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子供が不登校になった理由〜我が家の場合〜

我が家の2人の子供(娘 中3、息子 小6)は、現在世間で言う「不登校」状態です。最初に娘が原因不明の病気になり、体調を崩したのが始まりで、じきに不登校に。引きずられるように、続けて息子も体調を崩し、学校に行けなくなりました。

現在、娘は中学校の教育支援教室に週一通う程度の登校。小3当初五月雨登校状態だった息子は、小4の12月から完全不登校になり、月一の頻度で学校常駐の相談員の先生に自宅来ていただいて、遊んでもらったり話を聞いてもらったりしています。

※2人不登校に至るまでの経緯は、記録として追々書いていこうと思っています。

現在進行系の事を書こうかどうか迷いましたが、いつか子供達が大人になった時、「あの時は大変だったよね〜」と笑える未来が必ず来る、と信じて書いていくことに決めました。


まず、現段階で自分が間違いないなと確信している原因は本当に不登校あるあるなのですが、

親の過保護、過干渉

プラス

「皆のように普通に」という呪い

です。さらに、

そのくせ子供の気持ちには無頓着(全く気づいていない)

が、追い打ちをかけます。

実は心のどこかで薄っすらわかっていたとはいえ、今までの自分の育児が間違っていた、という事実を直視し受け入れるのは本当にしんどい事でした。

元々2人とも大人しく、引っ込み思案な子供でしたが、不登校になるまでは毎日元気に歩いて学校に行き、宿題も勉強もこなしていました。成績もいわゆる中の上。真面目で先生の言うこともきちんと聞く、優等生でした。

学校の個人懇談で、先生から「何か気になることはありますか?」と質問されても、毎回「特にはないです。家でも元気にやっています。」と答え、うちの子はなんて手がかからないんだろう、と呑気に考えていました。
私は安心しきっていたのです。

でも、そうじゃなかった。
毎日子供達は親の「普通であって欲しい」という期待に応えるため、皆と同じ「普通」になろうと、必死で頑張っていたのです。でも、もう頑張れない。そしてある日、限界が来てしまった。

ポッキリ折れてしまった心に応えるように、体が動かなくなり、朝起きられなくなりました。病院へ通ったり、さらに体調を整えるために何人かの整体の先生に診てもらったのですが、2人揃って「慢性疲労症候群」と言われました。(病院での診断が必要になる程の重度には至らず、現在はやや疲れやすいものの、普通に外出出来る程回復しています。)
それ程に、子供達は消耗しきっていたのです。

その事実を知った時、言葉を失いました。私は「特に問題ないです」と言っていた当時の自分胸ぐらを思いっきり掴んで、殴り倒したい、と思いました。
一体今まで子供達のどこを見ていたんだ!と。

それでも不登校になった当初は、原因は体調にあり、体が元気になれば元のように学校に戻れるだろう、とまだ楽観視していたのです。

でも、そうではなかったのです。
じりじりと、時間だけが過ぎていく毎日。
不登校は長期化していきます。

そして気づくのです。結局子供達がこうなったのは、自分の子育ての仕方が間違っていたのだという事実に。私は何て事をしてしまったのだろう。
どうして、どうして。
リフレインのように、心が叫んでいました。


1度だけ、子供達の前で
「どうしてこんなことになってしまったの。ママも毎日毎日辛いの!」と感情が溢れて、子供と3人で泣いたことがあります。

(自分達が、ママを悲しませている)
悲しみの表情が2人の顔を覆います。 違う、そうじゃない。私のせいなのに…!
あの時の2人の顔は、今でも忘れられません。

その時、これからは絶対に子供の前で泣いたり、悲しい顔をしてはいけないと自分に誓ったのです。私には悲しむ権利はない。泣いていいのは子供達だけなのだと。私は平気。大丈夫。何よりも子供達の体調と心を建て直さなくては。
そうして自分の感情に蓋をしてしまったのです。

子供達の体調は徐々に回復していきました。それとともに、心も少しずつ、少しずつ回復します。

ずっと寝込んでいた状態から、起きられるようになり、好きな事なら集中して出来るようになりました。親子でたくさん会話して、心の内を話してくれるようにもなりました。それでもまだ、思うように心が回復していきません。

そんなある日、TVでドラマを見ていた時のこと。劇中にユーミンの『リフレインが叫んでいる』という曲が流れていました。

どうして どうして

繰り返すリフレインを聞いているうちに、フッとあるイメージが湧いてきました。
それは、2人の自分の姿。どうして、どうしてと叫ぶ自分を、もう一人の自分がうるさい、黙れ!と滅多刺しにして血まみれになっている。
どうして、どうして、どうして!

これは、自分だ。

急に気がついたのです。
私が私を許していない。1ミリも。もう自分は平気だと忘れたふりをして、今もずっと、自分が悪い、自分のせいだと責め続けていたのです。

気持ちは伝播します。そして、子供達もいまだ、私と同じように自分を責めていたのです。

ここでようやく、2回目の間違いに気づきます。自分が自分の気持ちを殺し続ける限り、何も変わらないのだと。泣き叫ぶ自分の心に耳を傾け、寄り添い、それでもいいよと認めてあげることが、本当に必要なことだったのです。

初めて私は、自分の心に語りかけました。

本当はずっと、辛かったんだね。
頑張ったけど、うまくいかなかったんだね。悲しかったね。誰かに助けてって、言えなかったんだね。

子供達もずっと、こんな気持ちで頑張ってきたんだね。気づいてあげられなくてごめんね。良いお母さんじゃなくてごめんね…。

後から後から、涙が溢れてきます。それから少しずつ、少しずつ、心が軽くなるのを感じました。


それから1週間程経った頃。娘がなにげない話の途中でフッと言いました。「今まで自分に厳し過ぎたのかな。よくないよねぇ。でもクセみたいになってる。なんでいつもそうしちゃうんだろう。」

明日は相談員の先生が来る日。その夜、今までずっと本音を言わなかった息子が、泣きながら初めて胸の内を語ってくれました。「幼稚園の時に、何度も仲間にいれてもらえないことがあって、悲しかった。すぐに泣いてしまう自分も嫌だった。うまくいかなくて、それからずっと、人が怖くなった。」

よく、言ってくれたね。
ママに教えてくれて、ありがとう。
本当に嬉しかった。

子供達を見ていると、本当に自分の気持ちの写し鏡のよう。ママそうじゃないよ、間違えてるよ〜と教えてくれているのに、なかなか気づくことが出来ない私。

今までずっと、子育てのやり方を間違えてました。間違えたくないけど、また間違えてしまうかも知れません。

それでも、子供達は毎日呼んでくれます。
「ママ〜、あのさ〜…」
「ママ〜、見てよこれ〜!」

ママ、愛してよ!
ママ、愛してる!

こんな不器用なママに、実際には聞こえないけど、一生懸命届けてくれるメッセージ。

私はなんて、幸せなんだろう。


実際に親が子供に出来ることは、そんなに多くはないと思うのです。ただひたすらに、この子達は何があっても大丈夫だと、心配せずに信じること。
それが一番難しいのだけれど。

今はやっと、子育ての再スタートラインにようやく立てたかな、という所です。私も、子供達の自己肯定感も、まだまだ低空飛行です。先の見通しも何もありません。また気持ちがグラグラ揺れる時が何度もあるのかも知れない。

それでも構わない。大丈夫。それが私なのだから。前を向いてやっていこうと思います。

『未来は明るい』

そう信じると決めたのだから。

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