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関係を取り払う試み(2)


私は彼らの子どもの頃を知っている。
見たことはないのに見た気がする。
いじめられっ子で誰にも助けてもらえず、ただただ強くなろうと決心した他の子よりも小さな母の姿。
優秀な兄ばかり贔屓されて自分は兄のおまけだと感じ続けていた病弱な父の姿。
彼らはそういった傷を乗り越えられないまま、暗い執念を持ちながら大人になった。
そして子供の頃に得られなかったもの得たものを信じて自分の子に執拗に与えようとしていたのだと思う。



親であるという色眼鏡を外してみた彼らの寂しげな後ろ姿とはそういったものだった。
ずっと傷付いた心を持て余したままで…説明し難い悲壮感はそこから来ているのかもしれない。



そういう風に見ていると憎む気持ちが次第に失せていった。(かといって許そう?と思っているわけでもないけれど)
まだ上手に言葉にすることができないが、
誰も皆正しく、皆間違っている
と思う。彼らについても。


そして…
彼らが私の親であるという以前に、ままならない人生を歩んでいるひとりの人間だと思えばいいように、私も彼らの子どもであるという立場から離れたっていいのだ。
親から欲しかったものは他の人から得ればいい。



今の私は彼らの哀しみに思いを馳せることはできるが、寄り添うことはとても出来ない。
でも、また新たな関係性を築くことは出来るのではないかな、と思う。



親から分離したひとりの人間として生きるのだ。まだ始まったばかりでなかなかに拙い文章になったが、書いて、まとめてみて良かった。


おかげでひとつ分かったことがある。
彼らのことを憎みたくないのだ、私は。
ずっとそうだったのだ。



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