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準備期間-25歳のオフシーズン-

45歳現役アスリート猪頭香緒里の自伝 #4


全国大会に出場できず、長く伸びた鼻を折られた私は、雪がとけて故郷の岡山へと帰っていきました。
帰った所で、帰る場所もなかったですが…。(親に勘当させられたので)

しかし丁度その頃、私の7つ年下の妹が大学へ進学したこともあって、春から一人暮らしを始めていました。
住む場所のない私は、妹の家に転がり込むという作戦を思いつき、見事成功しました!!
当時、妹は迷惑だったと思いますが…(笑)

住む場所を確保したので、次にアルバイト先を探しました。来シーズンに向けてお金を貯めなけれないけないからです。
身体作りもしないといけないので、近くのジムを探しました。でも、ジムの月会費を支払う余裕が無かったので、ジムは諦めて、ランニングや家での自重トレーニングだけしました。

オフシーズンを過ごしている間に、学生時代に少し携わっていたJICAの事業をお手伝いすることがありました。

その中で、一番心に響いた事は、
北方領土へ行ったことです。

北海道へ飛行機で向かい、納沙布岬から船に乗り、色丹島と択捉島を訪れました。
取り残された日本人のお墓を訪ねました。また、島の方々にお会いして、各家庭へ招待していただき、ロシアの家庭料理をごちそうになりました。

海外へ行ったことがなかった私にとって、全てが新鮮で、刺激的で、何よりも日本の歴史について深く考えさせられました。

ロシア語だったので、通訳さんに頼りっぱなしでしたが、たくさんの事を教えて頂きました。
この経験が、数年後の海外遠征や海外での生活の発端になったのかもしれません。

しかし、紆余曲折するのが人生。
数年前に婚約破棄をした相手から、一通の内容証明郵便が届きました。婚約破棄の慰謝料請求でした。
相手が原因で、職を失った所もあったので、
逆に私が請求したいわ!!
と、憤りを感じましたが、対処するしかありません。
家庭裁判所を訪れるのは、初めての事でした。…これも、経験。

結果、勝訴。

しかし、弁護士費用もかかり、さらにアルバイトをして、お金を貯めなければいけなくなりました。

早朝から深夜まで、アルバイトに専念する日々となりました。
それでも、毎日、休まず続けれたのは、スノーボードへの熱い想いと逆境からのモチベーションだったと思います。
お金が必要となった事もあり、倹約する事も学びました。

アルバイトで忙しい中でも、冬に住む場所や練習拠点のスキー場や大会情報の収集を行わなければなりませんでした。
住む場所は、昨シーズンと同じシェアハウスに決定。一緒に生活をしていた方々が、素晴らしかった事もありますが、他の場所を探す時間が私にはなかったからです。
練習拠点とするスキー場は、スノーボードクロスの大会をたくさん開催していた、hakuba47というスキー場に決定。
大会はわかる範囲でスケジュール帳に書き込みました。

あっという間のオフシーズンでした。それだけ、毎日が充実していたのだと思います。

そして、プロになると決心して2度目の冬がやって来ました。


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