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kayoさんのペンデュラムリーディングを受けた話

以前守護ガイドリーディングでお世話になったYUKIEさん↓

そのnote繋がりで知ったkayoさん↓

軽やかな感じでいながら、大切なことをたくさん書いているkayoさんの記事を、いつもこっそり見ていた私。

そんな中、限定2名でペンデュラムリーディングを受けたい人いませんか?との記事を発見。

ハイハイハイハイ!
そう、凝りもせずまた手を上げる(笑)

今までなら、記事を読んでくれてる人が『またコイツ、無料に飛びついてるよ』とか『スピ依存になってるよ』とか思われる、とか思ってたけど。
もう何も気にしないことにした。
批判を恐れてる気持ちは多分、脳内の雑音。

私は、私がやりたいと思ったことをやる。 
今はシンプルにそれでいいやとなった。
そうだ。心臓に毛を生やせ。



しばらくして、kayoさんからリーディングメッセージが送られてきた。
予想外の内容に、驚きを隠せなかった。

◇葬儀屋
に反応ありました。

追ってみていきました。
身内、親戚、詳しくはわからないですが葬儀があるかもしれないと伝わりました。
遠い日のことではないようです。。

心構えをしていてほしい、その様に届きました。
熱意が遮断されないようにいてくださいとのことです。
熱意とは…生命力。
生命力とは。。遮断とは。。
どのようなことが起きたら気が萎えてしまうのか…ということを自分がわかっていく、ということの様です。

葬儀屋ーに反応ありましたので…内容を伝えるのをどうしようかと一瞬悩みましたが、受け取ったものをそのまま伝えますね。
現時点でのリーディングなので、瞬間瞬間変わりますので明日になったらまた違う反応をすることもあります。現時点でみています。

☆☆☆

続いてリーディングしていくと、

心のエネルギー…私は安全か?…

に反応ありました。

亡くなる方をみたり、亡くなる方に関わる自分やまわりの方々をみたりした時、自分の心のバランスが乱れたりブレたりすることが起きやすいかもしれないですが、自身を保つことを意識すること。
「自分は自分の道を行く。」
そう決めると良いようです。
決めると自分の軸が柱が、一本しっかりと立って安定します。
kaoriさんは出来ますし、意識していれば大丈夫とのことです。

***

皆が敵にみえたりすることが起きた時に、自分の安全さを確認するには…

◇葬儀屋ーーこれを伝えたいのはなぜ?

・・kaoriさんの守護霊さんが伝えたかったのかな?そう感じました。(kaoriさんが生まれたときからの守護霊さんのようです。)

♡守護霊さんからのメッセージ♡

〜皆ひとりひとりまもられていて、誰ひとり欠けられない愛の存在。
皆、源の仲間たち。
皆で歩んでいくと決めて地球に降り立って行きました。そのことを忘れないでいてほしいのです。

kaoriさんは優しい。
時としてその優しさが、激しい悪夢を連れて来る。
悪夢は、kaoriさんの中にあったお化け屋敷のようなもの。自分でつくった、お化け屋敷。
そのお化け屋敷は解体出来ます。
kaoriさんの中できれいに大掃除が出来ます。
それをするのには痛みが伴います。
ですが、きっとやれますし、やります。

kaoriさんは精神的に強い人です。
その力を奪いたい人も中にはいます。
kaoriさんは自分の力をまもります。
自分と同じように、相手の中にある愛をまもり、大切に、その愛を引き出していてあげることの出来る人です。

kaoriさんはこの先ますますと愛についての挑戦をし続けていきます。
その挑戦はなにか、と訊かれましてもこちらからは伝えることは出来ないのです。

kaoriさんは、わかっていてやっていることがありますので、それを想われましたら直ぐに理解が出来ると思います。

kaoriさんはいつでも明るく楽しい人です。
この先の人生も、どうぞ心ゆくまで楽しんでいてもらいたいのです。〜

kayoさんからのリーディングメッセージ全文


『葬儀があるかもしれない』
『遠い日のことではないようです』

この文章を読んだ瞬間、寒気がして心臓がギュッとなった。あっという間に心が恐怖に蝕まれる。
もし大切な家族だったら…
もし子供だったら…
見事なまでに、メンタルを持っていかれる。

ここ数年でスピリチュアルな情報に触れ、『死』が決して悪いことではないという『知識』は得た。
でもいざ自分事となると、全然覚悟できてないし、理解も出来てないことに気付かされる。
ダメダメやな…。

