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安芸高田市の幻の美術館(まとめ)

安芸高田市にあったメルヘンの世界のような美術館。このnoteのトップ画像は「八千代の丘美術館」Webサイトにあったクリスマスの風景です。残念ながら2022年より無期限の休館です。前回の記事はこちら↓

前回で紹介した記事や論文をふまえ、この美術館の画期的なところと、課題として残されたことをまとめます。

「八千代の丘美術館」の画期的(グラウンドブレイキング)なところ

作家への公設アトリエの開放:自由な利用!

コテージ風のアトリエの集合体となっていて、それぞれの建物を一年間、作家に提供して、泊まり込んでもよい、としたところ。アーティスト・イン・レジデンスと呼ばれる、作家の長期滞在と展示を掛け合わせたプロジェクトはありますが、市立の建物を一棟まるごと貸し出す、というのは驚きのシステムです。
もっとも、年3回の展示(定期的な展示替え)や学校等への訪問が課されましたが、年間にわたってギャラリーのある建物を自由に使えるのは、作家にとってまたとない機会になったのでは。

「入館作家」に選ばれ、作家同士の交流ができる

多くの公立の美術館では、その地域に縁のある作家集団による公募展が開かれます。公立美術館で展示されることは、一種のステータスとなっています。
八千代の丘美術館ではさらに一歩進み、毎年度にアトリエに入る14名の「入館作家」が選定され、任期の終了後は作品一点を安芸高田市に寄贈するルールがありました。選ばれ、作品も残せる作家となるのは十分なステータスになりました。
広島県全域から旬な作家が集まり、会期中にアトリエ棟でふと、顔を合わせるだけでなく、入館作家懇話会も毎年、開かれました。洋画や日本画だけでなく陶芸や工芸、現代美術など、ジャンルを超えた交流ができたようです。

地域の文化的空間となり、市立学校で作家による体験授業が展開される

車での生活が当たり前の地域だと思いますが、広島駅からバスで1時間というアクセスは、広島市近郊の人々には非日常の旅行になったのではないかと思います。「四季の里」という観光農園と抱き合わせて「芸術農園」が構想された美術館は、そのメルヘンチックな外観やクリスマスなどの華やかなイベントもあり、特別な文化的空間になっていたのではないでしょうか。
「入館作家」は担当のアトリエでギャラリートークを行う他、小・中学校や施設を訪問して講座を行うルールもありました。安芸高田の子どもや大人にとり、アーティストとアート体験に出会うまたとない機会になったようです。

「八千代の丘美術館」が残した課題

公費削減を理由に終止符を打たれる

年間で収入100万円に対し、運営費が2000万円かかるとして、2022年度末で廃止されました。当時の市長の厳しい決断ですが、2008年に「四季の里」を運営する法人が経営破綻し、美術館内の売店やカフェもなくなっていました。既に陸の孤島のような状態だったのではないでしょうか。来館者は2001年の開館時には7千人だったのが、20年後には半数に落ち込んでいたそうです。
たしかに美術館経営の見通しは甘かったかもしれません。しかし、いとも簡単に美術館をなくすとは。これまでに美術館の活動にもっと投資できなかったのでしょうか。実際に「入館作家」は、展示や教育普及活動を無償で担ってきました。こうした作家の貢献を評価するともに、来館者から入館料を集めても赤字になってしまう公設美術館の宿痾のような特質の検討は、安芸高田でなくとも全国の自治体に必要ではないかと思います。

「私たちの美術館」という意識が生まれるか

前回の note で参考にした広島大学附属中・高等学校教諭の森長俊六氏は、「入館作家」が広島市在住の作家が多かったことから、安芸高田市では「私たちの美術館」という意識が生まれにくかったかもしれないと、次の中國新聞の記事で述べています(再掲)。

たしかに、「入館作家」を広島全域で活躍する作家としたことから、地元住民にとり美術館とのつながりが希薄になったのかも。2004年に旧・安芸市が周辺の5町と合併して安芸高田市となっていて、身近で、所属しているコミュニティ、という意識がつくりづらくなっていたかもしれません。
もっとも、近所の○○さんが出品している、ということだけが地元のつながりではないですが・・・。

作家の持ち出しと学芸員の不在

八千代の丘美術館の、「入館作家」が展示や出張授業などをすべて自前で行っていたことは、公立の美術館では見られなくもない慣例かもしれません。しかし、学芸員がいない美術館というのは論外かも。それこそもっと予算が投入できなかったのでしょうか。
美術館でジャズライブをやっていたという方のブログ記事を見つけました。↓

美術館のイベントとして紹介されていたジャズライブの出演者に交通費すら支給されておらず、「入館作家」がライブ出演者にお礼の支払いをしていたとは・・・。
「われわれのジャズライヴは難波英子画伯が美術館で開いた自画像教室の添えもので,バンドのメンバーは画伯のポケットからありがたくお車代をいただいた.それなりに入館者増につながったとは思うが,このように個々の作家に頼っているだけではだめだ」

このブログでは、市教委の経営努力に疑問を投げかけています。効果的な広報活動もほとんどなかったようで・・・たしかに2022年で止まっているホームページは、スマホやSNSの対応をしていないように思います。
でもこのブログで、にぎやかな風景をかいま見た気がしました。美術館は曲がりなりにも、広島できちんと愛されていたのでは。ライブ、見てみたかったです!


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