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咲き乱れる花に気づいて

「一生に一度は、映画館でジブリを。」

ショッピングモールの自動ドアに貼られたチラシが目に留まった。うっかりすると手を切ってしまいそうな紙に作りこまれたデザインが映える、いつもの映画フライヤーではない。周りに残る5mmの白フチがバックヤードでコピー用紙に印刷したことを推測させる、簡単なものだ。ドアにはセロテープで貼られていて、梅雨の湿気で下半分はしわしわになっている。急ごしらえで用意したであろうスタッフさんの苦労が伝わってくるようだった。

ピックアップされていたのは4作品。普段は2000円近くかかる料金も、何と1100円でよいという。いつもは料金がお得になるレディースデーや映画の日を狙うけれど、これなら休みの日に続けて観に行ける。「制覇するぞ」と決めて、スケジュール帳の直近の休み四日間に「ジブリ」と書き込んだ。

まず選んだのは『千と千尋の神隠し』。いつも「好きなジブリ映画は?」と聞かれると、ちょっと格好つけて「『耳をすませば』か『魔女の宅急便』」と答えてしまうのだけれど、本当はこれが一番好きだ。もう、殿堂入りしている。金曜ロードショーで、DVDで、何度観たか分からない。家にはアニメ絵本もあって、母が読み聞かせをしてくれていた。私はオクサレ様の「よきかな」がお気に入りという、渋い子どもだった。

劇場に入ると、思ったよりも席が埋まっていることに驚いた。ジブリだもん、みんな観たいよね、と思いながら席を探す。半分より少し後ろに取った席にひとりで座る。一席ずつ開けて販売されているはずのシートにソーシャルディスタンスを取らずに座る斜め後ろのカップルが、少し気になったけれど。

予告が終わると、真っ青な画面に切り替わる。ジブリ作品が始まる前の、あの色が好きだ。何度も見たことがあるのに、全く飽きない青。光が出ているはずなのに、眩しすぎない青。その青だけで、私の心はいっぱいになる。まるで夏休みがこれから始まるようなわくわくに、すっぽりと包まれてしまう。

肝心の本編は、これまで気づかなかった描写に満ちていた。数えきれないほど観ているけれど、私は今まで「観た気分」になっていただけだった、と暗闇の中、ひとり反省するほどに。(※以下、物語の内容に関する記述があります)

物語の序盤に感じたのは、喉の辺りを押さえたくなるほどの「不安」だった。散りばめられた不自然さに、物語の空気がひたひたと冷えてゆく。

舗装されていない道には適さない猛スピードで車を運転するお父さん。お父さんの言うことには賛成するのに、千尋には冷たいお母さん。あの不思議な町に繋がるトンネルの先で小川を渡るとき、お父さんはお母さんの手を取るのに、ふたりとも千尋のことは助けようとしない。誰もいない町の料理屋で昼食を取るときも、ふたりとも千尋の料理を取ろうとしない。小学生の娘を、ここまで放っておくことがあるだろうか。見えないものに突き動かされるふたりの周りに、不気味なものが渦巻いていた。

そして今回一番怖かったのは、千尋がハクに連れられて訪れた油屋の庭だった。咲いている花の季節が滅茶苦茶なのだ。ツツジとアジサイと梅と、植物という植物の花がすべて満開になっている。ハクに手を引かれて駆け抜ける花のトンネルはぞっとするほど鮮やかで、飲み込まれてしまいそうだ。

しかしそうして始まった物語の中を、千尋は強く駆ける。色々な人や物事に出会い、選び、動き、最初はぼんやりとしていた表情がきりりと引き締まる。千尋の成長を認めるように、温かい描写が増えてゆく。

物語終盤、ハクが契約印を盗んだお詫びのために千尋は湯婆婆の姉である銭婆の家を訪れる。道案内に来てくれたランタンは、油屋に来た頃には急かされてばかりいた千尋を二、三歩ごとに待ちながら進む。銭婆は、奪われかけていた名前を「大事にね」と言う。カオナシにも、きっと幸せになりそうな未来が見つかる。

竜の姿で迎えに来たハクの背中に跨り、千尋は油屋へ戻る。地上を見ると銭婆が、あのランタンまでもが手を振っている。振り切れたような温もりに、スクリーンの映像が滲んだ。

そしてあの有名な、ハクの本名を伝えるシーンは変わらず美しかった。ふたりの瞳の煌めきは、まるで夏の川の水面のよう。釜爺の言葉を借りるなら、きっとあれが「愛」なのだ。

上映後ふわりと照明が戻る中、席を立つ。斜め後ろのカップルが「泣いたでしょ」「えー?泣いてないよ」と囁きあっている。

意外と大人が、泣くのかもね。

ちょっぴり彼らと話してみたい気持ちになりながら、劇場を後にした。

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