数ヶ月前に、友達が母親を亡くした事を知った。私ももう親を亡くしてもおかしくない年齢になったのか…。そう思いながらも、まだ『親を亡くす』という事はどこか他人事だった。

ーーーーーーー

16年前に夫が母親(義母)を病気で亡くした。
病気の発覚から治療、入院、亡くなるまであっと言う間の1年弱。言い方は悪いかも知れないけど、人が病気で亡くなるまでの色々なことを勉強させてもらったと思う。離れて暮らす親戚の葬儀はいくつか出たことがあるけれど、身近な人が亡くなって、最後にお骨になるという体験は、本当に衝撃的だった。

その中での後悔は山程あるけれど、義母が亡くなる瞬間のことが、今でも忘れられずにいる。

その日も夫と2人、個室に入院している義母に付き添っていた。義母はもう意思の疎通は出来ず、だた眠っているだけのような状態だった。

ふと、義母に繋がっているモニターが、脈拍と血圧の低下を示し始めた。手足もいつもより冷たい。
慌ててナースセンターに連絡したが、反応は薄かった。あぁ、いよいよなんだな…と感じた。
それでも夫は諦めず、手足を温めるためにカイロを借りたり、手を尽くした。私は何も言えなかった。

夫の兄家族と義母の姉に連絡を取った。看護師さん達ももうわかっているから、こちらが呼ばない以上、必要以上に病室には近寄っては来ない。

最期の時。耐えきれず、パニックになった夫が病室を出ようとする。
『どこにいくの。もう本当にこれで最後なんだよ。ちゃんと見送ってあげないと。』
必死で夫の手を掴み、病室に引き戻した。夫が取り乱せば乱すほど、頭がどんどん冷静になっていく。
ギリギリで、義母の姉が駆けつけた。
皆口々に、義母への感謝の気持ちを伝えた。
涙を一筋流した後、義母は旅立った。


冷静だったはずなのに、その時の夫の様子が思い出せない。私は一体どんな顔をしていただろう。亡くなった直後は涙が出なかった。

その後からずっと、あの時の自分の行動が正しかったのか考えて続けている。『最後まで頑張った義母をちゃんと見送ってあげて欲しい』『後でちゃんと見送れなかったという後悔をして欲しくない』という私のエゴで、夫の傷を深くしただけではないのか。

慌ただしく葬儀を終えた。その後、義母の遺産を巡り兄夫婦と話し合いがこじれることもあり、夫の精神はますます不安定になっていった。
元々枕が変わっただけで眠れなくなる繊細な人。眠れなくなり、度々睡眠導入剤を使うようになった。私は両親が健在なので、親を亡くした夫の気持ちに寄り添うのが難しかった。何を言っても上滑りして、慰めにもならない気がした。

半年後、長女を出産した。
育児で忙しい日々を送っているうちに、夫は少しずつ少しずつ眠れるようになった。長女の存在が、私達夫婦を救ってくれた。
それでも、『もっと出来ることがあったはずなのに。』『あの時の治療の判断が、母の死期を早めたのではないか。』今なお夫は自分を責め続けている。
夫の気持ちが救われる日は来るのだろうか。

ーーーーーーー

私は昔から何故かずっと、自分の事を冷たい人間だと思っていた。だから人の気持ちにも寄り添えないのだと。夫が悲しみに沈む中、自分は育児ばかりで夫の気持ちに十分に寄り添うことをしなかったのではないか。自分が無神経な人間に思えた。

TVなんかで『もし絶体絶命のピンチが来たら、母親は子供を庇うもの。』と聞く度、『私は自分の命惜しさに子供を見捨てるのではないか。』そう思い、自分の中に家族への愛が本当にあるのか、今でも信じきることが出来ない。

今は、義母の事を思い出す度、涙が出る。
この涙は、あの時泣けなかった分の悲しみなのか、単なる後悔の涙なのか。だた涙が出てくるだけで、自分の感情がよくわからなくなった。

そんな時、毎日聞くクリスタルボウルでお世話になっているkaloさんの記事を読んだ↓

この記事の中で、

瞑想では、実際に意識の中で死を迎えます。さようならを伝えにいく人を思い浮かべながら、「さぁ、その日、その時(死の瞬間)が来ました。愛する人、家族や友人にさようならを伝えにいきましょう。」

とあったので、(瞑想は下手くそで出来ないけど)ふと自分だったら…と想像してみた。

夫や子供達、両親や兄はもちろん、今までに会ったことのある人たちに会いに行く。
驚いたことに、かける言葉は『ごめんね』と『ありがとう』しか出てこなかった。何故かわからないまま、涙がどんどん溢れてくる。
色んな人にありがとうを言いながら、どんどん幸せな気持ちになる。

私は、幸せだったんだな。

素直にそう感じられた。良いことも悪いことも全て含めて、全部与えられたものだったのか。もしかして生かされているって、こんな感覚なのか…。
今死んだとしても、私は不幸ではないのか…?

