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【No.33】アノヒトは今・・・

台風が過ぎ去った後の東京は、ものすごく暑い。蒸し暑さでは、京都の方が勝っているのかもしれないけれど(そんなことで勝ちたくなんてないが)、乾燥はしていて海風(ビルの谷間風?)が吹くとは言っても、直射日光が半端ない。アスファルトからの照り返しで9月も半ばに入ろうとするのに、日焼けしている。

「おかーさんが幼い頃は道路が舗装されていなかった」

その事実を打ち明けると、うちの子供たちは目をひん剥いた。そして下から上までジロジロと見て、「年やからな」とその言葉の重みを実感しているかのように言う。
なんと失礼な。たったの45年やそこいらで、誰がこんなに住んでいる世界が変わると想像しただろう。その進化の狭間にたまたま遭遇したのだ、と思いたい。母の世代やその前の世代、もっと前の世代は、変化はもっと緩やかであったはずだ。

振り返ってみると、小学生になるまでマクドナルドは京都にはなかった。ペットボトルも高校生の時までなかったし、インターネットなんて社会人になるまで使わなかった。私の幼い頃の写真はカラーだけど、5歳上の姉の赤ちゃんの時の写真は白黒だ。

いやいや、本当に変わったな。
今はもっと変化が加速しているのだろうか。AIの登場とともに10年先にあらゆる仕事はなくなっている、なんて言われていたけれど、もっと進んだら、私の仕事の半分はなくなっているだろう。
通訳、翻訳はなくなる。クリエイティブな書き物や、書類を作ったりする仕事はなくならないだろうと思っているけれど、私が社会人になった頃に周りにいた人たちは、自分たちの仕事がなくなるなんて想像もしなかっただろう。

例えば、業界紙で仕事を始めて一番最初に頼まれた用事は、広告の原稿を製版屋さんに持っていくことだった。
「新人のおねーちゃんか」と言ってお尻を触ってきた(←これも時代だな)、製版のおじさん、どうしているんだろうか。
このエロ親父、死んだらいいのに、と心の中で毒付いていたけれど、本気で彼の落日を望んでいたわけではない。

あの人、どうしてるんだろう。カメラマンのリンさんは、もともと仏像カメラマンをしていたから、今も同じように仕事をしているのかな。斜陽産業と隣り合わせに生きてきた私には気になる人も多い。

ところで。今私が気になっているのは、同じ変化が世界中で起きているの?と言うこと。例えば、ペットボトルが出回り始めた頃、日本では必死にリサイクル方法を考えて、そこから作業服が作られたりとかしていたが、今ではペットからペットへの平行リサイクルも可能と聞く。
でも、アフリカでもそうなの? カンボジアでも? ペルーやチリでもそうなんだろうか。

紙のリサイクルはされているものの、技術のなさのせいか、トイレットペーパーが赤かったアフリカのマサイマラ国立公園のトイレ。道路が舗装されていなくて、スコールで柔らかくなった泥に姉のサンダルが吸い込まれてしまったこともあった。変わっていたら寂しいけれど、それは私の勝手というものだ。

日本がそうであったように戦争や貧しさから立ち上がり、病気で命を落とす子供が少なくなっているとするならば、それはきっと良い変化に違いない。
古き良き時代なんて言う人がいるけれど、私は自分勝手なノスタルジーは嫌いだ。
不便さが故のオモロさは減っているかもしれない、けれど。

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