えたいのか、というところが固まっていなくて、作中で表現したいもの、というのが見えていないのではないかと思います。そうすると、書き始めてはみたけれど、なかなか筆が進まない、ということになるかなと。

一次創作に対する推進力を得るためには、自分の感性を磨いて、ほんとにあらゆるものに興味を持って吸収する、ということをやっていく必要があります。一次創作をする力というのは、文章を書く力、日本語力、あるいは物語の構成力やテクニック、というものも必要ですが、それを超えたところにある情熱が大事です。

なので、一次創作をしてみたい、オリジナル作品を書きたい、と思うのであれば、できるかぎりアンテナを広げて、世界のあらゆるものを吸収しようとしてみましょう。それをしているうちに、だんだん、自分の中で表現したいもの、人に伝えたいこと、というのが生まれてくるんじゃないかと思います。

■結論

二次創作と一次創作では、物語を作るためのプロセスが違い、必要となる能力や知識の範囲も違うものになりますので、二次創作で経験を積んでいても、一次創作になるとなかなかうまく書けない、という人は普通にいると思います。

二次創作でオリジナル要素が多い作品を書いている人でも、二次創作であるという時点で多かれ少なかれ一次創作者が積み上げたものに乗っかることになりますので、ゼロからイチを創作をするのにかかる労力に比べると、実際、かなり労力は軽減されることになります。そこに差が生まれます。

二次創作メインで作品を書いてきた人が一次創作をしようとしてもうまくいかない、というのは、向いている向いていないの問題ではなく、二次創作だけでは一次創作に必要な経験、能力を鍛えられない、ということです。二次創作と並行して一次創作の経験を積むことで、だんだん完全オリジナル作品も書けるようになるのではないかと思います。

ただ、二次創作と違って、一次創作というのは、技術的なもの以上に、何かを表現したい、という強い思いが推進力となりますので、まずは、一次創作を通して自分が何を表現したいのか、というところをよく考えてみるとよいでしょう。


ということで、お久しぶりに回答させていただきましたが、いかがでしたでしょうか。

現役のプロ作家さんは一次創作から入ってそのままやり続けている人が多い、というのは事実なのですが、アマチュア時代に二次創作をやっていた、そこから一次創作に入った、という人も多いですし、質問者さんも一次二次含めてチャレンジし続けていけば、きっと作品のクオリティも上がっていくんじゃないかと思います。
趣味で続けるのもいいですし、創作魂に火が付いたのならプロを目指すのもいいですし、今はとにかく書く経験を積むといいと思いますね。

ぜひ、一次創作も楽しんで、いいオリジナル作品を生み出してくださいね。


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ではまた次回。


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小説家。2012年「名も無き世界のエンドロール」で第25回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。仙台出身。ちくちくと小説を書いております。■お仕事のご依頼などこちら→ loudspirits-offer@yahoo.co.jp