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名前は呪い?それともまじない? 〜名前には愛を添えて〜

私の夫は、少し変わっている。
会話が唐突に述語から始まることが多い。突然、「〜やんか。」と話しかけられる。…何が?

どうやら彼の脳内では、その話に関してもう結論が出ているため、またせっかちな性格も手伝って、そういう話し方になるらしい、と結婚生活20年の間に学んだ。

最初は異国の人と喋ってるみたいだった。いわゆる5W1Hが飛んでいっている。全然わからん。
相性が良くないことに、私は人の話をすぐに忘れてしまう。え、何のこと?から始まり、えっとそれは、この間言ってたあの事かな?と、名探偵コナンになった気持ちで色々推理をして、遭難している主語を探していく。真実はいつもひとつ。

今ではそれまでにした会話の中から、主語を探し出すことに慣れたものの、それでも時々、全然わからない時がある。たまにもう面倒くさい時は、「ちょっと何言ってるか分からない。」とサンドウィッチマンの富澤さんになって放置プレイするときもある。
(便利な言葉をありがとう、トミー。)

そんな夫だが、どうもオシャレなカタカナの名前が覚えづらいらしい。いつも正解が出てこない。

例えば。
私がスーパーに行く前に何か欲しいものある?と聞いた時のこと。

「バッツァーベルデン、みたいな名前のアイスが欲しい。」と言われた。

「バッツァー…ベルデン?」


頭にたくさんの???が浮かぶ。
ドイツの人、なのかな…?

何、その必殺技みたいなやつ。
「バッッッツァーーーベルデ〜〜〜ンッ!!!」て叫んだら、手からビームとか出そう。

いや、そうじゃなくて。
えーっと、最近食べたアイス…夫が喜んでたやつ、何やったっけ…。脳内の記憶のページをめくる。

ピンポン!
と私の頭上にランプが灯る。

あぁ、「レディボーデン」ね。

(ようわかったな、自分。拍手。)
夫の脳内はどうなってんねん。大丈夫なんかな。まぁ確かに、語尾の「デン」だけは合ってる(笑)

それ以降、我が家であのアイスの名前は「バッツァーベルデン」になりました。
ボーデンさん、ホント申し訳ない。
こんな事が多発している我が家です。


あと、夫は超絶照れ屋さんなせいなのか、普段家族の名前をちゃんと呼んでくれた試しがない。

息子の名前はまだ大丈夫。名前の頭の一字を取ったあだ名で、赤ちゃんの時から変わらず「あっちゃん」。本人も気に入ってるのでこれはOK。

次に私。そもそも名前で呼ばれた覚えが殆どなく、子供が生まれてからは、いつの間にか「ママ」と呼ばれるようになった。
まぁそれだけならいいのだけれど、最近は「ママ」にちゃんをつけて「ママちゃん」はまだ100歩譲って許すとして、「ママチャンネル」はもう意味がわからない。一体どんな番組を放送しているのか、私も知りたい。ねぇホント、私はどこの誰なのよ。

(でもこの間一緒に行ったスーパーで、夫が私と間違えて、全然違う人にうっかり家のノリで「ねぇママちゃん」と話しかけているのを、たまたま離れて見ていた私。恥ずかしくなった夫は、音速でその場を離れてた。…プププ。)

最後に娘。1番酷い。
何故か「よんぼい」「よんぼーい」。
あだ名にしたって、娘の名前が一文字も入ってないし、最早性別自体が変わってしまっている。生まれた時に、あんなに2人で悩みに悩んでつけた可愛い名前は、一体どこに行ったんよ。
ちゃんと名前で呼んでよー!と、娘と私で抗議したこともあったけど、呼び名は一向に変わる気配がない。しかも、もはや名付けた本人も何であんなあだ名にしたのかようわからんって。
ホントどうなってんの。

今はただ、私と娘がいつか自分の名前を取り戻す日がやって来ると、信じたい…。


しかしこうなってくると、「名は体を表す」は一体どうなってるんだろう、と思う。

学生時代にたくさん色んな名前の人と知り合ったけど、そういえばおかしなあだ名の人が多かった。

例えば『きたはしさん』は「パチョ」さん。自己紹介で、ちょっとパーなのでパチョです、と彼は爽やかに笑っていたが、真偽の程は未だ不明。『きりたにさん』は、何故か中国語読みで「パンキ」さんだった。『むらかみさん』は「番長」。めちゃくちゃ喧嘩弱そうなのに。他にも意味不明な変なあだ名の人がいっぱいいた。
そういえば夫の職場の人に、『こやまさん』がいるが、なぜかあだ名が「アンドッティ」。誰も由来を知らないし、聞かないらしい。謎が過ぎる。

かくゆう私も大学時代に、先輩に『笑った顔がナインティナインの矢部に似ている』と言う理由だけで今日から君は「矢部」ね。と命名されてしまった。
なんだかんだで、その集まりの中ではずっと私は「矢部」でそのまま約10年過ごした。
しかしいつの間にか、本来の私とは別の「矢部」人格が独り歩きしてし始め、終いには私自身が、私本来の人格と「矢部」の人格の乖離に耐えかね、グループを抜けた。なんなの、もうしんどい。私はいずこへ。カムバックかおり。
かくして「矢部」は死んだのだ。


やっぱり名前には、その人やその人の人生に対する影響力が、少なからかずあるのだと思う。
名前は生まれた我が子への、最初のギフト。ただ、それを「呪い」だと思うのか「まじない」だと思うのかは、その人の生き方次第なのだろう。

例え自分の名前に大層な意味が込められていなくとも、親がその子のために「考えた」という事実は変わらない。(私の名前も、両親が姓名判断の本でいい字画の名前を探した結果だと聞いた。)

もし自分の名前をずっと嫌いだったとしても、例えば愛する人が出来て、その人から呼ばれる自分の名前は、「とても大切な物」だと思えるようになったりもする。だから普段使われるただの「あだ名」でさえも、「愛を感じられる」名付け方であって欲しいなぁと、私はいつも思っている。

(昔のニュースにあった、「悪魔くん」騒動。この世界では「悪魔」に対してネガティブイメージしかわかないのに、ご両親がどんな思いでなぜそんな名前を子供に付けたのか、当時私には全く理解出来なかった。)


何かに「名前」がついたその瞬間。その存在がしっかりとこの世界に認識されるようになる感覚。「命名する」とはよく言ったものだと思う。

ある日両親に、名付ける時に他の名前の候補があったのかを聞いてみた。「えみ」。やっぱり何だかしっくり来ない。

結局私は、今の名前が「1番自分らしい」と思い、気に入っているのだ。なので、noteでの名前は本名の「kaori」を使うことにした。


お父さん、お母さん、いい名前をありがとね。



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