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わたしたちが共有した、夏のはじまり

好きな季節を聞かれると、昔から「春」と答えていた。夏は暑くて、汗でベタベタするのが好きじゃない。冬は寒くて、朝起きるのがしんどいし。春か秋が過ごしやすくて気持ちいいけど、桜が咲く春の方がなんとなく可愛いかな。そんな単純な理由だった。

数年前、あの一言を聞くまでは。



ちょうど六月の初め頃。衣替えが苦手な私は、まだ長袖を着ていた。面倒くさいのではなくて、タイミングが分からないのだ。リビングにはまだ電気ストーブと扇風機が両方出ていて、日によって、ひとつのコンセントにどちらかを繋ぎ変えて使っていた。山が近い私の町は、朝晩はまだまだ冷え込む。

夕飯を終えて大学の課題のレポートを書いていると、スマホにLINEの着信があった。名前を見ると、大学の友達だ。開くと、メッセージがたったひとこと。


「外に出てみて。もう夏の夜の匂いがするよ」


とても彼女らしい連絡だ。彼女は突然「今、星野源のことを考えていました。星野源ってすごいな…って。俳優もやるし、なんでもできるし、わたしも星野源になりたいです」とか、映画館の外に貼ってある新作映画のポスターのタイトルを見て「タイトルだけで映画捏造のコーナー!」などと言って、頭の中で作り上げたおかしなストーリーを送ってきてくれるのだ。不要不急なのに、彼女からの連絡はいつも不思議と嬉しくて、私はそのセンスが大好きだった。

レポートを書く手を止め、庭に出てみる。地面は夕方降った雨でまだ湿っていて、椿の葉はつやつや光っていた。六月にしては少し冷たい空気を、すうっと吸い込む。


アサガオの鉢を抱えて帰る、一学期最後の登校日。

藁半紙にプリントされたチケットを持って通った、夏休みのプール。

金曜ロードショーで何度も見ているのに、それでも見てしまうジブリ。

子どもの頃から何度も繰り返してきた、そんな夏の楽しみがぎゅっと詰まったような、わくわくしてキラキラして、それでいてどこか切ない。そんな夏の匂いが、確かにそこにあった。

彼女へ返信する。

「ほんとだね!この匂い、何て説明したらいいんだろう?」

返信はすぐに来た。

「難しいね。でも、それが夏の匂いだよ」


説明は、きちんとできなくてもいいみたいだ。それでも、それは確かに夏の匂いだった。言葉で説明できない夏のはじまりを緩やかに共有したその夜は、一瞬で私の好きな季節を変えてしまった。



「外に出てみて。もう夏の夜の匂いがするよ」

今年は私から、彼女に送ってみようと思う。そんな楽しみがある夏が、私は今も変わらず好きだ。

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