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夕風を待つ

昔から図書館が好きだった。学校の図書室でも地域の図書館でも貸出冊数の限度いっぱいに借りていて、本を入れるために母が縫ってくれたキルト地の手提げ袋は一年も使えば角が破れてしまうほどだった。書架にきっちりと並べられた本を前にしてめくるめく気持ちは今も変わらず、冊数いっぱいまで借りる習慣はまだ続いている。

しかし働き始めた今、十冊の本を二週間以内に読み切ることは不可能に近い。最近は借りるだけ借りて読まないまま返すことが続いていて、家族には「運び屋」と呼ばれている。何だか語弊があるけれど。

今日もほとんど読まないまま返却日を迎えた本が一冊あった。リビングのソファにうつぶせになって、やや急ぎ足で目を通す。

壁に取り付けられた扇風機がぬるい風をかき回し、無造作に置かれた朝刊の隅がはらはらと靡く音だけが聞こえる。じんわりと汗がにじんできたけれど、エアコンを入れるほどでもない。テーブルの上に置いた冷たい麦茶で部屋の熱さをごまかしながら読み進める。

そういえば昔腰を怪我したときに、うつぶせはよくないって言われたな。仰向けに体勢を変えて、本を顔の上に掲げて読む。私がまだ小さかった頃、母は寝る前にそうやって絵本の読み聞かせをしてくれていた。これ、結構腕疲れるんだよなあ。

ちょっと休憩、と本をお腹の上に広げて微睡む。

「うーん、眩しい……」

天井に日が反射する。腕を目の上に乗せた。

右頬をよだれが伝う感覚で目が覚める。時計を見ると夕方五時。一時間半も経っていた。なんてこった。お腹の上には全く進んでいない本。迫る図書館の閉館時間。

昔から、昼寝が苦手だった。何だか体調が悪いような気持ちになってしまうし、朝しゃきっと起きて夜はすぱっと寝て、昼はぎっちり詰め込んだ予定をこなすことこそよい生活だと思っていた。

罪悪感に苛まれる。せっかくの休みを一時間半も無駄にしてしまった。麦茶はすっかりぬるくなって、テーブルの上には水たまりができている。朝刊は誰にも片付けてもらえないまま、その隅をはらはらと靡かせ続けていた。

けれど、扇風機から送られてくる風は、もうすっかり涼しい。

その風にあたっていると「まあいっか」という気持ちになってくる。ラジオ体操の帰り道のような、補習のあと友達とこっそり寄り道をしたときのような、少しの爽やかさがそれまでの憂鬱を上書きしてくれたような気持ち。

読みかけの本を閉じてトートバッグに収める。本はまた借りればいいのだ。

図書館までは、自転車で河川敷をまっすぐ行くルートがお気に入り。思いのほか河川敷は込み合っている。

ジョギングをするおじさんも、立ち話をするお母さんたちも、シロツメクサを編む小学生も、揺れるしっぽが可愛い柴犬も、それからたぶん、寄ってくる蚊だって。

みんな、この時間が気持ちいいと知っているのだ。

日が長いこの季節だから焦らなくていい。熱さを昼寝で凌ぐ夏も、いいのかもしれない。

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