正直、子供達もまだまだ不安定だし、夫や両親、兄にもまだまだ長生きして欲しい。自分も人生不完全燃焼で、まだまだ死にたくはない。

でも、寿命は決まってる。
どんなにあがいても、その時が来れば受け入れるしかないのだ。

愚かな私は、日々の生活を1週間も送れば、あっさりこの気持ちを忘れてしまうのだろう。でも、仕方がない。そうしないと、毎日死を考えながらの精神状態では多分生きては行けない。

義母の最期の時をやり直せたとしても、私はやっぱり『ちゃんと向き合え』と、夫を引き戻してしまうのだろう。結局私は、そのやり方しか出来ない。
ならば、このままの私で行くしかないのだ。


『死』を想像しただけで、この揺れっぷり。感情にどっぷり肩までつかり、めちゃめちゃ味わいまくっている。私は本当にアセンションを目指し、人間を卒業したいと思っているのか…(汗)。

メンタルが不安定の状態のまま、kayoさんに感想のメッセージを送ったものだから、kayoさんに物凄く気を遣わせてしまった(汗)

kayoさんのメッセージはとても優しくて、それだけでもリーディングを受けて良かったなと思った。
その中で、kayoさんから1つ指摘があった。

守護霊さんはガイドさんとは別です。守護霊さんは、kaoriさんの父方の女性の雰囲気がしました。
守護霊さんの雰囲気は〜一休さんのアニメ知っていますか?一休さんの母上様に似た雰囲気を感じましたよ〜

kayoさんのメールより

最初、ずっと守護ガイドだと思ってた私。
守護霊さんだったとは。
一休さんの母上様か〜。
『厳しさの中に愛があるエレガント感じ』を勝手に想像したけど、合ってるのかな…?

『死』について、メッセージをくれた守護霊さん。私が感情にぶん回されることを見越して送ってくれたのだろうな。ありがたく受け取ろう。

kaoriさんはこの先ますますと愛についての挑戦をし続けていきます。その挑戦はなにか、と訊かれましてもこちらからは伝えることは出来ないのです。

kaoriさんは、わかっていてやっていることがありますので、それを想われましたら直ぐに理解が出来ると思います。

『わかっていてやっていることがあります』は、全然心当たりがなく。いや、全くわかってはいませんが…(汗)ある日、『あ、この事か。』みたいに気づくことがあるのだろうか…。

これまでのリーディングで、少なくとも私には守護ガイドが2人、守護霊が1人の3人に見守られていることがわかった。昔は孤独感が凄くてずっと苦しかったけど、こうやって守護の存在を知ると、心強いし安心感がある。ありがたいな…。

☆☆☆

あとこの記事を書きながら、ふと昔よく読んだ絵本を思い出した。

子供達が小さい頃、寝る前に絵本の読み聞かせをしていた時期があったけど、この本だけは読むと私が必ず泣いてしまうので、結局1度も読み聞かせが出来なかった。もう絵本は全て断捨離したけど、この本は最後の最後まで残してた。今読んだら、当時とはまた違った気持ちになるのかも知れないな…。


作者の佐野さんは本について、こう記している。

「100万回生きた猫」というただそれだけの物語が、私の絵本の中でめずらしくよく売れた絵本であったことは、人間がただそれだけのことを素朴にのぞんでいるという事なのかと思わされ、何より私がただそれだけのことを願っていることの表われだった様な気がする。

あの猫は最期、幸せだったと思う。
「愛を知る。」
結局は、ただそれだけの事が、生も死も受け入れられる最強のパワーなのかも知れないなと思う。

☆☆☆

なんだか上手くまとまらなかったけど、スゴく色々考えさせられたリーディングでした。

kayoさん、たくさんの気づきをありがとうございました。心から感謝いたします。

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