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馬も人も知らぬこと

 馬は賢い。ドイツ語で「クルーガー・ハンス(賢いハンス)」と呼ばれた馬がいた。その由来は、彼が計算をすることができたことにある。計算ができる賢い馬として一躍有名になったハンスだが、種を明かしてしまえば、彼は計算をしていたのではなく、人間の表情を読み取っていたのだった。彼は数を答える際、その数だけ自身の蹄で地面を叩くのだが、正解の数に達した瞬間の出題者の表情を見て、それ以上地面を叩くのを止めていたのだ。

 たとえ計算ができなかったとしても馬は賢い。長い間人類の家畜として私たちと共に生活してきた馬には、人間の感情や表情を読み取る能力がある。それは現在よく見かける競走馬のサラブレッドも同じである。手綱を引かれてゲート入りする彼らが何を考えているのかは、到底私たちの想像の及ばないことである。私たちが夢中になってレースを見つめているとき、実は彼らが何を考えているのかと思想をめぐらすのも面白い。彼らはきっと、ずっと多くの事象を認知し、理解しているだろう。

 しかし、そんな彼らにもわからないことがある。それはレースの長さだ。いつゴールを迎えるのかは不明なのだ。むろん、ゴールを設定した人間にはそれがわかる。けれども、神によって設定された「私たちのゴール」があるとすれば、それがいつあるのかは、私たちにもわからない。結局、あの競走馬たちのように、多くのことを考えながら走り続けるしかないのかもしれない。

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