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なにがすごいって、ちゃんと自分を知ろうとしたこと

最近、職場でマインドフルネスしてることに気づきました。
『マインドフルネス』
つまり、自分と向き合っているのです。

瞑想?…いいえ違います。
勤務しお給料が発生しているのに、マインドフルネスしてるんです。
驚きでしょう。
お店で販売・接客をしているのに、店の雰囲気が良すぎて気付かぬうちにしているんです。
信じ難いですが、長野では可能のようです。

気づいたのは、同僚と喋っていた時。
「最近、みんな急いでない?」
「確かに、スマホばっかりよねぇ」
「今日は今日だけなのにねぇ」
「うんうん。明日とか分かんないよねぇ」

このように会話の内容が、「自分」や「今」で構成されており、
…もしかして、私たち今を生きてる?
これってマインドフルネス過ぎてない?
となりました。


お給料をもらいながらマインドフルネスをしているので、言わば最強状態です。
「このお店を良くするには」
「自分達のこれからをどうしていくか」
議論が止まりません。

でも私の根っこはぐうたらで怠け者です。
楽できるなら、とことん楽してやるぜ!精神の塊です。
なので、最強状態なのに頑張るとか努力とかいう言葉は苦手です。

しかし、そんな怠け者の私が、毎日1年以上マインドフルネスを受けた結果、「私ってすごい!!」となぜか思うに至りました。
それを恥ずかしげもなく、お披露目しようと思います。


まずは、このnoteを一年以上続けていること。
更新頻度はまちまちですが、なんでも三日坊主の私が続けていることはすごい。
InstagramもYouTubeもアフィリエイトも続かなかったのに、noteは更新したくなります。

そして、さらに自己理解が深まりました。
お気づきかと思いますが、私は見栄っ張りで根に持つタイプ、こだわりも人一倍あります。
そんな認めたくなかった自分も「これが自分だもんねぇ」と、まるっと受け入れられるようになりました。
すごいぞ!自分。

こうして、自分のすごい!が分かれば、社会で言われているすごい!も段々と目を向けられるように。


一つ目は、良い会社の求人は出ないということ。
突然なにを言い出した?と思われるかもしれませんが、
例えば、今の職場では私たちがやめない限り求人は出ません。
私たちはマインドフルネスしちゃってるので、よっぽどのことがない限り辞めないでしょう。


二つ目は、続けることはすごいけど、本当にそうかなぁ…?ということ。

例えば、「○○を毎日投稿!」「毎週○○してます」などなど。
SNSをひらけばよく見るワードです。
いやぁ確かに習慣化して続けることはすごいことです。
三日坊主の私にはできない偉業です。
それは絶対に間違いない事実です。

でもさぁ、ぶっちゃけそう言われても続けられないじゃないですか?
…はい。三日坊主の負け惜しみです。私のひがみです。
そんな文句タラタラな私から言わせていただきたい。
続けるよりも大切なことはある、ということ。


例えば、私にとってのnote。
楽して生きていこうぜ!精神の私が、眠くてもお腹が空いててもPC開いてカタカタ打っています。ちょっと矛盾してます。
noteは誰かに書け!と言われたわけでも、自分で一年続けるぞ!と気合と根性でやっているわけでもありません。
まぁそんな言葉と精神論だけじゃ絶対に動かないのが私です。

私はただ楽しいからnoteを書いてます。
本当に、それだけ。
言い換えればPCをカタカタ打った結果、一年続いたとも言えると思います。


もう一つ例えるなら大谷翔平。(大きく出たなぁ)
大谷翔平は野球が好きだから続けてこれたのでしょう。
…本人に直接聞いたことないけど、きっとそうでしょう。

大谷翔平のすごいところは、野球という好きなことを人生の序盤で見つけて、それに集中できたこと、だと思っています。
まぁ彼の場合、それがバスケでもゴルフでも結果は出てたと思いますが…。
その結果うんぬんよりも、好きな野球に出会えた事実が一番すごいと思いました。

つまり、物事を続ける行為がすごいんじゃなくて、
自分が続けられる物事に気づいて、それに集中できたことがすごいのでは?と思ったのです。
そして集中したら結果がついてきた。
そんな感じです。


生粋の三日坊主な私が断言します。
誰にでも続けられることはある、のだと。
もし現状続けられていないなら、それはまだ続けられることに出会っていないだけ。

それはnoteなのか、YouTubeなのか、喋ることなのか、歌うことか人によって違います。
もしかしたら、穴をひたすら掘ることかもしれないし、庭の雑草を抜きまくることかもしません。
犬を愛でることかもしれないし、宇宙を探究することかもしれません。
もしかしたら、お金を稼ぐことからはかけ離れているかもしれません。
世間や会社からは全く評価されないこともあります。

いや、むしろほとんどのことはお金にならないでしょう。
でも、自分がなぜか夢中になれることに気づけたことは、お金や他者からの賞賛よりももっと大切だと思いました。
自分の一つの才能に気づけたからです。



私が昭和うまれだからでしょうか?
「努力は素晴らしい」「その道十年のベテラン」などという言葉がもてはやされていました。

血のにじむ努力って普通に危ないやろ。
石の上にも三年って使いすぎ。時と場合によるやろ。
器用貧乏って失礼やな。一人おったら助かるやろ。
継続を異常に褒め称える風潮に一言申したい!
アラフォー怒りの舞です。

だってその言葉で私たち怠け者は「何もできないやつ」認定されてましたもん。
そうじゃなくても、「毎日○○してるあの人はすごい〜」と上辺だけの行動を評価しすぎていました。

そう考えると、たまにある「たった5分なのに、なんでできない?」も解決できます。
「自分の才能じゃないから続けられないんだよ!」
わざわざ言わなくてもいいので、心の中でそっと思って自分を平静に保っておきたいですよね。


自分の才能見つけるのって大変です。
だって誰も教えてくれないし、見つけ方も正解もよくわかりません。

でも、自分とひたすら向き合って、
やっと才能らしいものを見つけてみて
その才能らしいものを長い間あたためて
胸を張って言える才能にしたいですよね。

そして、自分の才能と誰かの才能を補い合って、自分一人じゃできないことをできたらいいですよね。
仕事とか家族とか。
だって、そのためのチームだと思うのです。

そんなことを思いながら、今日も私は長野の職場でマインドフルネスしてます。


お気づきの方もいるかと思いますが、
この記事の怖いことは、マインドフルネスを盾にして
一年しか継続できていないnoteと(しかも気が向いた時にたまに更新する程度)、世界の大谷翔平を同じ土俵で例に出していること。

とうとう「謙遜」も私のワードから無くなりそうなことです…。






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