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こどもとうみ「自分で選択した人生!と言えるように」

 新しい学校を作ってみて思うこと。
今の教育は変わった方が良いと気付いても、どこから?何から?どうやって?変わったら良いのか。ここに悩んでいる人が多いということが分かってきた。そりゃそうだ。
 戦後の教育がずっと続いて来た中で、その教育を受けた人の方が圧倒的に多い。私も含めて、公教育の中で育って来た人たちが、理想を掲げて変革を起こしても、そこに飛び込もうとする子どもたちを応援しようとする親たちもまた、公教育を受けて育って来た人たちがほとんど。
 みんなと違うことをすることに対しての、罪悪感?反抗?不安?の嵐をどのようにくぐり抜けるのか?

 今のままでは良くないけれど、本当にここから「飛び出して」良いのか?
 このあたらしい世界へ「飛び込んで」良いのか?

 「飛び出す」「飛び込む」ことに不安を感じるのは無理もない。

 公立、私立、オルタナティブ、フリースクール。少しだけ多様になってきたが、公立、私立以外は何か路線から外れた子どもが通う場所というイメージがまだまだ強い。なので、私のいう「飛び出すこと」というプラスの表現とは裏腹に、「逃げる」「外れる」「避けて」というイメージを持つ人も多い。

 ネガティブに表現すると、
「今の公立、私立の学校では何かが満足しないので、オルタナティブやフリースクールに「逃げる」のはいかがなものか?社会はそんなに甘くない。この先も一生逃げ続ける人生を選択してしまうのではないか?」
要するに、この先も一生「外れた人生になるのではないか?」「嫌なことがあったら避ければ良いという考えになるのではないか?」という不安が膨らんでしまうようだ。

 そういう考えを持ちつつ、その一方で、今の現状に何か満足をしているわけではない。だからいつも何かを探している。

 そうではなく「選択した」という風になって欲しいと願っている。

 もちろん今の世の中の現状では、その「選択」に不安を感じてしまうのは無理もない。先に述べた通り、私たちの多くが「それ」しか知らないのだから、知らない世界へ「飛び出す」「飛び込む」ことは不安が伴うだろう。

 60歳を目前にしている私の時代では、所謂「いい大学」に行って「いい会社」に勤めることが出来れば、その先の人生は「いい人生」になると思われていた。日本で大学に入れなかった友人の中に、それなら!と親の一声で海外の大学に行った友人も何人かいた。卒業出来なくても、英語は身につけて帰れるし、何だか高卒よりは良いイメージ。彼らがその後の人生でどうなったかは、ここに記する必要がない。なぜなら、海外に「飛び出した」ことからプラスになったことも、もちろんあるだろうし、マイナスになったことももちろんあるから。

 要するにどこにいてもその人がどのように過ごすか?だから。

 そういう意味で、「親」は「こども」にとっての最善を尽くそうと考える。自分の人生じゃないから、決めづらいのは尚更であろう。

 ただ、大人にしてあげられるのは、「環境」を与えてあげられることだけ。そこでその人がどのように過ごすか?がその後のその人の人生を決めるのだから。

 飛び込んだ先に不安があるなら、動かない方が良いのか?

 飛び出すのは出来るがその先に不安があるなら、動かない方が良いのか?

 不安を安心に変えるのは何なのか?

 不安を安心に変えるのは誰のすることなのか?

 不安で動けない人は、結局他力本願なのだと思う。そういう人は動かない方が良い。その先でまた誰かのせいで不安になって不満を言うから。

 どこにいても、自分たちの環境が良くなるように「努力」をするのが自分の人生を豊かにしたいなら、すべきことだと思う。
 動かないけれど、その場所が良くなるように「努力」をする。
 動いた後が不安なら、その場所が良くなるように「努力」する。
 全部自分のため。それでいいじゃん。

 「努力が報われない」「努力が無駄になった」本当にやり切ったと言えるほど「努力」したのならば、そこに留まっても仕方ない。

 次行ってみよう〜!!(ドリフ風に!)

 生きてさえいれば何でもできるのだから、次の道を探せば良い!

 自分で選択した!と言える人生を。

 your life is what you choose 

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