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関係を取り払う試み(1)


今の今までずっと、両親との距離感に絵も言われぬ居心地の悪さを感じ続けていた。
そこで、どうにか距離を置こうと考えた私は彼らを「お父さん」「お母さん」と呼ぶのをやめることにした。
具体的には、心の中で彼らを「おじさん」「おばさん」と呼び、LINEの文章を敬語に変えるようにしてみたのだ。


そしてそれに伴い、今までは当たり前に「親」だと認識していたが、それもなくして単に同じ家に居合わせた他人と思うことにした。


これらの試みに伴って感じたことがある。

私の家庭は「自分の子だから」「家族だから」という理由のたくさんの縛りがあったこと。
それが苦痛であったのと同時に、自分自身も親に対して「親ならこうしてほしい」という気持ちがつよかったとこと。


だから親子の関係を意識的になくすと、親の束縛にも応えなくていいし自分も子どもとして親に期待することをしなくていいんだ、と心がスッと楽になった。


そして、今まで「親子の縁を切る」と聞くと恨み辛みの末に絶縁…というイメージがあったが、必ずしもそうではないのかも…とその試みを通して思った。

私は今、親子の関係を断ったことで新たな視点で彼らを見るようになっている。
今まで「親」としてみていた人たちが自分の親であるという以前にちっぽけなひとりの人間であるということを感じたからだ。


他人だと思うことにしたあと「じゃあもう会わないでいいよね」と考えた時に、何かが頭の中を掠めてそれをとどまらせた。


それは実際に見たわけではない彼らの寂しげな後ろ姿だった。


(思考がまとまったら続きもUPします…!)



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