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シチリア料理はそのままこの島の歴史を語る・フェニキア人と塩田

シチリア島の州都、パレルモからの発信。 ボンジョルノ。

このnoteを始めた時、もっともっとシチリアのこと全般について書いていこうと思っていました。 もちろん食に関することが多くなるのは分かっていましたが、観光や見どころ等も取り入れる予定だったのです。 色々な人から「シチリアに関する情報って、少ない」と聞いていたので。 

ところがロックダウンもあって出掛けられなかった日々、撮り溜めた写真はあったのですが、毎日お料理ばかりしていたの為についその話題ばかりとなりました。 今一度振り返って、もう少し他の要素も取り入れていこうと思った次第であります。 と言っても、やはり「食」が中心になるのですが。

シチリア島はイタリアで最も大きな州であり、地中海で最も大きな島です。 その地理的な理由で様々な民族の支配下に置かれ、文化が混じり合って複雑化しています。 その複雑化した文化が「食文化」にも表れているのです。 外から入ってきた食材、調理法が先住民のそれと混ざり合い、今のシチリア料理が出来ました。 そう、シチリア料理はそのままこの島の歴史を語るのです。 逆に言うと、「食」を通して島の歴史を見ていくと言う感じ。 まずはフェニキア人から始まります。

紀元前8~7世紀頃。 最初にこの島に足を踏み入れたとされているのがフェニキア人です。 聞いたことあるかと思います、昔の歴史の授業中に。 フェニキア人は今のレバノンです。 勿論先住民はいましたが、フェニキア人がパレルモからそう遠くない沿岸部に植民地を作りました。 シチリアを足がかりとして、地中海貿易拡張の為です。

その彼ら、島の西側トラパニ地方に塩田を作りました。 驚くなかれ、その塩田は今現在健全で、天然の海の塩が作られているのですよ。 

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塩田の塩は結晶化したらサリナイオと呼ばれる塩職人の手によって収穫され、山のように積み上げられます。 そしてテラコッタで覆われ乾かします。 現在も手作業で行われていますが、海水と塩と太陽の照り返しで、かなりきつい仕事です。 貴重な塩、給料が塩で払われていた事もあるそうです。 イタリア語で「塩」はサーレといますが、これが「サラリー(給料)」という言葉の語源なんですよ。 

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昔は風車を使って海水を塩田へ引き入れていました。 風車そのものは残っていますが、現在は勿論電動式のポンプを使用しています。 塩田には3つに分けられ、まずは海に1番近い第1の塩田へ、そして海水が蒸発して塩分が高まるにつれ第2、第3の塩田へ引き入られます。 そして塩分が高まると次第に海水は赤みを帯びてきます。(トップの画像参照)

塩の結晶が出来始めているところ。

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トラパニ地方はとても風の強い所で、この地域には塩作りに必要な海、太陽、風の三つの要素が揃っているのです。 この地方に目を付けた古代海の民フェニキア人、凄いですよね。

シチリアには岩塩も存在しますが、ほとんどは海の塩が使われています。 日本の普通の塩とは全く別物、舐めても舌にピリッとこないまろやかな味です。 シチリア料理が美味しいのは、この塩のおかげもあるのではないかしら?

一時帰国時、母や友人から「お土産にはお塩が欲しい」と言われる程です。重いから結構大変なんですけど(笑)。

大抵の家庭では1日に1回はパスタを茹でます。 その時に使うのもこのトラパニの海の塩。 パスタ自体にしっかりと味を付けなくてはいけないので、結構な量が入ります。 なので塩の消費は日本よりもかなり多いと思いますが、ミネラル豊富な天然の海の産物は体に優しい。 と私は思っているのですが、やはりどこも同じで「血圧のためには塩分控えめに」と言われていますけどね。

という事で、料理の基本の基本である調味料「塩」は、2800年位前からシチリアで作られていたのでした。 有難う、フェニキア人。

次回は明日になるか、明後日になるか? ギリシャ人が登場します。

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