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【お金と素敵な家族】社会が作る理想からの脱却は可能か

副業で600万の借金返済をめざして奮闘中のてんです。借金の経緯は以下の記事を読んでくだされば幸いです。

今回は、ちょっと本筋から離れて「幸福とはなにか」について書いていきたい。この命題に関しては古今東西語りつくされてきているにも関わらず、いまだに誰もが納得のいく回答が得られていないものだと思います。

私の結論として幸福とは”あきらめ”だと思っています。しかし、今回はその話をしたいのではなく、「資本主義社会が作り上げた絶対の幸福条件」に関して考えていきたいと思います。先の述べておきますが、この記事に結論はありません(笑)

これを記事にしようと思った経緯は、副業を始めようとその道のインフルエンサーたちをフォローしていると、お金に関するツイートがたくさん流れてきます。すると、お金がある人が偉いお金があるからいろんなことができて、視野も広がって幸せになれる。みたいなツイートが山のように流れてくるわけです。その様を見ていると、まるでお金を神様と奉る宗教団体のようです。そこで、社会と幸せについて日ごろ考えていたことをまとめておこうと思ったわけです。

みなさん、幸せってなんだと思いますか?おそらく、一般的な幸せというのは以下のようなイメージがあると思います。今回は一つ目のお金にフォーカスして話を進めていきます。

・お金がたくさんある。
・結婚して、きれいな奥さんとかわいい子供がいる。

この幸せのイメージ、かなり強力だと思いませんか?なにが協力かというと。「私は幸せです。なぜならお金があるから。」と言ってきた人に対して、「お金がすべてじゃない」、「貧乏でも幸せな人はいる!」と反論したとしても、お金がある人からしたら僻み・妬みとしてしかとらえられないのです。

家族に関してもそう。「結婚なんかするものじゃない。自分の時間が奪われるだけだ」といったところで「結婚したこともないのに何がわかるの?」といわれればそれまで。

なんとなくわかるかと思いますが、誰もがこの幸せの条件を心のどこかで求めているのではないでしょうか?もちろん、そうじゃないという人も中にはいるのかもしれません。しかし、この人間社会で生きる人々はほとんど、これらを無意識のうちに求めているはずです。

私はこれを、資本主義社会が作り出した幻想だと思っています。しかし、社会的な動物である人間は、自分の住んでいる社会が無意識のうちに作り上げた幻想を幼いころから刷り込まれています。そのため、盲目的にそれが正しいかも精査せずに、それが幸せなのだと思い込んでしまっているのではないでしょうか?

私はこれにすごく違和感を感じています。所詮、社会の中の枠組みでしか自己をとらえきれない人がほとんどで、社会という枠を外から俯瞰できたとしても、心は社会に縛り付けられたままなのです。

人間はどこまでいっても社会的な動物で、社会を前提にしたあり方しかできないのか、何物にも縛られない独立した思想を持つことはできないのかと悲しくなることもあります。しかし、社会そのものも考えて初めて人間というものがわかるのかもしれません。

反証不可能なものは科学ではないといわれています。しかし、私たちは往々にして、反証不可能なものに縛られて生きています。だからこそ、人間でありただの物質ではなく、ここに意識をもって存在している、ということもできるのかもしれません。

反証不可能なものの例として真っ先に挙げられるのが宗教です。神様はいる!といくら主張したところで、存在することも、存在しないことも証明できません。信じる人の心の中だけに存在するものです。

さて、あなたは神様(お金)を妄信的に信じますか?それとも、感謝はしつつ現実てきな利益を享受して、自分をもって社会と向き合いますか?私は妄信は哀れだと思っています。でも、お金がないので誰かお金をください(笑)

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