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X(Twitter)で「いいね」欄が非公開になったことについて思うこと

先日、X(Twitter)にて「いいね」欄が非公開になったことで、他人が「いいね」した投稿が見られなくなった。

個人的には、これは大きなニュースだった。

私は「いいね」欄を他人に見られることを意識して「いいね」していた。それは、自分以外の多くの人もそうであったかもしれない。

つまり、「いいね」欄はある種の自己表現だと思っていたのである。

誰のどのようなポスト(ツイート)に「いいね」するか・しないか。それをもう考える必要がなくなったことは、より気楽になったともいえる。

でも同時に、自己表現の手段が減ったということでもあり、それは少し寂しい気がした。

そんなことを考えながらXを眺めていると、今回のニュースに対して、そもそも誰が何に「いいね」しているかなんてどうでも良い、という意見を見かけた。

私はそういう人に対して強いなと思う。そして、その強さが羨ましいとも思う。

非公開になったにも関わらず、未だに私は「いいね」しようかどうか逡巡し、迷いながら「いいね」をしている。

10代の頃からSNSがある環境で育ってきた自分は、随分とその中に潜む魔物に毒されてきたのかもしれない。

電子の海を流れる言葉や、ただの数字に踊らされて、気にする必要のないことを気にし過ぎているではないか。

そう考えると「いいね」欄が非公開になったことは、気にする必要のない情報を見なくて済むという点で良い仕様変更であったかもしれない。

もっと気楽にSNSと向き合ってみても良いのではないか。今回の一件を通して、今はそう感じている。


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